第17話 別名暴露話

「影、武者?」


カガチの耳に入ってしまった。やっちまった。なんだ、なぜ死んでも隠そうとしていたのにバレてしまった? あの花粉のせいか、それとも俺が阿呆だからうっかり滑らせたか? なんでもいい、誤魔化さないと。


影武者ってなんだよ。聞き間違えたんじゃあねえの? まだ鼻から大量出血した衝撃が抜けきれてないじゃねえか。


「聞かれちまった。どうしよう、マオじゃないってバレたらもう優しくしてもらえない」


慌てて口を塞いだ。何を口走っているんだ自分は、死にたいのか。ただでさえ魔権能でカガチの気持ちを弄ぶような真似をしているのに、その上マオでもないのにマオを演じるなんて、そんなのカガチに対する裏切りを超えて冒涜じゃないか。身体中から嫌な汗が吹き出てくる、どうしよう、どうやって誤魔化そうか。今口を開いてもきっとろくなことを離してくれだないだろう。そして肝心のカガチはというと、


「…………」


黙りこくっている。そしてなぜか頬を染めている。これは怒ってる時の顔だ、間違いない。そりゃそうだ、自分が心の底から慕っていたそいつが、いつか嫁にしようと思ってた奴が実は全くの別人だったなんて聞いたら誰だって怒る。


……ああ、でも俺にとっては好都合だ、これで嫌われればきっとこれ以上好きになることはなくなるはず。後は殺されなければなんだっていい。でも……


「……」


あれ、なんでカガチは悲しげな顔をして近付いてくる。怖くて後退りすると逃げられるわけもなく、気がつけば花畑に押し倒されていた。所謂床ドンというやつ。花粉が大量に散らばっている、花粉症の人が見たら発狂するレベルで溢れている。吸い込むのを回避するのは不可能だった。


「……マオ、いや影武者」


嫌だ、カガチの声が真っ青になっていた、震えていて、怖い。こんな声聞きたくないのに。


「な、なんだ?」


「……お前は、一体誰なんだ」


「えっと……」


「オレの愛した奴はどこに行ったんだ」


「……っ」


「答えてくれ、頼む……っ」


カガチの瞳から涙がこぼれ落ちる。俺の胸ぐらを掴む手は小刻みに震えており、カガチがどれだけ追い詰められているかがよく分かった。


それにしてもカガチは優しいな。すぐにでも燃え滓になると思っていたのに何もしてこない。この短時間でこんなに追い詰められているのに、俺の頬撫に手を伸ばすその手はどこまでも優しくて、つい擦り付いてしまいそうになる。


「マオは、俺の中にいるよ」


「……どういうことだ」


うん、もういいだろう。どうせ話したって死にはしないんだ。……嫌われても、ひとしきり泣いて忘れればそれでいいんだから。


「俺の本名は天使正義、マオの代わりとして作られた存在だ」


「……は?」


「俺はアスモデウス家長男のマオの魔権能と、魔力と、魂を受け継いだ人間。平たく言えば影武者だ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


「マオは俺の中だ。今は俺の体に宿ってる」


「……マジかよ」


カガチは頭を抱えながらその場に座り込んだ。混乱しているようだ。そりゃそうだろうな、ずっと大好きだった奴が実は自分のことを全く知らない上に、そもそも赤の他人だったというのだから。


嫌な時間だ、すぐにでも逃げ出したいが生憎帰る方角がわからないんだなこれが。


「じゃあ、俺のことダーリンって言ってくれたのも、その花嫁衣装も嘘なのか?」


うん、ごめんな。


「俺はお前のこと好きだぞ、嫌われたくなくて黙ってたんだ」


……この方は何でもかんでもバラバラと話すな。油断していた。しかしカガチは妙に嬉しそうに笑う。相変わらずソワソワしっぱないしだけどもう些細なことだ、それぐらい嬉しそうだったのだ。


「そうか、オレはお前のことを本気で愛していたんだぜ」


「でもそれは俺がマオだってことだろ? もう俺には関係ない……ごめん、なんか涙出てきた」


カガチはどこか諦めたような表情を浮かべて立ち上がると、ポケットからハンカチを取り出してこちらに差し出してきた。こんなにも優しい笑みを、マオへじゃなくて、俺に向けている。こんなことがあっていいのか、嬉しすぎてどうにかなってしまいそうだ。


「お前の本音が聞けて嬉しかった。だから泣くなよ、な?」


ああ、もう無理だ。我慢できない。涙が決壊していくらでも溢れ出してしまう。ハンカチを握りしめてカガチを抱きついた、何もしてこない。邪魔じゃないのか、それとも温情で見逃してもらえてるだけなのか、もうこの際なんだっていい。俺は今ひたすらに、カガチから手を離したくないんだ。

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