罪悪感に押し潰されそうだった。

 押し潰されて、そのまま死にたかった。

 死んで天国に行って、生まれ変わって新しい人生を送りたかった。

 そう本気で思った。

 私はとんでもないことをやってしまった。

 琴音をかけた勝負に、まんまと乗ってしまって。

 しかも相手は、勝ち目の無い相手ときた。

 あぁ。本当に、私は馬鹿だ。なんであんなことを……。

 琴音の気持ちも確かめないで、勝手に決めてしまって……。


 もう。布団から出たくない。

 カーテンも閉め切っているので、大体の時刻は察せない。

 少なくとも一つ分かるのは、もう日は跨ぎ。あの出来事は既に昨日の出来事になっているということだった。


「…………」


 どうしても時間は気になったので、スマホを見た。

 現在時刻はもう朝の七時。私、ちゃんと寝れてたのかな。

 琴音からのラインの通知が溜まっている。けど、今はどうも返信する気になれない。

 なんて言えばいいのか。なんて謝ればいいのか。何も分からなかった。

 昨日は結局、琴音に謝れないままで。ずっと無言の時間を過ごしてしまって。

 午後からの講義があったにも関わらず、逃げ出して。ずっと部屋にこもっていた。


 何をすればいいのか、私は必死に模索した。

 勝負を仕掛けてきた白石梨奈に、懇願して勝負を無かったことにできるかと考えた。

 でもそれは。あーいう性格の人なら、そもそも願いを聞いてくれることすら無さそうだ。


 何より一番嫌なのは、琴音が白石梨奈に奪われてしまうことだった。

 でも。私のチューバの実力じゃ、あの勝負で勝てないことなんて明白だ。

 なら、どう足掻いても琴音は白石梨奈に奪われてしまう。

 それは本当に残酷な現実であり、受け入れ難い現実だった。

 私がこの一日で必死に楽器の腕を磨くことも視野に入れた。だが、すぐに除外された。

 楽器は一朝一夕で身につくようなものではない。だからであった。

 ならどうすればいいのだろう。考える。考える。

 だが。いくら考えても、これ以上は何も思いつかない。

 何も思いつかない上に絶望的な状況なので、私はこうして部屋にこもっている。


 琴音があの女に取られて、一緒に過ごしている日々を想像する。

 琴音が白石梨奈に弁当を作って、お昼ご飯を一緒に食べて、一緒に学校で歩いたりして、隣り合って講義を受けて、一緒にデートをして、恋人繋ぎをして、一緒に誕生日を祝いあって、ハグをして、キスをして、同棲をして、結婚をして。

 想像したくないのに。なぜか想像してしまう。

 途端に吐き気が私を襲う。もう考えたくない。

 琴音が私以外の女子の横で笑っている、その状況が嫌すぎた。

 それどころか、琴音が私以外の女子と話しているのも。どうしても嫌だった。

 自分でもいうのもアレだけど、もう私たちは共依存関係と言っても差し支えないものだった。

 だから。琴音が私の元から離れるだなんて、そんなの有り得てはいけない。

 でも。勝負は勝負なのだ。勝負をすることに頷いたということは、契約書にサインをしたようなものなのだ。

 そう、だから。私が全部悪いんだ。

 私のせいで、琴音が離れてしまう。

 それが、言葉にできないくらいには嫌だった。

 せっかく手に入れたものを、自分から手放したようなものだから。

 だから。本当に、私はどうかしていた。


 人間誰しも『その経験』をもう一度するなら首を吊って死んだ方がマシ。という過去を抱えていると誰かが言っていた。

 私は『その経験』が、これになるかもしれない。というよりは、確実にこれになるだろう。

 それほどまでの事だった。それほどまでの、身勝手だった。


 もう嫌だ。明日には、琴音が離れてしまうのだろうか。

 明日の。ホールでの演奏をし終えた後には、私はどうなっているのだろうか。

 その場に泣き崩れているだろうか。そもそも楽器すら演奏しなくて、こうして部屋にこもっているのだろうか。

 どっちにしろ。なんにせよ。私が勝負に負けるという未来は100%──否、99.9999%は確定していた。

 100%と言い切らないところ、私は未だ何かに期待をしているのかもしれない。

 私が白石梨奈を楽器で負かすこと以外に、勝負に勝つ方法は無いというのに。

 音楽は『音』を『楽しむ』ものなのに、勝敗なんてつけてもいいのか、と思われそうだけど。

 コンクールに出る以上。どうしてもそこに勝ち負けは生まれてしまう。

 今回は参加者が二人だけのコンクールみたいなものだ。

 優勝したものに与えられるのが、琴音で……。


「琴音……」


 あぁ嫌だ。琴音。琴音。

 私の元から離れないで……。

 琴音……。琴音……。琴音…………。


 布団はもう既に涙によってぐちょぐちょにされていた。


「私は琴音が好きで……。琴音も私が好きで……。でも、琴音は……うぅ…………」


 こういうのを重い女、とでも言うのだろうか。

 いや。今の私は、そういうのでは無い。

 少なくとも軽くは無いだろうけど。

 私は別に琴音の重荷になっているわけでは無い……し。


 いや。どうだろうか。

 私はさっきの大量に溜まったラインの通知を思い返す。

 確かに。アレじゃ、心配させてるんだと思うし。重荷になってしまっているのかな。

 けど……返信はまだ出来ない。もう少し、気持ちの整理が必要だった。


「琴音……。琴音……」


 もうずっと永遠に、琴音の名前を呟くのではないか、と。

 自分がそう思ったのだから、少しは冷静だったのかもしれない。


 今日はもう、一日中琴音の名前を呼んでいようかな……と。

 そんな変なことを思った。その時だった。

 私の涙で濡れた部屋に。


 ──コンコン。


 ノックの音が転がった。

 誰にも会えない顔なのに。……一体誰が。


 ──ガチャ。


 次いで聞こえたのは、鍵が開く音だった。

 それは正しく、私の部屋の玄関の方から聞こえた音で……。


 …………え?

 

 一瞬遅れで、今。とんでもない状況下に置かれていることに気が付いた。

 小さな足音が近付く。何もできずに私は布団を深く被った。

 

 足音は迷わず私の元へと近付いて、毛布を探る音が聞こえ。

 毛布がそこにいた不法侵入者の手によって剥がされてしまう。

 「ひっ……」という怯え声が、私の最後の言葉になると思われた。

 だがしかし。私はそこにいた人物を見て、絶句をしたのだ。


「え──」


 そこに居たのは、不法侵入者でもラフメイカーでもなんでもなくて。

 七瀬琴音。その人だったのだから。


「さぁ。日菜子さん。地獄に行きましょうか」


 七瀬琴音──もとい、死神だった。 

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