琴音ぷらすお酒

二十歳はたち!?」


 耳に飛び込む自分の声は、えらい素っ頓狂だった。

 目の前にあるお酒と琴音の顔を、視線が反復横跳びの如く往復する。

 最終的に私の顔は琴音に固定され。そんな私の顔の動きに、琴音は若干引いた様子を見せながらも声を出した。


「てっきり知ってると思ってたんですけど……」

「いや、知らない! ずっと同い年──というか『私の方が一歳上だぜー』って密かに鼻を伸ばしていたくらいだよ!? え、もしかして嘘? 本当は18だよね?」

「……いや。二十歳です……」

 

 申し訳なさそうに琴音は漏らし、浴衣のどこからか財布を取り出す。中から学生証を取り出し私に見せた。

 ずいと顔を学生証に近付けて、琴音の証明写真を目に焼き付けたのちに、読むべき場所を読み上げる。


「……生年月日。2000年 九月三日」


 私が2002年、五月三日産まれの19歳。

 つまりは、そういうことだった。


「……マジじゃないですか」


 琴音は「はい」と、俯きがちに答え。

 かと思えば、私の目を見つめてきて、


「……えっと、私のソロコンの映像見たんですよね? どこかに『高校三年生』って書いてたと思うんですけど……」


 そう言った。

 私は琴音の演奏を聴いた時の情景を頭に描き出す。

 そんなことをしたからといって特に意味は無いのだが、少なくともその文字は見た記憶はない。

 

「説明欄とかに書いてたのかな。タイトルと映像しか見てなかったから分からなかった……」


 未だ現実を受け入れられないまま、天井を仰いで私は答えた。

 と、その時パッと何かが頭の中に浮かび上がり、それは疑問のモヤとなり脳内に広がった。

 その疑問を問うべく、上を向いてただらしない顔を比較的真剣な表情に切り替え、琴音を見る。


「え。聞きたい事があるんだけど……。あ、待ってこれ聞いていいのかな」


 私の本能が反射的にストップをかけ、その問いは踏みとどまる。

 しかし琴音は私の質問を察したらしく、エスパーの如く私の思考を言い当ててみせた。


「大学入学前は何をしていたか。これですか?」


 正しくである。

 だが可能性としては『退学』か『浪人』の二択だと思ったので、さっきは口を噤んでしまった。

 琴音の表情は別に苦くは無かったので、私は慎重に「聞いても、いい?」と尋ねる。

 「大丈夫ですよ」と琴音。「ありがとう」と私が返し、琴音は「えっと」と前置き、言葉を追わせる。


「東京藝大げいだいに二回落ちました。……筆記やらは良かったのですが、何せ実技のピアノが。……まぁ、それまで独学だったので仕方がないと言えばそうなのでしょうが……。それでこのままだと受かるわけが無かったので、割と近くの芸大でピアノの技術を学んでからと思って。そして──」

「あ。ちょっと心苦しくなりそうだから、また今度聞く!」


 琴音が淡々と喋るのを聞きながら、様々な疑問──例えば、琴音の親について等。そんなことが湧き上がってきたが、それでも琴音の過去を聞くことは互いに良い気分になれなさそうだったので、私は慌てて右手を突き出してストップをかける。

 琴音は表情を崩さずに、先の話の続きをする様な声の調子で応じた。


「……ですね。今は、楽しい旅行中ですもんね」

「そうそう!」


 どこかどんよりとした空気だったので私が明るく頷くと、琴音の頬が若干緩んだ。

 「じゃあ」と言った琴音は、正座で畳上のテーブルについて、


「おつまみでも食べながら、お話ししましょうか」


 と、ビニール袋の中のお菓子を取り出した。

 これにまた明るく頷いた私は、琴音の横に座り、肩をピトッと近付けた。

 我ながら大胆な行動に、琴音の反応を見るとすぐに顔を紅潮させていた。

 私がクスクス笑うと「もう。私、先輩なんですから」とお茶を濁してくる。

 「いきなり先輩ぶるなー」と、琴音の肩に少しだけ体重を乗せてみる。

 この行動がバカップルらしいなと、心のどこかでぼんやりと感じていた。


「……もう」


 琴音は恥ずかしさに耐えかねたらしく。

 無駄な動作で私と少し距離を置き、大袈裟に手を動かし袋の中身を取り出した。


「日菜子さんにはこれ買ってきました」


 言いながら出てきたそれを私に手渡してくる。

 それはさっきの琴音の様な、汗を掻いた缶ジュース──というか。

 

「お酒!?」


 大声を上げ。

 表示を読んですぐに気付く。

 

「……あ、なるほどノンアルか」


 でかでかとノンアルコールと書かれていた。

 梅味だった。梅酒的なやつらしい。美味しそう。

 

 私が缶をマジマジと眺めていると、隣からは『カシュッ』と気持ちの良い音が聞こえてくる。

 音に顔がグイと引っ張られ見ると、当然というべきか琴音がお酒を開けていた。

 琴音がお酒を飲むのを意外に感じながらも。あれ?と何かを思い出す。

 あぁそうだったと一人で勝手に納得し、間髪入れずに琴音に声を投げる。


「……あ、温泉はいつ入る? お酒の後にお風呂ってあまり良くないって聞いたことがあるような……」


 お酒に手をつけずにそれと睨めっこをしていた琴音は「そうなんですか?」と目を丸くした。


「あれ? 違うっけ? 何せお酒初心者なものでして。……というか琴音ってお酒飲むんだね、意外だ」

「いや。ほとんど飲まないですよ」

「え。それならなんで?」


 飲まないと言われるのもまた意外な返しであった。

 ほぼ反射的に疑問を呈する。


「その。ほら。アルコールって、積極的になれるっていうじゃないですか。……だから、その。温泉に一緒に入るのも、アルコールが入れば恥ずかしがらずに済むのかなって……」

「なるほど。じゃあ琴音はこれがアルコール初挑戦なわけだ」


「はい。だから、ジュースみたいって聞くチューハイにしたんですけど……」

「飲むのに少し緊張している、ってこと?」


「……はい」

「まぁ無理しないで」


 琴音は「いや、飲ませてください!」と言い放つと、手に持ったチューハイを口元に運んだ。

 ゴクゴクと喉を鳴らし、それ飲み過ぎでは?と言いたくなるほどだったが琴音は悪い顔にはならなかった。

 缶をテーブルに置いた琴音は、むしろ笑顔になっていた。


「あ。美味しい」


 チロッと出した舌で唇を舐めながら間の抜けた声を上げていた。


「よかったー」

 

 言いながらどれくらい飲んだのかと中身を覗く。

 暗いながら半分以上残っているのは分かったので、内心ホッとしながら私も缶を手に取った。

 気持ちの良い音を立てて開け、琴音同様に緊張しながらも中身を飲む。

 うん。普通の梅味のサイダーみたいで美味しい。


「おつまみもどうぞ」


 と、琴音は変わらない様子でさきイカを私に差し出す。

 なんだかパーティ気分である。当然テンションも上がっていた。

 ノンアルで酔うことなんて無いとは思うけど、今は雰囲気に酔ってるってとこだと思う。

 それほどまでに今の私たち二人を取り巻く雰囲気には言葉にし辛い良さがあった。

 そういえば、琴音って酔ったらどんな感じになるんだろ。

 全く想像できないや。なんなら、チューハイじゃ酔わなさそう。


 ──なんてことを、軽薄に思っていた。

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