第一節 始まりの記憶

 まどろむ意識の中、声が聞こえた気がした。ぼそりと無機質なモノが発したような声。恐怖を感じさせ、でも何故か安心もする。その何かの声が耳に入った時に、私の意識は目覚める。


「う、うーん」


 重い瞼を開き、寝起きのぼやけた目で見えた直線状に映るそれを視界に入れた。入れてしまった。最初に見るべきモノがそれだった事に少しばかりの後悔を感じながら、なぜ自分が後悔しているのかが分からないから頭が理解しようとして、余計にそれを見てしまう。


「きれい」それを見て最初に浮かんだ感想はそれだった。美しいモノを褒める言葉、確かそうだった筈。


 青くて、丸くて、そして何より輝いて見える。美しい。綺麗だ。そう、綺麗なのだ。


 それなのに、なぜだか少し恐ろしいモノの様にも思えてしまう。


 なんでそう思うのか、それは今の私では理解が出来ない。きっとこれから先の私にも理解する事は出来ないのだろう。だって、私が最初に見てしまったのがそれだったのだから。


 この時、私に取っての基準は確定してしまった。そんな気がする。まるで、目を覚ます前までは、そもそも基準が無かったかの様な不思議な感覚。


 何も無いから、一つ有るに変わった新鮮な感覚。


 無から有が生まれた様な、凄い事が起こった様な感覚。


 空に浮かぶ、青に似た色をした星を見て、感情を憶え、己を理解し、形作られる。


 青き星の光を一身に受け、まるでその光を移すかのように瞳が熱くなり、そして、ようやく今、私は自己を得た。


「おや、君の瞳もあの星と同じ色をしているんだね」


 突然掛けて来られた声に反応して、身体がビクリと動く。唐突な出来事、故にまだ状況が把握出来て居ない。


 急いで周囲を見回して、声の主が敵かどうか確認しなければ。


 頭の中はそれで一杯に成っていた。


 だから、思ってしまった通りに首を動かして周囲を目に映す。


 視界に映る光景が、青く輝く星の光から一面に広がる青暗い水に切り替わった。


 そこでようやく私は今、水の上に浮かんでいる事を理解する。状況を理解した途端、突然視覚以外の五感が機能を開始しだす。


 身体の殆どが冷たい水に浸かって居る事が理解出来た。風が当たる場所で水に浸かって無いのが殆ど顔だけしか無い事が理解出来た。何故だか口の中がしょっぱい事を理解出来た。付近の匂いが一つしか無い事を理解出来た。


 そこまで理解した後、何より一番理解したく無かったことを理解してしまう。


 私は泳げないのだ。正確には泳いだ事が無いが正しい。


 だから、余計に焦ってしまった。顔の向きを変えた時にバランスを崩して徐々に沈む自身の身体を目にして、早急に今の状態から脱却しなければと思い、手足を動かす。


 それが余計に不味かった。正しい動かし方を知らない私はただ必死にジタバタと手足を動かす。だけど結局それで変化したのはバシャバシャと周囲の水面が激しく揺れていると言う事だけ。


 むしろ動く前寄りも悪化して、どんどんと身体が沈んで居る速さが加速している様にも感じる。このままでは行けないと思いつつも、それ以外の方法を知らず考える脳を持たない私には、今の悪手を続ける事しか出来なかった。


 そんな、最悪な状態の私に、先程の声が冷静に、諭すかの様に言葉を掛けて来る。


「落ち着いて。今のままでは余計に沈んで溺れてしまうよ。溺れない為には先ず……」声はゆっくりと丁寧に水に溺れない為の方法を教えてくれて居るんだと、頭では理解出来る。


 だけど、私は見知らぬ声が「溺れてしまう」と言う言葉を言った瞬間から、徐々に沈み掛けている自身の身体を目にした以上の恐怖を感じてしまった。


 その為、先程以上に必死に手足をバタつかせて水から逃れようと動く。この時には既に、声の存在の事なんて頭から消えて居ていた。


 とにかく生きる為に、水から逃れようと無益な労力を費やし続ける。でも、そんな事を繰り返していれば疲れて来てしまう。手足に力が入らなく成って、バタつかせる動きも遅く成って行く中で、当然の様に私の身体が沈む勢いは増して行った。


 そして、遂に顔が、頭が、水の中に入ってしまった。


 ゴポッと口から泡が出るのが見える。体内に水が容赦無く入って来る。水面を通して星の光が揺れて見える。


 沈む身体に比例して私の意識も徐々に薄れて行く。私、このまま死んでしまうのかな。まだ何も知らないのに。まだ何にもして無いのに。まだ生きて無かったのに。


 様々な後悔が入り乱る。でも、それもきっともう直ぐ終わるのだろう。だって私は此処で終わるのだから。


 最後を悟ったその時、声が聞こえた気がした。水の中に居るせいか、何を言っているのかは解らなかったが、私の事を心配している様には感じる。


 まだ誰とも話した事の無い私を心配してくれる人物が居た事に驚きは感じたものの、それを知ってももう遅いと諦めて目を閉じた。耳を塞いだ。疲れた手足をこれ以上動かす事をやめた。


 これでおしまい。私の物語はここで終わるんだ。


 心の中で私は、なぜかそう口にする。


「あきらめるな」誰かの声が聞こえた気がした。


 その直後、突然手足が引っ張られている様な感覚を感じる。そして、何かが私のお腹に絡み付いて来る。まるで、力を加え過ぎてしまわない様にと慎重に絡まるそれの行く末を待つ。どうせ私には何も出来ないからと、諦めた心のままで。


 そんな私の心に活を入れるかの様にもう一度声が聞こえる。「あきらめるな」と。今度のは、まるで乞い願うかの様に必死な声。


 その声が耳に入った瞬間、折れていた心が修繕されたかの様な感覚が全身に駆け巡る。

諦めていた先程までの自分は、どこへやらとでも言うかのように、生きたいと強く願う。


 そして私は閉じた目を開く。同時にザッバーンと言う何かが水から上げられたかの様な音が耳に入る。


 見開いた目に先ず映ったモノは、最初に見た青く輝く星の光だった。


 先程まで水の中だった筈なのに、今は水の外に居る。ゴホゴホと体内に入った水を吐き出し、空気の通り道を確保して冷静さを取り戻したと言うのに、状況の判断は直ぐに出来ずに混乱して固まっていると、何処からか声が聞こえて来た。


「どうか落ち着いて欲しい。君が先程の様にヒトの話を聞かずに暴れられては、誤って危害を加え兼ねない。君の身体を傷付けるのはこちらの本意では無いのだから。それに君だって痛い思いはしたく無いだろう」


 落ち着いた無機質な声。でもどこか優しさの様なモノを感じさせるその声を冷静に成った頭で聞いた私は、声の主が敵では無いと判断して、一先ず抵抗をしない事にした。


 私が身体を強張らせずに声の主が発する次の言葉をじっとして待っていると、声の主は、私にもう暴れる意思が無い事を理解してくれたのか、空中に上げられていた身体を水面まで降ろしてくれた。


 一連の動作から、私を助けてくれた人物が声の主である事は察する事が出来たのだけど、手足やお腹に絡み付いたモノを見るにどうも人では無いらしい事が分かってしまう。


 私の身体に絡み着いていたのは、吸盤の付いてない蛸の足みたいな形状をしている。でも、不思議とソレを見ても恐怖を感じることは無かった。


 そして、身体を水面に降ろされた後、私は声の主の指示に従って、水に浮かぶ事に成功する。ちなみに水に浮く為の秘訣は、全身の力を入れすぎないようにして力まず、顎を天に向かって上げることなのだとか。顎を引いてしまうとバランスが崩れてしまうと言われた。身を持って体験したので、今からはバランスを崩してしまわないように気を付けている。


 だから、私は再び青い星を目にしている。


 そんな私に向かって目に映る様に、先程まで手足やお腹に絡み付いていた声の主の触手が水面からやって来て、コミュニケーションを取るかの様に手を振って来た。


 それにつられて私も手を振り返す。もちろん、バランスを崩してまた溺れてしまわない様、慎重に気を付けながら。


 だけど、こちらが手を振り返しても、触手の反応に一切の変化は無く。声も発してくれない。もしかして今は私の状態を見えていなかったりするのかな。


 まぁそれはともかく、助けて貰った以上は礼を言わないと行けないんだったと言う事を思い出す。


「あの。たすけてくれて、ありがとう」視界に映る触手に向かって、そう口にする。すると、触手は手を振っている様な動作をやめて、ピタっと止まった。


「別に態々感謝の言葉を述べる必要は在りませんよ。それに先程も言った様に思いますが、君が傷付く事はこちらにとっても本意では無いだけですから」相変わらず落ち着いた無機質な声でそんな事を言って来る。


「それでも、たすけてくれたことに、かわりはないでしょ。だから、わたしがいいたいから、かってにいうの。たすけてくれてありがとうって」


 私の言葉を聞き終えた声の主は、特に何も言わなくなってしまった。会話が途切れてしまった事で、少しだけ気まずさが辺りを漂う。


 このまま無言の状態が続いては、私の方が参ってしまいそうなので、こちらから積極的に話題を探して話して見る事にする。先ず手始めに何から聞こうかしら、と頭を捻っていると、まだ声の主の名前を聞いて無い事に気が付く。


「あなたはだぁれ?」名前を聞くつもりで、言った言葉がそれだった。言った後で、名前はなんて言うのって聞いた方が伝わり易かったかな。と小さな後悔をするが。そんなこちらの事情等、知らない声の主から返答が来る。


「それは、名前を聞いていると言う事か。だったら、残念だが答えられない。何せ個体名は所持して居ないのでね」


 声の主は、無事私の求めていた答えを返してくれた。でもそれは納得いく様な答えでは無かった。何せ、名前が何か聞こうとして返って来た答えが、名前が無いと言われたら、誰だって反応に困るというもの。


 案の定、私も反応に困って次の質問が思い浮かばなく成ってしまった。


 そんな私に声の主が、先程聞いた私の質問と同じ内容の質問をして来る。


「こちらも問おう。君は一体何者だ?」声の主からの始めての質問。当然私はそれに直ぐ答えようとした。でも出来なかった。


 だって、私は、私には名前が無かったのだから。そもそもの話、私は自分の事を何も知らないのだ。言葉や生物についての知識等は持っているのに、こと記憶に関する事は全て思い出せない。


 私が知っていて覚えている最初の記憶は、私が此処で目覚めてからのモノしか無いのだった。


 そのせいで、私は何も答える事が出来なかった。


 声の主の質問を何度も頭で巡らせながら、何も無いと言う事実に気付かされる。もしかしたら、うっかり今の間だけ忘れてしまっているだけなのかもしれないと考えて、思い出そうと努力もしてみた。


 でも、やっぱりダメだった。何度目覚める前の事を思い出そうとしても、何も出て来なかったのだ。


 だから、私が振り絞ってだした言葉は「わたしは、だれなの」と言う自身に対しての問。疑問

を言葉として発する事しか私には出来なかった。


「ふむ。名前が無いでは無く、自分が何者かも分からない様だね」私の言葉に反応して、声の主がそんな事を言って来る。


 私はそれに対して「うん」と、頷く事しか出来なかった。


「もしかしたら、今の君は記憶喪失と呼ぶ様な状態に成っているのかもしれないね」


 私が頷いた後に、声の主は少し考えているかの様に時間を置いた後、そんな言葉を掛けて来る。私がそれに対して「きおくそうしつ?」と返すと、声の主は落ち着いた声で記憶喪失に付いて簡単な説明をしてくれた。


「記憶喪失と言うのは、その呼び名の通り、記憶を喪失。つまり以前まで所有していた記憶を失い思い出す事が出来ない状態のことを言う。だから、君は名前を思い出す事が出来ないし、自分の事も思い出す事が出来ないのであろう」


「だけど、わたしはあなたと、はなしているじゃない。きおくがないなら、はなすこともできないんじゃないの」


「記憶と言うのは、幾つか種類があるモノなのだよ。君が話を出来ているのは、言語に関する記憶を失って居ない事の証明でもあるね。つまり君が失った記憶は言語に関する記憶以外の記憶を失っているのだろう」


 声の主が話した説明に依ると、私は自身に関する記憶と自身が体験した筈の過去の記憶を失っている事に成る。


「わたしが、なくしたきおくは、どうしたらもどるの?」


 声の主は、私が知らなかった記憶喪失と言うモノを知っている。なら、その記憶喪失で無くなった記憶の戻し方も知っているんじゃないかと思い尋ねてみた。


「すまないが、記憶喪失の者がどうすれば記憶を戻すのかは知らない。だが、記憶喪失に成った原因に心辺りはある。君が来訪者だからだ」


「らいほうしゃ? なにそれ」先程と同じ様に私は、知らない言葉に付いて尋ね返す。


「来訪者。今居るこの世界とは別の世界からやって来た者の事を我々はそう呼ぶのだ。自分の意思で世界から別の世界へと、渡る行為は危険を伴うと聞く。君が別の世界から、この世界に自身の意思でやって来た場合、危険な目に遭い、それを原因に己の記憶を失ったと推測する」


 声の主は、相変わらず落ち着いた無機質な声でそう私に説明して来た。


 でも、今回は知らない言葉が多くて先程、記憶喪失に付いて尋ねた時の様に情報の整理が直ぐには出来ないで居た。来訪者? 別の世界? 世界を渡る?


 混乱する頭の中で、必死に声の主が言った言葉を理解しようと務めるが、新しい情報が連続で入って来るからか、やっぱり直ぐには理解出来ない。情報の整理をしようと頭を回転させているからか、おでこの辺りが熱く成って来たような気すらして来た。


 そんな私の姿を見てか、声の主の手と思われる触手の一本が、溜め息でも付いているかの様に、やれやれと左右に揺れてから徐々にこっちに近付いて来る。


 そして、私のおでこに触手の先端をピトッと置いた。触手は思っていた以上に冷たかったが、熱が出て来たおでこには丁度より冷たさで気持ち良いい。


「今から最低限の情報共有を行う」声の主がそう言ったかと思うと、おでこに置かれた触手がフルフルと小刻みに揺れ出した。


 そして、次の瞬間、バチンと全身を電が流れたかの様な感覚が襲う。ビクリと手足が反応して動いてしまい、一瞬バランスを崩してしまうが、予めそうなる事を想定していたのか、下から触手が私の身体が沈まない様に支えてくれたお陰で、再び溺れてしまう事は回避出来た。


 その一方で、先程の電が流れたかの様な衝撃以降、頭の中は、誰かが態々整理してくれたかの様にすっきりとしている。


 私が、自身の状態の変化に戸惑っていると、頭に置かれていた触手が離れて行き、水面から出ている触手の全体が目に映る場所で止まったかと思うと、再び声が聞こえて来た。


「気分はどうかな。来訪者や複数存在する世界に付いての基本的な情報を君の脳内に送信した次いでに、君の脳回路を正しく配置し直したけれど。気持ちが悪く成ったりはしてないかな」


 声の主は、サラリととんでも無い事を言って来た。他人の脳に直接触れずとも好き勝手弄るなんて事が出来る生物は、私の知る限り一匹たりとて存在しない。そんな事が出来るのなんて神様ぐらいのモノなんじゃ無いだろうか。


「気持ち悪くは無いよ。でも……、えっ!」私は声の主の返答に答えようとして、口を開く。すると先程までの自身の声とは思えない程に流暢は口調で自身が話している事に気が付いた。


 思わず自分の口元を抑える。戸惑いながらも確認の為、もう一度声を出してみた。


「兎、兎、真っ黒兎。空へ飛んでどこへ行く。三の山越えてどこえ行く。純白の心を抱えた真っ黒兎」


 頭に浮かんだ私が唯一知っている唄を謡う。それで確信した。少し前までの私ならこれ程までに流暢には謡えて居なかった筈だ。だって自分の事なのだから良く分かる。


 少し前の私にはこの唄を一度も途切れずに謡うことは不可能だった。だけど今は途切れること無く謡う事が出来ている。


 原因なんて考えなくても解る。声の主が触手を使って何かしたからなのだろう。


「ねぇ。これも貴方がやったの?」私の問いに、声の主は「何のことだ」と聞き返して来る。


「さっきまでの私なら、唄なんてまともに謡えなかった筈なのよ。それなのにこうも流暢に話せるように突然成るなんて、原因は貴方以外に考えられないじゃない」


「あぁ、その事か。なに。これから暫くの間、君との会話を楽しむ為には必要な事だと考えてね。余計な気遣いだったかな。それなら戻す事も可能だが」


「余計じゃ無いわ。ありがとうって言いたかったのよ」正直な所、さっきの様な脳を弄られる様な事を何度もされるのは、実害が無かったとしても気分が良いものじゃない。


 だけど、感謝してない訳でも無いのでお礼はちゃんと言う。助けてくれたらお礼を言うのは当然の事だもの。それをしないと怒られてしまうわ。……あれ、誰に怒られるのだったかな。


「声が流暢に成った事はともかく、肝心の来訪者や世界に付いての基本的な情報の方はちゃんと受信出来ているか」


 声の主が、当初の目的で有った情報の共有が成されているのかを聞いて来た事で、私はようやく話が逸れてしまっていた事に気が付く。


「えっと。そうだったわね。…………。来訪者は他の世界から来た知的生命体の事。そして、今私達が居るこの世界の他にも沢山の世界が存在すること。それに世界と別の世界が繋がっている見えない孔を通らないで、こっちの世界に来るのは危ないって事。うん、大丈夫。全部理解出来るわ」


 私は、声の主から送られて来た頭の中に有る情報をそのまま言葉にしてみせて、理解出来ている事を示す。


 実際の頭の中に存在して居る情報は、もっと複雑で例えるなら何層も重なっているミルフィーユケーキ見たいなもの。だと言うのに私がスラスラと簡潔に纏めて説明出来るのは、きっと声の主が脳回路を正しく配置したって言うのをしてくれたお陰なのだと思う。


 私の答えに、声の主は満足した様子で触手の先端を曲げて縦にうんうんと頷いているような動作をしていた。


 そんな声の主の反応を見て、またさっき見たいに頭の中を弄られずに済んでホッとしたんだけど。そんな中、私の中ではとある疑問が湧いて出て来ていた。


「私の知らない事を教えてくれるだけじゃ無くて、流暢に喋れる様にしてくれた事にも感謝はしているわ。でも気に成る事があるの」


「ん? 何が気に成るんだい」


「どうして、私をこんなに助けてくれるの」


 考えて見れば、この声の主は最初から私の事を助け続けてくれていた。私が溺れた時も、知らない言葉を尋ねた時も、それに少し御節介が過ぎる様にも感じるけど私の頭の中を整理してくれたり、流暢に喋れる様にしてくれた事も全部。私ばかりが得している事なのだ。


 一方的に何かをされるのって凄く怖い。助かって居てもやっぱり怖い。だから、声の主がどうしてここまで私の助けに成ってくれるのかを知りたくて聞いた。


 すると、返事は直ぐに返って来た。それも意外なほど単純な理由で。


「どうしてって。そんなの君ともっと話をしたかったからだよ」


 想定して無かった返事に戸惑う私を他所に、声の主は語り続ける。


「君が溺れない様にしたのも、君と話をする為。君が分からない言葉を教えたのも、君と話をする為。君を喋り易くしたのも、君と話をする為だよ」


「で、でも話をする為なら、なんで私の頭に、来訪者とかの情報を送信して来たの。会話の中で教えてくれれば良いじゃない」


「それも当然、君と話をする為だ。話の途中で何度も説明を間に入れて居たら、時間が勿体無いじゃないか。君とは説明じゃなくて会話がしたいんだよ」


 声の主の言葉に驚きはするものの、間違った事は何も言ってない様に感じたので、納得してしまう。でも、そうだったのね。と言う前に、声の主に確認したい事が有る。


「どうして、私とそこまで話をしたいと思ったの」


 私の素朴な疑問に対して、声の主は直ぐには答えを返してくれなかった。少しの間沈黙が辺りを支配して、私が耐えきれずに「答えたく無かったら、言わなくても良いのよ」と言おうと口を開く直前に成って、ようやく返事が来た。


「君と友達に成る為だ。友達と言うのは沢山会話を重ねるモノなのだろう。かつて、我が主は、一人の人間と友達と言うものに成った。だけど、主と違い産み落とされた我々には、友達と言うものを持った事が無い。だから知りたいのだ。だからこそ君と友達に成りたいのだ」


 声の主の言葉を聞いた。声の主の想いを聞いた。そしたら自然と私は自分の口からある言葉を零していた。


「私と友達に成りましょう」


 自然と出た言葉。その言葉を口に出した瞬間、私はある事を思い出した。思い出してしまった。思い出したく無かった事だった。自然と涙が流れて来る。


 そうか、私は友達が欲しかったんだ。ずっと、ずっと前から、そればかりを一心に願っていた自身の姿を思い出してしまう。ボロボロの布を着て、沢山の人間に蔑まれながら生きていた惨めな自分の姿を。


「友達と言うのはそんなに簡単になれるものなのか? 会話を重ねる必要が有ると聞いていたのだが。その必要は無い?」


 私の言葉に反応して来た声の主による質問を耳にして、嫌な思い出から現実に引き戻される。その時には既に、先程まで思い出してしまっていた記憶がどんなものだったのかは、もう私の中からは消えて無くなっていた。


 だって、私はもうあっちの住人じゃ無いのだから、思い出す必要が無い、過去の記憶なんて要らない。今は、此処に友達が居るんだから。私とお話をしてくれるヒトが居るんだから。


「必要大ありだよ。友達に成るには一杯お喋りしないと行けないし、友達に成ってからも一杯お話しないと。貴方だって友達は今まで居なかったんでしょ。だったら私と沢山お話しないとダメなんだよ」


 流した涙をそっと拭って、私は元気な声でそう声の主へ返事する。


「そうか。先程までの行為が無駄では無くて良かったよ。……これで、君と友達に成る願いは達成した。なら、次は君と最後まで話をする願いを叶えよう」


 少し引っ掛かる言い方をする声の主の言葉選びは気に成ったものの、私も生まれて始めてのお友達ともっとお喋りがしたい気持ちが強かったから、あえて言及はせずに声の主と何を話そうかと言う事を考え出す。


 最初は取り留めの無い話を「ねぇ、ここの空には雲が無いのかしら」「基本的には無いな。雲は星の光を遮るからと我が主は創らなかった」


「いろんな形の雲が見れたら面白いのに」「だったら、いずれ君が創れば良いだろう」「雲って創れるものなの」


 次は、互いの事を「ねぇ、貴方は好きな物って有るの」「好きの定義にも依る」「定義? ってのは分からないから、貴方が好きだって思った物なら何でも良いよ」


「ふむ…………ならば我が主だな。それと空に浮かぶ星。それから……先程、君も加わった。君には好きなものは有るのか。……あぁすまない。思い付かなければ答えなくとも良いぞ」


「態々気を使わなくっても良いわよ。私は、そうね……私も貴方と同じ物が好き見たい。貴方の主? ってヒトの事は知らないから好きかどうか分からないけど、私もあの星と貴方の事は好きよ」


 そして、沢山の話をした。沢山の事をお互いに言い合った。下らないこと、取り留めも無いこと、お互いのこと、声の主は質問を考えるのが苦手なのか、結局私ばかりが話掛けている事の方が多かった気がするけど。とっても楽しかったわ。


 そうやって色々な事を話ていると思っていたよりも、あっという間に時間と言うのは経つものらしい。声の主と話している途中で私のお腹は、ぎゅるるるって鳴り出しちゃったの。


 此処には、声の主しか居ないし、彼? がそれを気にしないのも話していてなんとなく察する事は出来た。それなのに、私は無性に恥ずかしく思えてしまって、思わず顔を隠してしまう。


「腹が空いたのか」声の主は、何でも無い事の様に尋ねて来る。


「す、空いて無い」何の意地なのか、お腹を空かせていると思われたく無い一心でそんな事を口走る。お腹が鳴った時点でバレている筈なのに。


「何に意地を張っているのだ。お前達の様な生命体は他生命体を接種して自身の活動エネルギーに変換するのであろう。当然の生理現象なのだから恥じる事など無いであろう」


「レディはお腹が空かないモノなの」恥ずかしさのあまり、自分でも何を言っているのか分からない事を口走ってしまう。


「そんな事は在り得ない。我々と違って君の活動エネルギーは他生命体を接種しなければ行けない構造なのは、脳回路を整理する際に認識している。君に死なれるのは困るのだ。だからこれを食べろ」


 声の主は、そう言ったかと思うと水上に出していた触手を私の胸の上くらいの位置に移動させて、空中でグルグルと円を描きだした。


 一体何をしているのだろう。私はその触手の先へ視線を向けて居ると、突然触手の先端が光を放った。


「眩しい」突然の発光に思わず目を逸らす。


 ようやく光が止んだかと思うと、ポトリと私の胸の上に何かが落ちて来たかのような感触がした。


 逸らしていた目を自身の身体へと向けると、そこには一つの果実があった。


「え、何これ。さっきまでこんなの無かったよね。もしかして貴方が用意してくれたの」 声の主に尋ねる。だが、返ってきた返事は「さっさとそれを食べるんだ。君に死なれたら困る。非常に困るのだから」なんて言葉だった。


 急かすように触手でグイグイと私の顔へ果実を押し寄せて来るものだから、仕方なく手で取って食べる事にする。


「別に、少しの間食べなくても大丈夫なのに」もっと沢山話がしたいから、そんな文句を口にしながらも、パクリと一口果実に噛り付く。


 口一杯に酸味の強い果汁が広がる。「酸っぱい」思わず口に出るほどにまで酸っぱい。


「脳回路の整理途中で確認した、君に不足している栄養価を補える食べ物だ。何も食べないよりかは、死ぬ確立が減るのだから全部食べるんだ」


 この果実を全部食べないと、お話の続きはしてくれないらしい。仕方ないので私は口を大きく開いてパクパクと果実を食べ進めて行く。


 声の主曰く果実の皮は特に栄養価が高いからと、実だけで無く皮までもを食べる嵌めに成ってしまった。全て食べきる頃には、口の中は果実の酸味で一杯に成っていて、通分の間は何を口に入れても酸っぱいとしか感じ無さそうに成ってしまった。


「うぅ。まだ酸っぱいよぉ」食べ終えてから一時間程経っても、口の中に残る酸味が取れる事はやはり無く、そんな言葉が口を付いて出る。


「だが、変わりに君が腹を空かせて直ぐに死ぬような可能性は少なくなったのだ。だったら口の中に残る酸味など、死と比べれば大した問題でも無いだろう」


「うぅ。貴方は食べて無いからそんな事を言えるのよ。貴方だってさっきの果物を食べれば同じ反応をするに決まっているわ」


「残念だが、味覚の機能は備わっていない。それに食事も必要としないこの肉体に、君に渡した食べ物を入れた所で、同一の反応を得る事は出来ないよ」


「食事を必要としないって。貴方はお腹が空いたりしないの」


「その通りだ。この肉体に食事は必要ない。何故なら君の様に食事で活動エネルギーを得ている別けでは無く、魔力を活動エネルギーとしているのだからな」


「そうなんだ。それじゃあ一緒にご飯を食べたり出来ないのね」


 誰かと食事をするのって憧れだったのだけど……。ダメダメ。友達が出来ただけでも十分じゃない。高望みなんて私がして良い筈無いわ。


 少し残念そうに呟いた私の言葉。その後、心の中に居る貪欲な私を叱っている最中に、声の主は思わぬ言葉を投げかけて来る。


「この肉体の構造上、今君と食事をする事は出来ない。だけど、君のその望みくらいなら数日後にでも叶えて見せよう」


「え。それってどうやって?」思わぬ返事に驚きながらも、誰かと一緒に食事をすると言う願いが叶う期待から、急かす様に声の主に尋ねる。


 だけど、声の主は「それは、当日までの秘密だ」と語るだけで、教えてはくれない。


 その言葉を聞いて私は早くその日が来ないかな、なんて思いを片隅に置きながら、再び声の主との会話に花を咲かせる。


 そんな会話が暫く続いて、泳ぎ方を教わったり、此処の世界には居ないけど、別の世界で生きる海の生物達に付いて教えて貰う。


 教わってばかりでは会話に成らないからと声の主は私に都度、教えて貰った事についての感想を聞いて来たり、自身が同じ生物としての立場ならどう行動を取るのかなんて質問をして来る。


 その質問に私は足りない頭で質問の度に、捻りだした答えを言って行く。その答えはどれも、頭の良い回答とは呼べないモノばかりなんだと自分でも思う。


 だけど、声の主は私が答えた事全部に「ほぅ」とか「そんな考え方をするのか」なんて言って返して来た。その様子から私が正解を言うのを期待しているんじゃ無くて、私が、どう思って何を感じたのかを聞くこと事態が目的らしい事が分かる。だから私も正直な感想だけを口にした。


 だって、そうする方が声の主が喜んでくれそうだったから。


 そうして、何度も話しを続けていると私の瞼は勝手にゆっくりと下に降りて来出した。


 うとうとする私の様子に気付いてか、声の主は「一度、休眠すると良い」と提案してくれる。

だけど私は、もっとお話がしたいからと頑張って起きていようとするが、やはり睡魔には勝つ事は出来ずにぐっすりと、声の主が用意してくれた触手のベッドで眠りに付くのだった。


 次の日、目を覚まして始めに視界に映ったモノは、夜空に浮かぶ青い星の光。もしかして、丸一日近く寝ていたのだろうかと驚いてしまう。だって、昨日と星の位置がまったく同じ私の真上にあるのだもの。


「目が覚めたようだね。こういう時は確か、おはよう。そう言うのだったかな」


 私が起きてすぐ、声の主はそう声を掛けて来る。それに対して私が遅れて「おはよう」と返すと。こちらが起きている事を理解したからか、ベッドに使っていた触手を一本、また一本と除けて行く。


「もう少し、このままでも良いのに」優しく抱きかかえてくれている様で、心の底から安心出来ていたから、離れて行く触手を惜しみながらそう呟くと、声の主は「すまないが、君が危険な目に遭いそうな状況でも無い限り使用する触手の数は最低限にしておきたいのだ。残念かもしれないが、こればかりは我慢してくれ」と返して来る。


 それを聞いて、私はわざと溺れる振りをしたら助けてくれるのかな。なんて悪巧みを頭の中だけで考えて見たのだけど、本当に溺れてしまったら怖く成って実行になんて映せなかった。


 そんな私の心の中でも覗いたかの様に声の主が「もし君が自ら危険な目に遭う振りをしようと、溺れた振りをするつもりなら無駄だよ。君には昨日、泳ぎ方を教えたのだから溺れた振りをされても助けない。無駄なリソースは使わないぞ」なんて釘を刺して来たので、溺れた振りをしようと言った、幼稚な作戦内容すら頭の中からは消え去っていた。


「ねぇ、もしかして此処では、お日様は空に上らないのかしら」


 再び声の主との会話に花を咲かせていると、一向にそこから動こうとしない青い星を見て、一つの違和感を覚える。そう言えば昨日も、あの星が動いた様子は無かった。


 時間が幾ら経っていても、まったく位置を変えないのだ。その事に気が付いて一つの問いを声の主へと尋ねる。


「あぁ。ここでは空は今目にしているモノ一つだけだ。太陽が欲しいのか?」


「欲しいって言うより、お日様が出てないと時間の感覚が分からなく成りそうなのよ」


「そういうものなのか」


「そういうものなの」


 私がそうやって断言すると声の主は「確かに人間は太陽を浴びる時間帯に行動する事が多い生物だったな」と呟いていた。


 そんな声の主の呟きを聞き流しながら私は星空を見続ける。こんなに雲一つ無い晴れた空の日に、お日様に当たれば気持ち良さそうなのになぁと考えている時、ふと、ある事を閃いた。


「そうだ。貴方が果物を出した時見たいに、空にお日様を創り出せば、二人で日向ぼっこが出来るんじゃないかしら」


「太陽を創れと言うのか」


「出来ないの」


「……考えておこう」


「考えるって事は、出来るのね。日向ぼっこも出来るって事よね」


「考えておくと言っただけだ。どちらにしても今直ぐは出来ない」


「そう。分かったわ。だったら私、貴方と二人で日向ぼっこが出来る日を楽しみに待っているわね」


「日に当たるだけであろう。それの何をそんなに嬉しそうにしているのだ」


「友達といろんな事が出来るって考えるだけでも楽しいわよ」


「そうか」


 昨日の様にそんな会話を続ける。


 昨日の様に楽しくお喋りをして、楽しく水の上を揺蕩って、夜空を楽しむ。姿は一向に見せてくれないけど、私は二人でそう過ごすだけでもう満足だった。このままずっと、死ぬまでずっと二人で過ごすだけでも私は満足出来たと思う。


 だけど、そんな未来は訪れなかった。


「明日でお別れだ」一つの会話が終わり、そして今日も終わろうかという時に突然声の主がそう言った。


 私は、あまりに唐突の事過ぎて「え」っと一言を口から零す事しか出来ない。


「この肉体は間もなく朽ちる。君と過ごせる時間ももう僅かだろう」


「嘘。嘘よ。そんなこと私は聞いて無い。だって、まだまだ話したりないし、まだまだ貴方と一緒にしたい事が沢山あるのに」取り乱しながら私はそう口にする。だけど、口が震えているせいか、ちゃんとそう言えたのかは分からない。


「元々死期が近い事は察していた。だが、そんな所に君が来たのだ。だから私は最後に己の願いを叶えてから最後を迎えたいと思ってしまった。そんな身勝手な我儘に君を巻き込んだ事はすまないとは思っている」


「なんで最初に言ってくれなかったのよ」


「死ぬ前に友達が欲しいと言って、打算で友達として振舞われても意味は無いであろう。何故なら、主と人間は会話を重ねて友達に成ったのだ。それに憧れたのだ。だから、君ともそのような関係に成りたいと思った。短い時間でも良い。下らない会話が出来るような間柄が欲しかったのだ。君には迷惑な話だったかもしれないがね」


「迷惑な訳無いじゃない。私、貴方と友達に成れて嬉しかったのよ。本当に嬉しかったの。本当の本当に……私は、貴方と」未だに震える唇で声を出す。だけど中々次の言葉が言えない。友達に成ってくれてありがとう。その言葉を口にした瞬間にもう言葉も交わす事すら出来ない気がして、言葉が、喉に詰まってしまう。


 声の主は、そんな私にもいつもの声で「君と話した時間はとても有意義だったよ」とだけ口にする。


 その後、水上で揺蕩う一本の触手が私の元へと近寄り、昨日の様にピトッと私のおでこに置かれる。


「今から保有する全ての知識を君に譲渡する。本当は話の種として情報を小出しにして行く予定だったが、その時間も無くなったのでな」


「待っ」待ってと言おうとした。会話に拘る彼が話の種になる知識すべてを私に譲渡する。それってつまり声の主が私ともう会話が出来ないと言っているようなモノだ。そう、冗談なんかじゃなく本当に死んでしまう。冗談だと思いたいのに認めさせられる。


 バチンと全身を電が流れたかの様な感覚が襲う。ビクリと手足は反応して動くが、今回も声の主が触手を使って身体が沈まない様に支えてくれた。でも今回は前とは違い明らかに私の身体を支える触手の数が少ない。


 それに触れる触手の力も以前とは比べ物に成らない程力が無い事に気が付いてしまう。それだけで、声の主が本当に死んでしまう事を感覚でも理解してしまう。


 脳がそれを認めてしまう。私はまた独りに成っちゃうんだって。


 沢山の知識が流れ込んで来た。でもそれら全てが私を気遣うかの様にちゃんと整理された状態に置き換わって行く。頭の中は凄くクリアだ。送られて来た情報が、本来は莫大な時間を掛けないと知る事も出来ない様な知識全部が私の頭の中に有る。


 およそ一介の村娘風情が知る筈の無かった事を、一生掛かっても理解出来ないで有ろう知識までもが流れ込んで来た。


 長い長い時間が掛かる。情報の譲渡を開始してから、一体どれ程の時間が経った事だろう。私が元居た世界でなら、もう翌日の朝日が出て来るような時間だろうか。


 一方的に送られる情報の波。私はそれに抗えない。私はそれを避けられない。私はそれを受け入れたい。


 声の主。彼が、どうして私にこんなにも知識を与えるのか、その理由を知識の渦に呑まれながら考える。新たに手に入れた知識を合わせて思考する。理解に努める。


 そして、それを理解したと同時に、知識の譲渡が完了する。


「貴方って、とっても酷い人ね」おでこから退く触手に向かいそう声を掛ける。


「そもそも人では無いがな。だが、酷いか。確かにそうかもしれないな。君を利用するのだから」


「えぇ、本当に酷い。でも許すわ。だって私と初めて友達に成ってくれた人からの頼みだもの。絶対に貴方の願いを叶えてあげる」


「ありがとう」


 声の主はそれだけを口にした後に、水上に出していた触手を引っ込める。そして、私を支えていた触手も一本。また一本と除けて行く。私は離れて行く触手達を惜しみながらも、絶対に忘れないようにと離れる触手の感覚を記憶に刻む。


「貴方の願いは叶えるわ。でも、こんな周りくどい方法をしなくても、私なら貴方から直接頼まれたらきっと、直ぐにでも頷いていたと思うわよ」最後の一本が私の身体から離れて行く時に、私は声の主へそう言う。


「そう、だったかもしれない。でも、それじゃあ会話を重ねれる時間が少なくなってしまう。友達として、誰かと話すのが憧れだった事は嘘じゃない。だから君の言う通り回りくどい方法を取らせてもらった。だが、お陰で楽しめた」


「だったら良いわ。私だって楽しかったもの」今出来る最高の笑顔で私はそう答える。


「それなら良かった。最後に言わせてくれ。ありがとう。お礼に取って置きのプレゼントを用意して置いた。勝手な願いを託して置いて言う事でも無いのだろうが、これから先の君の未来が幸福で有る事を祈っているよ」


 その言葉を最後に、声の主の言葉は聞こえなくなった。私の背中に伝わる彼の気配も下へ下へと遠ざかって行く。


「馬鹿。私は貴方と一緒に居られたなら他に何も要らなかったのよ。それなのに。…………我儘を言う相手は考えないとダメね。だって我儘を言ったらとびっきりの我儘を押し付けて来る酷い人も居るのだもの。良いわ創ってあげる。貴方と貴方の主が求めた楽園ってのを」


 相変わらず空に浮かぶ青い星を見ながら私はそう呟く。誰も聞いて居ない独り言を。


 星空を見上げていた私は一度目を閉じる。


 初めての友達。彼からの頼み事を聞き入れるとは口に出したものの、感情は別だ。


 ようやく出来た初めての友達を亡くしたショックは予想以上に大きい。交流した時間なんて短かった。本当に短かった。経った二日程度の関係。でも、その二日間は私の生きた人生の中で最も濃い二日だった。


 ずっと欲しいと願っていたものを、ずっと憧れていた存在を私にくれた声の主の存在は、私の中でとても大きな存在だった。


 心に何かぽっかりと穴でも開いた様な感覚がする。それを埋めるかの様に幾らでも涙が溢れて来る。何度手で拭っても止まらない。だから私は目を閉じた。


 ずっと声の主と会話を重ねる度に見続けたあの星を悲しいモノだと記憶しない為に。


 それからどれだけの時間が経ったのだろう。泣き続けて時間の感覚も曖昧に成っている。


 不思議な事に近くから波の音が聞こえない。涙を流し過ぎて疲れた結果、音が聞こえなく成っちゃったのかな。ぱっと思い付いた幼稚な仮説を立ててみる。


 そんな筈は無い。だって、ビュウビュウと風が吹く音は確かにこの耳に入って来るのだもの。


 だから耳は聞こえる筈、だったら何で波の音が聞こえないの。


 現状を確認する為に、閉じていた目を開く。


 空には相変わらず青い星が浮かんでいた。いつもの光景でも、どこか違和感を感じる。


 あの星って、あんな位置に有ったっけ。直線状に存在していた筈の青い色をした一際目立つその星は、目線を下げなければ見えない程にまでの位置に移動していた。この世界の空は一つしか無いって声の主が言っていた。だから星そのものが動く事は在り得ない筈。もしかして、声の主が居なくなったから水に流されちゃったのかな。


 周囲を確認する事にした。と言っても辺りは全部水なんだから自分が流されていたのかどうかなんて確認出来る筈も無いと、頭では分かって居るのものの何故だか周囲を見た方が良い気がした為、この良く分からない衝動に従う事にしてみた。


 周囲を確認する。それを行うには、水の上を漂う体勢で有る今の状態から身体を動かして、頭だけを水面に出し、水に対して直立的な体勢に以降しなければ成らない。


 だから私は先ず、広げていた手で水を搔きながら足を水に沈めようとした。そこでようやく今自分の居る場所が水の上では無い事に気が付いた。


「ふぇ」驚く私はそんな情けない声を出すしか無かった。


 下に手を突いて、足を沈めるのでは無く上半身を持ち上げる。掌には柔らかい土の感触が伝わって来る。


 持ち上げた身体を支えながら頭を動かして周囲を確認。視界に広がるのは、茶色や灰色、クリームの様に見える場所も有れば、所々に緑色が混じっている。


 あっちも、こっちも、周囲全土を見渡しても見えて来るのは今までいた水とは掛け離れた色の大地ばかり。


「どういうこと」思わず口に出た言葉。私が泣いて居た間に一体何が起きたのか、それを理解しようと頭を働かせる。すると、嫌な可能性が頭に浮かんでしまった。


「もしかして今までのは夢だったの」声の主。彼と出会った事、会話した事、教えて貰った事、友達に成った事までも全部、夢幻だったんじゃないかっていう嫌な予想。


 でも、地面を見た瞬間にその予想が間違いだった事に気が付く。


「水溜まり?」声の主と過ごした時間が夢だったかもしれない。そんな嫌な事を考えてしまって視線を落とした先で目に映ったモノがそれだった。


 もしかしてと思い、窪んだ地面に溜まった水を手で掬い、ペロっと舌で味を確認する。


 思った通り、しょっぱい。声の主と過ごしたあの場所一面に広がっていた水の味。その味を確認出来てほっとする。あれは、夢なんかじゃ無い。現実だったんだと。


 冷静に成って考えて見れば、私の頭の中には声の主から貰った知識が今も有るのだから、声の主と過ごした時間が夢な筈が無いに決まっているじゃない。


 心の中で自分に説教をしながら、もっと周囲を見る為にその場に立ち上がった。


 今は、星明かりしか頼りに成るモノが無いから遠くの方までは細かく見渡せないけど、陸続きの地面の先には、見慣れた水面が存在する事だけは確認する事が出来た。


 そして、水溜まりが足元だけじゃ無くて至る所に存在する事も。まるで、水の下から地面が出て来た様にも見える。


 そこまで確認が取れた所で、ある言葉を思い出した。


『お礼に取って置きのプレゼントを用意して置いた。勝手な願いを託して置いて言う事でも無いのだろうが、これから先の君の未来が幸福で有る事を祈っているよ』声の主の最後の言葉。


「まったく。取って置きのプレゼントってコレの事なの」


 これから先、君が一人で生きて行くには水の上では不便だろう。声の主がこの場に居たならそんな事を言ったのかしら。


 そんな事を思い浮かべると涙が自然と涙が出て来た。


「貴方って、過保護過ぎるのよ。私こんなの貰わなくても一人でだって生きて行けるのに。だから、もっとお喋りしてても大丈夫だったのに。私の事もっと信用して欲しかったのに。もっと、もっと、もっと……」ボロボロと涙が止まらない。声の主と別れる際に言ってやりたかったけど、押し殺した言葉ばかりが出て来る。


 声の主から貰った知識。その中には当然、声の主が何も無い所から果実を創り出した時の手品のタネについてのモノも含まれている。


 声の主は、魔力と言うものを使って自身が知っているモノを何も無い空間に創り出す凄い能力を持っていた。でも、声の主には魔力を補給する為の機能が備わっていない。


 だから、声の主には、自分が最初から持っているだけの魔力から切り分けて、その能力を使う事で必要なモノを創り出していた。そして、そんな貴重な魔力は生命の維持にも必要なのだそうだ。


 つまり、今私が立っているこの大地が声の主が創り出したモノなのだとしたら、彼は、残り少ない魔力を、自分が生きれたかもしれない時間を、残っていた自身の命を削って、創ってくれた事になる。


 あの時、急に別れを告げたのもこれを用意する為なのだとしたら納得だ出来る。


 だって突然過ぎたもの。少し前まで元気に話ていた相手が突然弱々しく成った原因なんてそれしか考えられなかった。


 それに気付いてしまった。気付きたく無かったのに気付いてしまった。だって、それって、私の為に死んだ見たいなものじゃない。


 私はそんなの望んで無かったのに。少しでも長く一緒に居て欲しかったのに。


 沢山泣いた。泣いて泣いて泣いて。何か聞こえた気がしたけど気にせずに怒って喚いて暴れて。


 一体どれだけそうしていたのか分からない。だって、自分でも制御出来ない感情を爆発させ続けた私は、気が付いたら眠ってしまっていたのだもの。

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