いこーるえっち

 その考えが完璧に覆されたのは。

 あれから数十分が経過した時のことだった。

 私の身体を、小さな身体が熱く抱擁をしていた。

 細い吐息が首筋にかかり、ゾワゾワと震えさせる。


 さて。

 なぜ私は今、琴音にハグ──もとい、ぎゅーをされているのか。

 答えは単純であり実に明快で、琴音が酔ったからであった。

 チューハイでこんなにも酔ってしまったのは、琴音の小さい身体にはかなりの負荷だったからなのかもしれない。


「ねぇーひなこー」


 とろかす様な甘い声。無論、琴音の声だ。


「どうしたの、琴音」


 平静を装いつつも、声は震えていた。


「早く、私に腕を回して? ね?」


 私の理性は、死にそうだった。

 ぎゅーをされるまでの流れは、これもまた『琴音が酔ったから』で済ませられるのだが。

 少しだけ詳しく話すと、琴音が「私の7つ目のしたいこと、覚えてますよね?」と言ってきたのが発端だった。

 私は躊躇わず「ハグ、だよね」そう答えて。琴音は「日菜子はさ」と急に呼び捨てにし出したのである。

 酔ってるなーとは思いはしたが、琴音の二の句は「私とハグしたいよね?」と言うものであり。

 私は何かその場に危ない空気が漂っていたのは分かっていたが「したい」と首を縦に振ったのだ。

 今の状況は、この流れを経て作られたものだった。


「ねー。まだー?」


 琴音の声は、トーンまで上がっている気がする。

 完全に別人ではあるような気がするが。可愛すぎるので良しとしよう。

 お酒の力ってとんでもなく偉大だなーと思う。

 酒が人をダメにする、のでは無くて。ただ、酒がその人の人間性を暴くのだと聞いたことはある。

 これが琴音の秘めたる本性だとしたら──いや、ほとんどそうなのだとは思う。

 だから。琴音は、相当に。私が思っている以上に、可愛い内面が存在しているのだろう。


「えっと……」


 そんな分析をしたからと言って、今の状況が八方塞がりなのは変えようの無い事実であった。

 何を、どうするべきなのか。私はこれでもか、というくらいに頭を回していた。

 そもそも琴音の『したいこと6つ目』である『お泊まり』は実行できてないのではと思う。

 それでも。琴音にとったら旅館に来た時点でそれは達成されたものなのだろう。

 根拠は、今、私が琴音にハグを要求されているから、それだ。


「ひなこ。早く」


 子供の様だった。お酒のせいで幼児退行してるのではと思った。

 もう何も考えられなかった。思考は完全に空回り状態だった。

 琴音の声は私の心臓を刺激する。かかる熱い吐息もまた同様である。

 もうこれ以上。この状態を維持する、というのは私にとって非常に困難なことだった。


 だから。

 私は。理性のゆくままに、琴音にゆっくりと腕を回した。


 呼吸が酷く荒い。

 心臓が動いているのが、簡単に分かる。

 見えていないはずの心臓の動悸が、なぜか想像できてしまう。

 体温を正面に受ける。片一方が抱き締める『ぎゅー』よりも密着度は上がる。

 胸の突起は琴音に当たるし、向こうの小さな感触でさえも伝わってしまう。それくらいの距離と密着度。

 抱きしめ合うという行為は、なんというか絡み合っている感じがして。鼻息すらも荒くなる。

 むしろ口が開かなかったので、代わりに鼻で呼吸をしていた。


「…………」


 ハグが終わって距離が置かれた時、私はどこか気まずさがあった。

 沈黙が続く。琴音が何を考えているのかが気になった。

 アルコールが回っているのだから、何も考えていないのかもしれない。

 そうどうでも良いことに頭を回している時、琴音は遂に口を開き突拍子もないことを言った。

 それも。事も無げに。如何にもこれが、自然であるかの様に。

 ここまで全てが予定調和であるかの様に。


「キス、しよっか」


 破壊力ある言葉と声。

 私の心臓は荒れに荒れる。

 今の心の荒れ具合は何かに似ていた。

 そうだ。琴音に、告白された時。同じような感情だったかもしれない。

 だが今回はそれを超えたと思う。

 

 キス。そう、キスだ。

 恋愛漫画とか恋愛ドラマとかでは、非常によくあるもので。

 むしろ無くてはならない成分だけど。いや……こうしてその状況になってみるとヤバかった。

 肝心な状況で主人公がヘタれるのも理解が出来る。ヘタレというか、あれはもう本能的にそうなってるのだと。

 私はもう。この状況でキスをしたなら、何か色々とまずくなりそうだと思った。

 だから私は、震え声でこう言った。


「そんなことされたら。私、えっちな気分になると思うけど……」


 そうは言うが、既になっていた。

 汗で全身がびちょびちょに濡れている上に。びちゃびちゃに濡れている。

 部屋を変な匂いが蔓延し出した。それはきっと私の匂い。


「なっていいよ」


 琴音のその言葉の意味を、コンマ遅れで理解した私の理性は狂いそうになる。

 性欲を制欲しなければならないのは分かっていた。でも、難しそうであった。

 だけど欲求だけで行動すると、後悔するのは目に見えていた。

 だから私は、琴音の身体を再び抱擁する。


「キスは?」


 不思議そうな声で問う琴音に、私は返事をしなかった。

 その代わりか、私は琴音を抱き締める腕に力をたくさん込めた。

 華奢な身体が私のせいで縮こまり、だが琴音は気にする様子を見せず「キスはー?」ともう一度。

 それでも何も答えない私を見兼ねたのか、琴音の右腕は私の抱擁をするりと抜け──。

 その右腕・右手は、私の太ももと琴音の身体の間を縫い、やがて下腹部へと辿り着く。

 着衣しているのが浴衣というのもあり、私の下着までは茨の道では無かったようで。


 ──布越しに、触れられた。


「──きゃっ!」

 

 身体を跳ねさせた私は琴音に回してた腕を反射的に外し、後退した。


「こ、琴音さん!?」


 琴音はなぜか穏やかに笑いながら、親指と人差し指で繋がった糸をこれみよがしに見せつけてくる。


「したいんだよね? キス」


 ほんとにもうその通りです。

 琴音って、いやうん。変態すぎるとは思ったが、年齢的には別に違和感は無い。(見た目的には違和感すごい)

 酔って変態になるのは、合理的と言えた。にしても変態すぎるとは思うけど。

 このまま琴音のも触ってせめてもの抵抗をしたかったが、今の私にそれは叶わない。


「したい……」


 少し言わされた感じはある。

 でも。否定しても、私のカラダがそれをまた否定する。

 それでもキスは、したかった。ただ、恥ずかしいだけだった。


 琴音は「やったー」と無邪気に喜び、再び私に身を寄せてくる。

 いきなり始まるのか、と思いながら。琴音が顔を私に向けてきた。

 顔を下に向け、琴音の正面になるように調整した。

 座っている状態ではあるが、身長差は影響された。

 準備が整ったことを確認した琴音は、私の両頬を両手で捕まえた。


 心臓の動悸が狂い、飛び出る呼吸もまた狂う。

 私の呼吸は変なリズムを刻み、琴音に浴びせていた。

 ということは勿論琴音の息も私に当たるわけで。だが琴音の息は私よりも浅い。

 そんな琴音の吐息にはお酒の匂いが混じっていて。私も酔ってしまいそうだった。


 琴音は私の唇に、己の唇をゆっくりと近付け始めた。


 琴音の『したいこと』が三つも一遍に叶ってしまうのは、少々やり過ぎな気がした。

 それでも。次の『したいこと』は『付き合うこと』だったので、別に良いと思ってしまう。

 厳密にはまだ8つ目のしたいことである『キス』は叶ってない。だが、もう数秒もすれば叶われようとしていた。

 カウントダウンを頭のどこかで感じながら、近付く琴音の唇を眺めていた。


 カウントはゼロを迎えた。


 私の唇は、琴音の柔らかな唇を経由して、歯に当たる。

 そして歯同士がごっつんこ。じーんと痛みが広がり割と痛い。

 だからと言って、今更離れることはできそうに無かった。

 最初から完璧なキスだなんて、そんなの無理に決まってる。経験なんて無いのだから。

 だから私たちは目を閉じて、唇が10割触れ合う場所を探り合う。


 そしてようやく、琴音の唇の感触を意識できた。

 ただ密着させるわけではなくて、触れさせながらも暴れさせていた。

 琴音の息が荒くなり私の体内に潜り込んだ時、物凄い背徳感に襲われた。

 えっちをしている感覚に陥った。もはやえっちだろ、これ。いや、したことないけど。


 それから何分、何十分が経過したのかは分からなかった。

 ただ分かるのは、いつの間にか唇は離れていた。それだけである。

 酔った琴音は自由気ままであり、そのまま畳に横になる。

 目を瞑ったかと思えば、琴音は眠りに就いていた。

 浴衣をぐちゃぐちゃに着崩している絵面は事後であり、実際に事後だった。


 私の身体は未だ火照って、冷める気配は無い。

 琴音の顔を見ると、先のことが頭の中に飛び込んでまた狂いそうだ。

 ふと、一つの言葉が頭に浮かぶ。

 性欲に任せてこんなことを言うのはあまりよろしくないかもだが。止まれなかった。


「愛してる、琴音」


 よし。

 愛の言葉を伝えたので、私も寝よう。

 結局温泉には一緒に入れなかったけど。まぁ今日は、えっちな夢が見れそうだった。

 悲しくはあるが、こういうオチも悪くない。


 …………。


 せめて換気をすれば良かっただろうか。

 意識が無くなる寸前に思ったが、もう遅かった。

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