第10話 リーア

 私の名前はリーア。魔界に住む魔族だ。


私には今年8歳になる可愛い弟がいるのだが、元々病弱だった弟の体調が最近特に優れず、短い期間に何度も繰り返し高熱を出して苦しんでいる。

そんな弟の病状を少しでも改善するため、私は両親を亡くした後に姉弟揃って引き取ってくれた叔父さんへ相談した。


叔父さんは難しい顔をしながらも、一冊の本を差し出し、あるページを開いて私に見せてくれた。

そこにはこの魔界にはない、人界でのみ育つとされている薬草、月下草の生息地や効能について記されていた。


その本には、月下草をポーションに加工して服用することで、長期間の継続した体調の向上を望むことが出来ると記されていた。

叔父さんはこの記述が真実かどうかは分からないし、商人に問い合わせてみても簡単には手に入らないだろうと、眉を潜めながら私に教えてくれた。

それでも、少しでも弟の病状が良くなって元気な姿が見れるならと、叔父さんに無理を言って月下草の取り寄せをお願いした。


しかし、しばらくして伝えられた報告は、入手不可能という言葉だった。そもそも月下草は人界でしか育つことがなく、人族とは長い間戦争中の状況のため、商人の伝手をもってしても、現在の状況で入手することは不可能ということらしい。申し訳なさそうに結果を伝えてくれる叔父さんを他所に、私はある決断をしていた。

取り寄せ出来ないのなら、私が直接人界に行って採取してくれば良いのだと。



 当然ながら人族が暮らす人界に、魔族の私が行けばどんな仕打ちに遭うのか分からない。

両親からは幼い頃、人族は野蛮で乱暴な種族で、関わってはいけない存在だと口を酸っぱくして教えられていた。最悪見つかってしまえば、良くて奴隷として人身売買されるか、下手をすればその場で殺される可能性もある。そんな場所に私が行くと言えば、叔父さんは必ず反対してくるだろう。

でも、このまま高熱に苦しむ弟の姿を見続けることは、私には耐えられなかった。


そこで私は、叔父さんの目を盗んで旅の支度を整え、置き手紙を残して人界へ月下草を採取してくる事にした。

幸いこの3年間、叔父さんから厳しい魔法の鍛練を受けていたので、腕にはそれなりの自信があり、どんな魔物だろうが野蛮な人族だろうが、返り討ちにしてやろうと思っていた。


私は自らの翼と風魔法を併用し、途中の小さな無人島で休憩を挟みつつ、海峡を3日掛けて渡り切る事が出来た。

しかし、人界の大地に降り立つ頃には、魔力も体力も限界でフラフラになってしまった。

しかもタイミングが悪いことに、弱っている私を狙って、1体のグリフォンが現れたのだ。それでも最後の力を振り絞り、奇跡的にそのグリフォンの右目に傷を負わせると、戦意を喪失したのか、グリフォンは私から離れて行った。


しかし、代償として私の身体には、鋭い爪による攻撃で防具を引き裂かれ、深い傷を負い、出血も相まって意識も朦朧とする状態に陥ってしまった。

私は傷を癒すために小さな泉に降り立ち、予め用意していたポーションを飲むも、傷が深過ぎて完全に治すことが出来なかった。

そうしてそのまま徐々に意識が薄れていき、最後に弟に会いたかったと後悔を滲ませながら、私は目を閉じた。



 次に目を覚ますと、綺麗な金色の瞳をした幼い少年が、私の顔を覗き込んでいた。

見た目から私と同い年位で、なんとなく人好きのするような顔立ちに少し安心したが、やがて意識が覚醒してくると、少年が魔族ではなく人族であることに気づいた。


恐怖心に駆られた私は、叫び声を上げて逃げ出そうとしたが、身体が上手く動かず、倒れそうなところを少年に抱き止められた。

私は余計に混乱し、なんとか少年の腕から逃れようと、爪を立てて少年の背中を乱暴に掻きむしった。

少年は僅かに呻き声をあげるも、優しい声音で「大丈夫だよ」と何度も私に囁いてくれていた。

私は混乱した頭から少しずつ冷静さを取り戻し、今自分が置かれている状況を把握することに努めた。


情報収集の為、目の前の少年と挨拶を交わして、自分の置かれている状況を認識していった。もちろん、相手は乱暴で野蛮な人族なので警戒は怠らない。いつ襲いかかられてもいいように、魔法の発動準備は常にしていた。


しかし、ライデルと名乗った少年からは敵意や悪意を全く感じなかった。それどころか、私が爪で背中を傷つけてしまったことを笑いながら許してくれたのだ。


ありえない、と思った。幼い頃から教わっていた人族とは思えないような言動に、私は再び混乱してしまう。

私を他の人族から匿い、傷を癒すために安くないポーションを毎日飲ませ、献身的に看病してくれるライデルと名乗った少年に、私は次第に心を許していった。



 傷が癒え、私が人界に来た理由を彼に話すと、彼は月下草の場所を知っているという。まさかの幸運に喜んだが、なんと月下草が生えるその場所に、5体以上のグリフォンが生息しているというのだ。

その事実に嘆く私に、彼は更に驚きの提案をしてきた。そんな危険な場所に、何の見返りも求めず、私に協力してくれると言うのだ。


普通なら何か裏があるのだろうと疑うべき言葉も、たった1週間程の時間だったが、彼の姿をじっと見ていた私には、彼が本当に善意で申し出てくれているんだということが分かった。

彼の優しさを利用するようで申し訳ないと思ったが、グリフォンの事を考えると、私には他に取れる手段がなかった。だからこそ、私の方から改めて彼に協力をお願いして快く承諾してくれたときには、人間相手に不覚にも、感謝の想いで涙が溢れた。



 それからお互いの実力を高めるために、私は彼に魔法を、彼は私に剣技を教え合うことにした。

私は身体強化は苦手でも、剣技の基礎は叔父さんから教えられていたので、問題は彼をいかに鍛えられるかだと考えていたが、彼の実力は同じ8歳にしては驚くべきものだった。


なんと、歴史上たった一人しか適正がなかったとされる雷属性魔法に適正があったのだ。これには彼自身も驚いていたが、私は驚愕のあまり言葉が出せなかったほどだ。何故なら私の住んでる国では、雷属性が使えれば魔王になれると言われるほどの偉大なことなのだから。

彼が魔王になることは人族である以上あり得ないことだが、私にとって嬉しい誤算だった。これでグリフォンの対策に、ある程度目処がつきそうだったからだ。


しかし驚くべきは更にあり、なんと彼は独自の身体強化方法を編み出していたのだ。

通常、身体を巡る血液のように魔力を循環させるところを、彼はそこから更に肉体に浸透させてしまったのだ。

彼の力を借りてその感覚を体験することができたが、正直に言って私が自分で再現するのはかなり難度の高い技術だと感じた。


それはまるで筋肉の一つ一つ、すじの一つ一つ、細胞の一つ一つに染み込ませているような緻密な魔力制御を必要としていたので、短期間でこれを習得するには、途方もない努力が不可欠だ。

それでも、この技術を身に付けることが出来れば、私は今までの私より確実に強くなれることが実感できていた。


もしこの技術を極められれば、今までは不可能とされていた、魔法と身体強化を同時に発動することが出来るということだ。

それが出来れば、戦いにおいてかなり応用が効く為、諦めずに鍛練していこうと心に決めた。


 そんな彼との鍛練は、とても楽しく過ごすことができた。それは自分の成長が実感できているという理由だけでなく、彼の醸し出す優しい雰囲気や、彼の作る美味しい手料理、本当に私の事を思って掛けてくれる温かい彼の言葉、そんな彼の全てが、私に今まで感じたことのない感情を抱かせ始めていた。


(でも、私は魔族で彼は人族・・・お互いが戦争をしている今の状況で、この想いが成就するなんてありえない・・・彼は魔族に対して憎しみや敵意は持っていないようだけど、もしこの気持ちを口にして彼から拒絶されたら・・・)


そう考えると、とても彼に自分の想いを告げる勇気は出なかった。なにより、彼が私の事をどう思っているのか分からないのだ。

彼はいつも優しげな表情を私に向けてくれるが、それは私以外の誰にでも向けているものなのではないかと考えるだけで、酷く胸が締め付けられる。

私に対する最初の印象も最悪だろう。なにせ私は彼の背中に爪を立てて、傷を負わせてしまっているのだ。


そんな事をする女の子を彼はどう思っているのか、野蛮で乱暴な女だと思っているのではないかと不安で仕方ない。


(あぁ、女神フォルトゥナー様・・・私はいったいどうしたらいいのでしょう・・・)


 そんな葛藤を抱えながら彼と鍛練を始めて10日が過ぎた頃、いよいよ私達は目的の月光草を採りに向かう事にした。

そこに待ち構えているであろう、グリフォンの群れと対峙すべく、私達は準備を万全に整えるのだった。

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