第4話 発見
亜矢の案内で、貴誠はこの世界に来て初めての人工物へと迫っていた。それなりに大きいようだが、木造の簡素な建付けらしい。その出入口は人間サイズのようなので、ここは巨人が闊歩するような世界ではない様子だった。
とにかく、まずはこの世界の住人とちゃんと意思の疎通ができるかどうか。それが最も重要だ。ただ、既にお互いなんとなく分かっていたが、この世界でも母国語が通用するような気がしていた。
根本的に、ロジックが狂っている。何故か、それが分かるのだ。これはもう、そういうものだと理解する以外に方法がなかった。
ただ——
貴誠にとっては、それ以前の個人的なそもそも論も存在していた。
「……人との接触が苦手だから、いつも引き籠ってるのに……よりにもよって、他人の家に自ら踏み込んでいくなんて……」
歩きながらのこの愚痴に、隣を進む亜矢が諭す。
「いい機会じゃん。人見知りを治すための」
「姉さんと違って、僕は平穏無事に生活したいんだよ。他人に絡まれると、それが乱れるだろ……」
貴誠が眉間を狭めていたが、姉は経験則による異論を口にしていた。
「その反面、意外な感動にも出会えるものだよ。いつも言ってるけど」
「相手の人間性によるリスクも孕んでるだろ。腹黒い奴に当たる可能性もある。だったら、僕はいいよ」
それでも弟が主張を曲げないため、亜矢はすぐに諦観する。
「……うーん、価値観の不一致というやつか。こればかりは血を分けた姉弟でも仕方がないのかなー」
すると、ここで急に意識を切り替えていた。
「……っと、そろそろこの辺だったけど——」
どうやら、目的地が近いようだ。周囲を見渡すと、右手から左手に向けて一直線に崖が連なっている。典型的な断層崖の向こうの眼下に、その木造建築があるようだった。
ただ、目的地まで直線であと数十メートルといった場所で——
『——ッ!』
姉弟は同時に嫌な予感を覚え、慌てて木陰に身を隠す。それは極めて本能的で野性的な感覚だったが、この時の二人には、そこまで推察する余裕はなかった。
姉弟はしばらく息を潜めていたが、やがて貴誠の方が一切の音も立てずに前方へと数メートル移動。
「……!」
この不用意な行動に、後方で亜矢が慌てている。だが、弟の方は自分でも不思議に思っていたが、その判断に自信をもっていた。
次いで、崖の先端ぎりぎりで改めて身を潜め、視界を確認。その先に目的地の建造物を捉えると、思わず眉をひそめていた。
小声になって後方に伝える。
「……さっきは外に人はいなかったみたいだけど、今はいるよ。二人ぐらい」
「……え、そうなの?」
亜矢も同じ声音で訊くと、弟が小さく頷いていた。
「うん。ただ……」
「ただ……?」
言葉を詰まらせている様子に、姉が首を傾げている。すると、貴誠は視線を前へと戻しながら、主観だけを述べていた。
「なんというか……僕には、彼らが堅気の男には見えないんだよね……」
「え……」
亜矢は小さく反応すると、同じ場所まで静かに移動。そして、茂みから先の光景を覗き込むと、思わず顔をしかめていた。
「……あ、ホントだ。あんな輩、風俗店の裏で見たことあるよ」
ただ、実の弟には、この発言は聞き流せない。
「え……」
極めて厳しい視線を向けていると、亜矢はきっぱりとその誤認を是正していた。
「あ、誤解しないでよね。ホスト狂いの友達の付き添いで、そこまで行っただけだから。纏まったお金が必要だったのは、その娘の方」
「……いや、友達選ぼうよ……」
それでも弟が頭を抱えるが、今はそんなことを議論している場合ではない。
「……とにかく、ここはスルーだね。この異世界に住んでるのが、普通の人間だと分かっただけでも良しとしようか。あくまでも、外見上の判断だけど」
それだけ姉に伝えて、この場を離れようとしていたのだが——
「……え? 異世界……?」
と、亜矢がその場でキョトンとしている。
「え……?」
「……え?」
そのまましばらく見合っていたが、やがて貴誠が真横に浮かんでいる物体を指差しながら訊いていた。
「……いや、なんだと思ってたの? 僕達のいた世界には、こんなバブルとかは浮いてないじゃん」
「……いや、なんか……シャボン玉で遊んでる人がいっぱいいるのかなー……って」
この発言に、貴誠は改めて姉の理解力を思い出す。それはもうずっと前から諦観していた事実なので、適当に流すことにしていた。
「……うん。まー、とにかく……そういうこと。それ以外には、今の状況は説明できないから……」
若干、頬を引きつらせながら、視線を泳がせている。その様子を見て、亜矢もバツが悪くなっていた。
「……なるほど。理解しまぴた」
思わず、舌を可愛く出しておどけている。だが、それを見た弟の反応は辛辣だった。
「……そろそろ年齢的にキツいよ」
「何か言った?」
「いえ、全く……」
貴誠はもう投げやりに呟くと、素早く切り替えようとする。
「……とにかく、気づかれないうちに行こう」
「そうね——」
一方の亜矢も即座に同意していたが——
『——ッ!』
ここで、二人が同時に気づいていた。
「……ちょっと! あれって……!」
亜矢が思わず指を差している。視線の先に見える木造建築にもう一人の男がやってきたのだが、その肩に失神していると思われる女性を担いでいるのだ。この光景に、貴誠は顔をしかめていた。
「どう見ても、合意があった上での移動……じゃないよな……」
「どうする⁉」
ただ、亜矢のこの詰問に、弟は戸惑うばかり。
「……そう言われても……」
しばらく黙考していたが、結論はこれしかなかった。
「僕らは、まだこの世界に対して無知すぎるよ。迂闊な行動は控えた方がいいとしか……」
「でも……!」
亜矢が正義感から異を唱える。だが、貴誠の結論は変わらなかった。
「……残念だけど……ッ」
苦渋であることは姉にも分かる。しかし、納得ができなかった。
「異世界だからって……女性の人権が守られないなんて……!」
思わず前のめりになっている。これ以上はこちらが見つかる危険もあったため、貴誠は慌てて制していた。
「……姉さん! 前に出過ぎだ!」
その注意に、亜矢も寸でのところで立ち止まる。
「……ッ! 分かってる! これ以上は——」
が——
「——って……え?」
より危険だったのは、足元の方だった。崖の先端ぎりぎりまで足を掛けていたのだが、かなり脆い地質だったらしい。その爪先に掛かっていた体重で、そこが一気に崩れてしまっていた。
無論——
「う——わああああ——————ッ⁉」
亜矢は一気に崖の下へと真っ逆さま。
「姉さん……ッ⁉」
貴誠が慌てて手を伸ばすが、間に合わなかった。すぐに身を乗り出して、崖の下を覗き込む。ただ、偶然そこにあった灌木がクッションになったようで、亜矢がもがいている様子が目に飛び込んでいた。
「……なんとか無事みたいだけど……」
もっとも、無傷かどうかは分からない。また、今はそれ以上の危機も存在していた。
例の木造建築の方に視線を向けると、男達が騒ぎ始めている。それを見て、貴誠はもう捨て鉢な感想を吐き捨てるしかなかった。
「そりゃあ……見つからない訳ないよな……姉さん……もしかして、転生特典とかで不幸体質とか頂きやがりましたかね……!」
そう毒を吐きながらも、慌てて崖下に向かう。亜矢はこの異世界で認知できる、唯一の肉親なのだ。この行動によって先がどうなるか全く分からないが、貴誠には助けに行かないという選択肢はなかった。
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