第8話 メガ・アクアリウム
それまで住んでいた世界とは色々と異なる世界——メガ・アクアリウム。そこでは、貴誠達が知っている常識的な法則が全く通用しなかった。
最も顕著な例は、大気の概念だろうか。普通に呼吸ができて、風のような現象も確認できる。その一方で、どこか水中のような特性も持ち合わせていた。
視覚的に最も認識できる差異は、どこでも見掛ける気泡のようなもの。宙に浮いている例のバブルだ。それ自体は特に害もないらしいが、どんなに衝撃を加えても決して消すことはできなかった。
また、この大気中では、元の世界のような衣服は着用が困難らしい。どうやら、着衣のまま泳ぐことが難しい例と同義のようだ。そのため、この世界ではスケールスーツと呼ばれる密着性の高い衣服が広まっている。帽子のような小物はそれほど影響もないらしく、元の世界と似たものが流通していた。
ただ、この水のような性質をもった大気の中でも、火は普通に扱える。それが産業の本質になっていることは、元の世界と同様だ。だが、それらの現象を物理的に説明することは不可能。このあべこべな世界観は、とにかく甘受するしか選択肢がなかった。
そして、これが最も問題なのだが——
この異世界には、普通の人間の他に、アクティアと呼称される異能者が存在している。世に生まれてくる時に、ランダムでその因子が発現しているようだった。
比率は決して多くないらしいが、この異世界では格段に身体能力が上だ。体内では水心力という特殊な波動が常に放出されており、これが力の源泉だった。
さらに、アクティアは特殊な異能を扱える場合もある。それは体表面のどこかに出現する水紋の種類と連動しており、そこには元の世界における水棲生物がデフォルメされた絵柄で記されていた。
このメガ・アクアリウムの世界にも、海や川はあるらしい。だが、そこに生命の痕跡は全く見られなかった。ただ、古くから残っている聖典——アクア・スクリプチャーには、以前に存在していた生物の記載がある。そこには、元の世界で確認されている全ての水棲生物が載っていた。
先程、ヴォルガが貴誠の水紋を確認していた時に持ち出していた資料。それは、これのレプリカだ。ただ、どうして元の世界と繋がりがあるのか。それは、貴誠には全く分からなかった。
なんにせよ、アクティア達はこの異世界の社会システムの中に溶け込んでいる。その力は絶大でも、普通の人間との間には数の差があるため、絶妙なバランスが保たれているようだった。
ただ、どこの世界でも同じだが、道から外れる輩は一定数存在する。その自浄作用がアクティア自体に課せられることは必然だろう。そこで、自治都市アクリールは他の都市の例に倣い、フィルターズと呼ばれる組織を結成。ここに在籍するアクティア達は通常の警察業務も兼ねながら、街の治安維持に当たっていた。
その責任者の一人——ヴォルガとのすり合わせが終わっていた。貴誠はなんともいえない表情で押し黙っている。そのため、相手が不意に顔を覗き込んでいた。
「大体こんなところか……ん? どうかしたのかい?」
「え……⁉ いや……気にしないでください……」
貴誠が慌てた様子で取り繕う。その反応をヴォルガは妙に感じたようだが、それ以上はあまり気にしなかった。
「……そうか、ならいいんだが」
次いで、何かを提案しようとする。
「それよりも——」
と、その途中だった。
「——キー君ッ!」
急に部屋の扉が開き、亜矢が乱入してくる。
『⁉』
二人が顔を同時に向けると、彼女は顔を真っ赤にしながら貴誠に縋り付いていた。
「お助けーッ!」
「姉さん⁉」
弟が困惑する中、室内にはもう一人の女性が恍惚な表情で入ってくる。
「お待ちになってくだ——」
だが、ここでヴォルガがリシールを冷めた視線で制していた。
「——おい……」
「⁉」
リシールはその眼力に射竦められると、急に熱が後退。いつもの様子に戻り、何かを誤魔化そうとしていた。
「……うふふふ。私としたことが……うっかり取り乱していたようですね」
「お前はうっかりで不法侵入も片づけるつもりか?」
「……反省しております」
そのまましおらしくなったため、ヴォルガもこれ以上は踏み込まない。次いで、頭を掻きながら姉弟へ顔を向けていた。
「まったく……すまないな、二人とも」
「いえ……」
貴誠が死んだ目で反応している。それは特に気にせず、ヴォルガは改めて先程言い掛けた内容を口にしていた。
「とにかく、これからの当てはあるのかい?」
「え……?」
「差し当たっての住まいだよ。宿でも取っているのかな?」
「それは……」
貴誠は戸惑うしかない。そこまで考慮する余裕は、今まで全くなかったのだ。どうすべきか悩んでいると、ヴォルガが意外な言葉を発していた。
「……ならば、自分が用意しよう」
『!』
やっと弟から離れた亜矢も一緒になって驚く中、ヴォルガはそれが特に手間とはならない理由を語っていた。
「うちは実家が宿をやっているんだが、今は閑散期で空きが多くてね。しばらくなら居ても構わない。余りもので良ければ、食事も提供しよう。無論、全部無償でいい」
ただ、この最後の言及には、貴誠が慌てる。
「え! それは流石に……」
だが、ヴォルガは同僚に流し目を向けながら、なおも勧めていた。
「気にするな。うちの者が善意の協力者に迷惑を掛けているからな」
「……!」
リシールが無言で視線を泳がせている。それはすぐに無視して、ヴォルガは二人に向き直っていた。
「その詫びだと思ってくれればいい」
ここまで言われては、二人も断り切れない。また、この世界での金銭も一切の持ち合わせがないため、渡りに船だった。
貴誠が素直な様子になって頭を下げる。
「……そういうことなら」
「お言葉に甘えて……」
隣の亜矢も同様にしていると、ヴォルガは満面の笑みになって二人に促していた。
「よし、決まりだ。じゃ、書類なんかはすぐにできるから、また待合室の方でしばらく待機していてくれ」
これを聞いて、貴誠と亜矢がそれぞれ安堵の色を表情に浮かべている。一時的ではあるが、この世界での生活基盤をなんとか確保できそうだった。
「何から何まで……」
「お世話になります……!」
姉弟は一礼をしてから退室する。そのあとは、他の生活用品がどうのこうのと色々話しながら、指示された部屋へと向かっていた。
一方、室内に残っていた二人はしばらく沈黙していたが——
「——で……」
と、不意にヴォルガがもう一人の人物に訊いていた。
「どうだ? あの二人は?」
端折った問い掛けだが、その意味をリシールは既に理解している。
「……そうですね。うちの戦力としては、及第点といったところでしょうか。ですが、鍛えれば使えるかもしれません」
「ならば、そういう方針でいこうか。無論、二人の了承があった上だが」
ヴォルガが即決していると、ここで彼女の方から意外な願意があった。
「でしたら、その場合は私が貰ってもよろしいですか?」
「ん? 珍しいな。お前が部下を持ちたがるなんて。どんなに昇進しても、単独を貫くのかと思っていた」
彼のこの疑問に、リシールは素直な心境を吐露する。
「何か縁のようなものを感じました。直感ですが、あの二人となら、よりよい成果が出せるような気がします」
かなり感覚的な理由であるため、説得力は不明だ。しかし、それにヴォルガは異を唱えなかった。
「……分かった。天からの災厄のおかげで、自分はこのザマだからな。他の仕事にまでは手が回せない。全て任せる」
ただ、その肯定的な返答に、リシールは何故か遠い目をする。
「……もう……そろそろ三年ですか」
これを聞いて——
「——!」
ヴォルガは急に押し黙り、視線を虚空に留まらせていた。それ以降、二人はしばらく昔話をする。ただ、その間は一度も視線を合わすことはなかった。
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