プチ旅行へ!
「こ、琴音……。どうして」
私は震え声を上げ、疑問がいっぱい詰まった声で言葉を投げた。
そう。考えてみればこの時点で色々と変なのだ。
中でも一番変なことと言えば、そう。なぜ、私の家の鍵を持っているのか、だった。
鍵はいつも肌身離さずもっている上に、合鍵もきちんと保管しているのだ。
琴音は私の顔からそれが伝わったのか、すぐに疑問に答えてくれる。
「普通に大家さんから鍵借りました。妹だと言ったら信じてくれて」
私はもう、ここの大家は信用しないことにした。
アパートの場所自体は教えていたので、まぁ大家の住んでるところを探すだけだったのだろう。
でも。ここに琴音がいると言うのは、びっくりはしたが都合が良かった。
私は昨日言えなかった言葉を今ここで伝えようと、震える唇を動かす。
「き、昨日はごめん。私のせいで……」
「うん。……あれは早計過ぎましたね」
琴音も気にしているようだ。
やっぱり、嫌だったんだと思う。
私が琴音の立場になってみても、これは本当に私が身勝手すぎる。
「だよね……。もう嫌だ。……琴音があんなやつの彼女になるだなんて」
言うと、琴音は不服そうに口元を歪ませた。
「……うーん。私、そんな簡単に他の人の彼女になるなんてしないですけど……」
「でも。勝負は勝負じゃん」
「大丈夫ですよ。私がなんとか説得して、白石さんを諦めさせますから」
「ほんと……?」
「ホントです」
「そっか……」
そう言ってくれるのは嬉しかったけど、どうなんだろう。
あの人、すごく執着とか凄そうな感じがするから。そう上手くいかない気もする……。
と。そこまで話したところで、先の琴音の第一声を私は思い返していた。
「そういえば。さっきの。地獄がどうたらって……それは?」
謎だった。
私はてっきり地獄からのお迎えが来たのかと思っていたけど、どうやら違かったし。
「ふふ。それはですね……」
琴音は待ってましたと言わんばかりにポケットからスマホを取り出して、私に見せつけてきた。
私は目を擦りながら、デカデカとそこに書かれていた文字を音読する。
「……別府の『地獄めぐり』?」
冗談だと思われるかもだが、本当にそんな物騒なことが書かれていた。
「日菜子さん、絶対今疲れてるだろうなって思って。……疲れを取るには温泉ですよ」
なるほど。地獄めぐり。
行ったら帰るのに数年はかかりそうな名前である。
誰がこんな名前を付けたのやら──ってのは置いといて、それ以上に疑問があった。
「……えっと、今から? 今日、普通に講義あるよね?」
「サボりましょう! もう旅館も予約したので」
「え、行動力すご過ぎない? 旅館の空きとかあったの? 別府って有名な観光地でしょ?」
「まぁこれが休日とかだったらそう上手くいかなかったでしょうけど。今日は平日なので」
「なるほど……。え、今から行くの?」
「はい。行きますよ!」
※
まるで2コマ漫画のようなダイナミック場面転換だけど。私たちは今、別府に向かう電車の中だった。
比較的大きなバッグの中に詰め込んだのは、着替えやらタオルやらうんたらかんたら。
一応『シたいことノート』も詰め込んでいた。
唐突すぎるプチ旅行なのだけど。正直言うと、ちょっとだけ楽しみだった。
さっきまでの暗すぎる気持ちに、若干の光が差し込んだというか。
それでも若干だったので。明日に対する不安な気持ちは、そこはかとなく存在していた。
電車なんて初めて乗るものだったので少し不安だったけど、意外にも簡単だった。
窓から見える海は綺麗で。電車も良いものだと思わされる。しかも安い。
大分駅から別府駅まで280円だった。まぁ隣の市だからそういうものなのだろうか。
そして温泉は何気に久しぶりだった。
宮崎に住んでいる時も行ったことあるが、別府は本場の温泉地。
確かに。ここで疲れを取れば、明日起きることも楽観視できそうなものだった。
「あの……。琴音、ありがとう」
「……え、何がです?」
ふと思ったことを伝えてみると、琴音はキョトンとしてしまった。
「私のこと、気遣ってくれて」
「気にしないでください。私がやりたくやってることなので。……それとなのですが。こんなにも私は日菜子さんのためを思っているのに、そんな簡単にホイホイと他の女のもとに行くわけないですよね」
「それも。そうかも」
「明日、日菜子さんはのびのび演奏すればいいだけです」
「……うん。そうだね。……ちょっと心軽くなった」
「日菜子さんの力になれたのなら、私も嬉しいですよ」
そんな会話をしていると、いつの間にやら別府駅だった。
私たちは慌てて荷物持って電車を降り、改札をくぐった。
今からは、どうやらバスで移動するらしい。
移動先と言えば、予約した旅館だった。
というか当日も旅館って予約できるもんなんだって、少し驚いた。
もしかしたらあまり人気のない旅館なのかもしれない。
いや。それはそれで助かる。だって私、あまりお金ないから。
できるだけ安く済ませたい、という気持ちがどうしても存在するのだ。
到着を待ちながら、せっかくの旅行なのにあまり面白くないことを考えてしまう。
まだ。私の心に靄がかかっている証拠なのかもしれない。
いや……考えてみればおかしな話だ。
本当はここで靄がかかる立場の人間と言えば、琴音以外にいないだろう。
それなのに琴音は私に気を遣って、明るく振る舞ってくれて。
最高の女性すぎて、なんだか本当に申し訳なさが募る。
なら私がこんなに暗くなってどうする。
と、このプチ旅行ではせめて明るく振る舞おうと決心した瞬間だった。
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