第7話 自治都市アクリール

 貴誠と亜矢が案内された街——自治都市アクリール。


 姉弟も色々と想像力を働かせていたが、そこは例に漏れず、中世のヨーロッパ風の街並みだった。文明レベルも同程度で、たまに帯剣している人間ともすれ違う。元の世界との相違点は、ここにも例のバブルが浮いていること。そして、やはり着衣であり、全員がウエットスーツに近い姿だった。


 何もかもが新鮮に映る二人は、そのままリシールに誘導され、いつの間にか厳重な施設の前までやってくる。どうやら、フィルターズという組織の本部のようだ。今後の自由な行動を保証してもらうためには、ここで居住許可の登録を行う必要があるらしい。その中にある待合室でしばらく待たされたが、相手があくまでも親身な様子を崩さなかったため、特に何も警戒はしていなかった。


 そのため——

「……あれ?」

 貴誠は姉と別の部屋へ通されたことに気づき、ようやく一抹の不安を感じていた。一階にあるそれなりに強固な造りの部屋で、窓枠には鉄格子がはめられている。雰囲気的には、尋問室に近いといえよう。思わず生唾を嚥下していたが、その緊張感をほぐすように、急に柔和な声が掛けられていた。


「——そんなに構えなくてもいいさ」

「——!」

 直前まで全く気配を感じなかったため、貴誠は思わず硬直していた。今までも室内にいたはずなのに、やっとその存在に気づく。相手が只者ではないことを瞬時に理解していると、一方の三十代後半ぐらいの男性は同じ調子で続けていた。


「別に、取って食うつもりもない。ちょっとした身体検査が必要でね。男女別に部屋を分ける必要があるから、そうしているまでだよ」

 白と黒の着衣に身を包んでおり、その下には隠し切れない筋肉量が垣間見える。それを確認しながら、貴誠は恐る恐る訊いていた。


「あなたは……?」

「自分はヴォルガという。この組織の責任者をやっている。リシールから君達のことは聞いたよ。彼女を手伝ってくれて感謝する。ただ、手続きは公正に行わないとね。少しだけ我慢してくれ」


 なおも丁寧な応対を崩さないため、貴誠はとりあえず気を緩めることにする。ただ、だからこそやっと気づいたことがあった。

「……足が?」

 相手が松葉杖を突いているのだ。片足が石膏のようなもので固められており、明らかに重傷と見られる。すると、一方のヴォルガは自身の状態を自嘲気味に説明していた。


「ん? あー、これか……ちょっと任務の際に負傷してね。今は現場に出られないんだ。だから、こんな裏方に回されてるんだよ」

「そうでしたか……」

 どうやら、この状況に危険はないようだ。貴誠がそう理解していると、すぐにヴォルガがひょこひょこと接近してきた。


「とにかく、早速水紋と水心力の検査をさせてもらおうか」

「……!」

「他の都市でも同じだと思うが、これは俺達の義務だからな。すぐに終わるから、印のある場所を見せてくれ」

 聞き慣れない単語が増えていたが、一方の意味はおおよそ見当が付いている。


「……これで……いいですか?」

 桜色のマフラーを持ち上げて鎖骨の間を見せると、ヴォルガは近くの机から何やら分厚い書籍を持ち出し、貴誠の目前で立ち止まっていた。

「失礼する」


 同時に、その分厚い書籍をぺらぺらとめくる。そして、指で一つ一つ照らし合わせると、やがて対象の情報を発見した様子だった。

「……水紋は……カクレクマノミ? 初めて見たな……」

「?」

 それがどれほど希少なのか、貴誠には分からない。そのまま身を任せていると、ヴォルガは掌を対象の水紋にかざしていた。


 そして、何かを読み取る。

「水心力は……うちの新人達と同程度……か。なるほど……」

「……えーと……?」

 されるがままの貴誠は、そろそろ居心地が悪くなってきている。それに気づいて、ヴォルガは改めて柔和な顔を向けていた。


「……失礼。もう充分だ。これで個人情報をしっかり登録するよ。ようこそ、自治都市アクリールへ」

 どうやら、問題はないらしい。そのことを理解して緊張感を解いていると、ここで急に疑問が脳裏を過っていた。

「……あれ? そういえば……姉さんのは身体のどこにあるんだ?」


 状況から察するに、亜矢にも同じ水紋とやらがあるはずだ。だが、貴誠と同じ場所には何も刻印されていない。目の前の男性もそこには確認できないため、個々によって場所は違う様子だった。


 ヴォルガがその独白に反応する。

「ん? もしかして、お姉さんのは見たことがない?」

 何気ない疑問だったが、一方の貴誠は失言の可能性を考慮しており、思わず適当な嘘で誤魔化そうとしていた。


「え……ええ。ちょっと恥ずかしい場所にあるらしい……というか……よく聞いてないんですよね」

 ただ、その心境にヴォルガは気づかない様子だ。

「よくあることだ。ま、隣の部屋では同性の担当者が調べているから、特に問題は何も——」


 と、そこまで言い掛けて——

「……あ」

 何故か急に頬を引きつらせる。

「?」

 貴誠がその奇妙な言動に首を傾げていた直後だった。


 隣の部屋から——

「——ひ——あ——————ッ⁉」

 亜矢の悲鳴が聴こえてくる。

『⁉』

 二人が弾かれたように壁を見やると、その向こうからさらに女性達の声が聴こえてきていた。


「ちょっと——どこ触ってるんですか——————ッ⁉」

「お気になさらずに。減るものではありませんし」

 この展開に、ヴォルガが思わず頭を抱えている。

「……あいつ……またか……」


 一方の貴誠にも、片方の女性の声には聞き覚えがあった。

「……今のって……リシールさんですよね……?」

 ただ、ヴォルガは肯定もせずにうな垂れており、弁明のように喋る。

「……また乱入したのか。性的な嗜好はともかく、こういった衝動的な暴走がなければ完璧な奴なんだが……」


 すると、ここで貴誠がそもそもの問題にも気づき、指摘をしていた。

「……あの人、目があまり見えないんですよね?」

「……ああ。そうらしいな……水紋の確認なんて、できないはずだ……」

「えーと……」

 貴誠がどう反応していいのか戸惑っている。そのまま妙な空気になってしまったため、ヴォルガが強引に話を元に戻していた。


「……んんッ! とにかく、向こうも終わったら、もう自由にしてもらって構わないよ。ご苦労様」

 その方針には、貴誠も異論はない。ただ、ここで不意に閃きが浮かんでいた。

「——あ! そうだ……!」

「?」

 相手がキョトンとする中、貴誠は真摯な様子で訊く。


「……一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「何かな? 可能な限りお聞きしよう」

 ヴォルガも同じような雰囲気になる中、貴誠は少しだけ虚言を交えながら、この機会に情報を引き出そうとしていた。


「実は……先程リシールさんと会話をしていて気づいたんです。僕らの故郷と認識に差があることを」

「と、いうと?」

 何も気づかない様子で、ヴォルガが問い返している。相手の人の良さに付け入る点が心苦しくもあったが、貴誠はなおも続けていた。


「……全てではないんですが、僕らが生きているこの世界について、色々と嚙み合わない単語とかあるんです。姉を待っている間、それらのすり合わせができればいいんですが……」

「ん? そうなのかい? あまり聞かない話だが……」


 ヴォルガが少し首を傾げている。それでも、この相手とこのタイミングが最良と思われたため、貴誠は小さく頭を下げていた。

「僕らの故郷……かなり遠いんです。だから……」

 その言動に、相手の反応はない。

「……ダメでしょうか?」

 貴誠が恐る恐る視線を上げながら訊いた時だった。


「……ま、いいだろう」

「!」

 表情から察するに、どうやら全て納得している訳ではないらしい。だが、特に問題はないという判断もあったようで、快諾していた。

「自分も忙しい訳じゃないからな。その代わり、君達の故郷とやらの話も聞かせてもらおうか」


 ただ、この後半の言及に、貴誠は小さな困惑を見せている。

「……分かりました。なるべく理解できるように、お話しします……」

「?」

 その意味は、やはりヴォルガには分からなかったようだ。とにかく、貴誠は雑談に模した情報収集を始める。その内容は最後まで驚きの連続だったが、なんとか顔には出さずに済ませていた。



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