タイトル『未定』

 素晴らしい会話を経て、音楽ホール棟を訪れる。

 楽器倉庫の中からお互いのチューバを取り出し、中練習室を目指す。

 琴音のチューバはハードケースに包まれており、移動の際はケースについたローラーで地面を転がして運ぶ。

 身長的にも、琴音は背負うタイプのソフトケースより、ハードケースの方が合っているのだろう。

 思いながら。二人でエレベーターに乗り、練習室が位置する地下へと降りる。

 『日曜のえっち』という激つよワードが脳内を支配しているので、頭をブンブンと仕切りに振っていた。

 今は違う。今大事なのは、アンサンブルだから。えっちも大事。えっちも大事だけど──!

 いや、本当に待てない。だって明後日でしょ? 明日を経由しないといけない場所だよ。

 日曜という日は、本当にやってくるのかな、と意味不明に不安になる。

 当たり前にその日がやってくる事実は確定しているのに、どうもそこに何か楽しいことが重なってしまうと。そういう不安に駆られるものだった。人間あるあるだと勝手に思っている。


「……よし。着いた」


 思考からチャンネル変更。現実へ。

 目の前には、もう。中練習室への入り口があった。

 スマホを出して時刻を確認すれば17:05と表示されている。

 音を外に出させない強い意志を感じる重い防音ドアを、押して開く。


「あ。おとみんやっと来た」


 開けてすぐに、既に準備を整え終えたらしい楓花が声を飛ばしてくる。

 私は靴箱に履き物を入れ、フローリングされた滑らかな木の床の上に降り立つ。

 琴音もひょこひょこと、私の後ろを追ってきた。


「ごめんごめん」


 と、言いながら私は練習室を見回す。

 アンサンブル用に使う部屋だが、五人には少々広い部屋かもしれない。

 しかし用意されている譜面台は4つ。また、用意されている椅子は1つ。

 そういえばキスマ合戦(勝手に命名)に夢中で、琴音が来ること伝えていなかったな。

 思いながら。さらに見回し、藤崎さんが楽器を用意している姿を発見し。

 そして隅の方に。幾枚かの紙を触っている神坂さんの姿が映った。

 屋上で見た際は濡れネズミだったが、どうやら服は乾いているらしい。


「…………して、おとみん」


 観察をしていると、楓花が私に詰め寄り耳元で囁く様な声を出した。

 私は楓花から出てくる言葉を予測しながらも「どしたの」と小声で返す。


「どうして神坂さんが? あの人、生き急いでる人だよね?」

「あ。生き急いでいる人って、大学共通の価値観だったんだ」


「え、うん。トランペットのパート練習とかたまにあって、神坂さんも参加することになってるんだけど『生き急いでいるから参加できません』っていっつもこれ」

「マジすか」


「うん。マジ。よくアンサンブル誘えたね」

「……まぁ色々な経緯で、アンサンブルに参加して貰う事になったの」


 言ってからチラと神坂さんを確認する。どうやら視線はこちらに向いていない。

 楓花に視線を戻そうとした際、その道中で一つの視線が私を捉えているのに気が付いた。

 それが藤崎さんの訝しむ様な視線だと気が付いた時、私は少しビクッとなる。

 楓花と耳元で囁き合ってるのが気に食わないのかもしれない。

 背後からも何か似たような圧を感じる、ので。私はささっと楓花と距離を置く。

 琴音の紹介も兼ねて、私は神坂さんの元へと足を運んだ。


「さっきぶりだね、神坂さん」


 私は片手を軽く上げて挨拶。

 神坂さんは見ていた紙を床に置き、私を見る。

 その紙は、どうやら楽譜だったらしい。


「じゃあ。時間は限られてるので、初めましょうか」

「あーっと。その前に、この子。七瀬琴音さんっていうんだけど……」


 私は背後に来ていた琴音の更に背後に周り、その背中を前に押した。

 琴音は肩を強張らせて、何も言わない。というか、何も言えない状態でいる。

 私の前ではあんなになって忘れていたけど、琴音はかなりのシャイな性格だ。

 ここは。私が琴音の言葉を代弁してあげないと、何も喋ってくれなさそうだった。


「この子も参加したいらしいんだけど、良い? ピアノ専攻の子で、チューバが吹けるんだけど……」


 琴音は細々と「……よ、よろしく、お願いします」と軽く頭をぺこと下げた。

 流石に挨拶くらいはしないといけないという意識が働いたのだろう。

 出会った当初の琴音に退行していて可愛い。めっちゃ可愛い。

 私に意地悪をする琴音も良いんだけど、やっぱり恥ずかしがりまくる琴音も良いよね。……というのは置いておこう。


「……いいよ。チューバの楽譜は余りあるし」

「待って。曲用意してくれたんだ。めっちゃ助かる」

 

「私が作曲のだけど。演奏時間は三分弱」

「おぉ。さすが作曲コース。確かに神坂さん『曲のことは問題ない』みたいな感じだったもんね」

「うん。じゃあ、この楽譜をみんなに配って欲しい。私はとりあえずはサードを吹くから」


 「おっけー!」と答えて受け渡された四枚の楽譜。

 一つはファーストトランペット。

 もう一つはセカンドトランペット。

 そしてあと二つはチューバの楽譜。

 

 タイトル名は『未定』だった。

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