マーキング

 五時からアンサンブルということで。

 現在時刻は二時半。まだまだ時間はあった。

 中練習室も予約できたし、楓花と藤崎さんもこの時間帯は大丈夫らしい。

 琴音が三限の講義を終えたので、私たちは一階のいつもの練習室に訪れる。

 今日も琴音に『英雄ポロネーズ』を弾くためだ。

 しかし。これは言わないといけないな、とピアノ演奏の前に屋上での出来事を琴音に伝えた。


「はい。浮気」


 と。話の最後まで律儀に耳を貸していた琴音だったが、終わればすぐにそんなことを言ってくる。

 あの行動と言動の数々を振り返ってみれば、その通りだったのかもしれない。


「ごめんなさい」


 両手を合わせて頭を下げた。

 琴音から冷たい視線を感じるのは、多分気のせいでは無い。


「日菜子も。お人好しというか」

「その。ごめん。……なんとなく、放って置けなくて」


 まぁ。本当にお人好しだった。もう少し琴音のこと想えば良かったかな。

 とは思ったが。私があそこでお人好しをしたのも『未来信仰』的に不可抗力だったのだろう。

 琴音に怒られているこの状況も『未来信仰』に当てはめれば、将来的には良いものになるのだろうか。

 なんて思っていると、溜息が聞こえ、息は私の頭部に掠れた。


「……ん。分かった。そこも日菜子の良さってことにしてあげる」 

「こ、琴音さん……!」


 優しさに感動しつつ、目を輝かせながらゆっくりと顔を上げる。

 すると琴音は「でも!」と声を張り上げた。


「その代わり! 今『シたいことノート』ある? それ出して」

「あ、うん。分かった」


 私はリュックの中から『シたいことノート』を取り出す。

 「ペンも」と言われるがまま、ペンも取り出し、それらを差し出す。

 琴音は適当にページを開き、ペンをさらさらと走らせた。

 横から覗き、そこに書かれている文字を見る。


『シたいこと5つ目! 琴音と一緒にアンサンブルをする』


 私の自筆を真似てはいるが、まぁ琴音の字で、そんなことが書かれていた。

 琴音を見れば、得意気に鼻を伸ばしている。


「これで日菜子の拒否権は消えました」

「それは。どうもありがとう?」


 疑問符を付けたが割と素直な『ありがとう』ではあった。

 琴音が私と一緒にアンサンブルをする、というのは普通に嬉しくはある。

 でも。それは琴音にとってどうなのだろうか、と少し疑問も混じって私の顔は歪みを帯びる。


「なんで不服そうにするの? これは罰なの。拒否権は無いの」

「いや。琴音がいいなら、全然私も嬉しいよ。ただ、忙しくならないかなーって。単位を取るわけでも無いのに、来週の二限の講義に出ないといけないとしたらさ──あ……」


 発言しながら一つのことに気が付き、止める。


「どうしたの?」

「いや。神坂さんに、この来週の講義のこと説明していなかったなって」

「アンサンブルの時にその人に説明すればいいんじゃない? え、なに? 私以外のこと考えたの?」

「い、いえ!」


 今更と言うべきか、敬語が抜けた琴音は。なんというかアレだった。

 今までは琴音は80%の可愛さと20%の大人の魅力で構成されていたのだけど。

 恋人関係になってから、そこにプラス30%のメンヘラ要素が加えられていた。

 別に嫌では無い。

 私を束縛してくれている感じがあって好きだ。断じてMでは無い。

 どこか安心感すらも覚えてしまう。断じてMでは無い。


「私以外のことを考えた日菜子には、少し罰が必要みたい」

「さっきの『シたいことノート』のやつが罰じゃないの!?」


「なんで嬉しそうなの。反省して貰うための罰だから」

「どんな罰?」


 問うと、琴音は笑顔を満面に浮かべた。

 そんな表情のまま琴音は私に歩み寄り、私のブラウスの襟を掴んだ。

 唐突な琴音の行動に、私は一歩引いてしまう。


「抵抗しないで」


 威圧感に首を縦に振ると、琴音はブラウスの一番目と二番目のボタンを開けた。

 私の右肩を曝け出させ、おっぱいも少しだけ出てしまう。

 琴音は私のおっぱいの上部分に顔を埋めて、歯を立ててきた。

 唇が吸い付いて、十秒ほどは離れてくれなくて。やがて離れた時、吸われた場所はとても赤くなっていた。

 ちょっとだけヒリヒリとする感覚を覚えながら、満足そうな表情をした琴音を見る。


「マーキング」


 口元を拭った琴音は、淡々口調で言った。


「マーキングて」


 これキスマってやつでしょ。


「これが罰。これで日菜子には誰も寄り付けないね」

「そもそも寄り付かせる気もないけど。……あ、じゃあ、私もマーキングしたい」


 『じゃあ』って言葉の使い方、私多分間違ってるな。

 思いつつも。琴音の表情を見ると、恥じらいの色に顔を染めている。

 どうも琴音は、攻められる側になると弱くなるらしい。

 調子そのままで、琴音は弱々しく頷いた。


「……ん。どーぞ」


 琴音もボタンの付いた服を着ていたので、三つ外してマーキングをした。

 ぷにぷにで柔らかくて、凄く良い匂いが鼻をくすぐる。

 琴音の小さな身体を抱き寄せると、琴音は官能的な声を上げた。

 声に身体がくすぐられ、思わず強く吸ってみると口の端から汚い音が出た。

 口を外すと、私同様に赤くなっていた。そのまま反対側にもマーキングした。

 その後、やり返された。

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