最高の誕生日
楽しい楽しいお昼ご飯を終えた私たちは、映画館へと足を運ぶ。
特に気になるものは無かったので、ネットで調べて評判がいいやつを見た。
アクション映画だったのだけど、見慣れない私にとっては少し退屈だった。
けれど琴音は目を輝かせながらスクリーンに魅了されていた。
二時間以上もの上映時間が案外短く感じたのは、琴音の顔を見ていたからであった。
映画館を抜け、興奮気味に映画の感想を言ってくるのを。穏やかな気持ちで眺めていた。
私に映画の感想を求めてきたので「琴音が可愛かった」と言うと、少しほっぺを膨らませていた。
午後四時。私たちは喫茶店に入った。
ミルクティーとチョコレートケーキを頼み、それらを口に運びながら談笑をする。
スマホで現在の時間を確認するたびに、もうすぐデートの終わりが近付いていることを実感して無性に悲しかった。
別にデートは今日だけのものじゃないのに、なんでか一生のお別れをしてしまうのではないか、と言うくらいに胸が痛かった。
こういう感覚はきっとあまり普通のものではなくて、どちらかと言えば変なのだと思う。
「また。デートしようね」
ミルクティーを掻き混ぜながら、私はポツリと呟く。
「まだ終わってないですよ」
子供を宥める様な優しい声で言われたのが、嬉しくも恥ずかしくもあった。
「じゃあケーキ『あーん』しよっか?」
「……流石に人の目が多すぎますね。……お互い別のものを頼んでいたら『あーん』するのも普通だったんでしょうけどね」
「それもそうだ。……じゃあ、もう一個なんか頼む?」
「……私、そろそろお腹いっぱいですよ」
「そっかぁ。……確かに私もお腹いっぱいかも」
「ふふ。あーんはまた今度の機会に、ですね」
「またしてくれるんだ。琴音、超いいやつ」
琴音は照れながら「そうですね」と答える。
私が「そうだよそうだよ」と言うと「はいはい」と適当にあしらわれてしまった。
なんというか。今日一日だけで、距離がぐーっと縮まった、と思う。
デートが秘める力に感心しながらも、私は残された時間を、楽しく会話して消化する。
消化する──というよりかは、楽しい会話によって、時間は消化されていっていた。
私たちがケーキを食べ終えたところで現在時刻を確認すると、もう夕方五時だった。
「そろそろ帰ろっか?」
「……じゃあその前に、少し寄りたいところがあるんですけど。良いですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます。では、お会計を済ませましょうか」
今更だけど、支払いはもちろん割り勘。
今は仕送り代から賄っているけど。いずれバイトをしてデート代を稼がないといけないかな、って思ったりした。
店を出た私は、琴音に連れられるまま駅の一階を歩く。
二人の間には何も無く、少しだけ距離があるのがもどかしい。
手を繋ぎたいなって思ったけど、それはまだ我慢するべきなんだろうな。
ともかくは今目指している場所だった。
寄りたいところ──って言っていたけどどこだろう、と少しだけワクワクしていた。
「琴音。どこ向かってるの?」
「……もうそろそろですよ」
「え。でもまだ、駅の中だよ?」
「はい着きました」
「あれ。ここ?」
私の口から出た通り、ここはまだ駅の中。それもど真ん中だった。
何があるんだろうと首を回せば。一台のアップライトピアノを見つけた。
派手な虹色の装飾がされており、かなり使い古された。それでいて手入れが行き届いてるピアノだった。
「これ?」
私が指差すと、琴音は「はい」と頷く。
これはいわゆる、ストリートピアノというやつだ。
誰でも好きな時に弾けて。初心者でも上級者でも未経験者でも、本当に誰でも弾ける凄いやつ。
ごく稀に、ピアニストかって思うくらいの超絶技巧を繰り出す人もいたりする。
故にストリートピアノは面白いもの……だと思っている。
「私に、何か演奏してくれるの?」
「はい。……ピアノ、弾いても大丈夫ですか?」
思考する。
琴音のピアノを聴くことは、私にとって苦ではない。
だから。ここは普通に、当たり前のことのように。首を一つだけ縦に振った。
琴音はホッとしたように頷くと、持っていた鞄を椅子の隣に置きピアノを蓋を開く。
ポケットから取り出したハンカチで鍵盤を拭くと、両手をピアノの上に配置した。
自然と私以外の人の視線が琴音に集まる。ストリートピアノとは、そういうものだ。
どんな演奏をするのだろう。
どんな曲を弾くのだろう。
期待と不安を入り混じらせながら、私は琴音が弾き出すのを待つ。
軽く呼吸音が聞こえたかと思えば、鍵盤に指が当てられているのを見た。
だけど。それと同時にまた、琴音も口も開かれていた。
「ハッピーバースデー、とぅーゆー」
瞬間、私の中の感情は今にも暴れ出しそうなくらい、揺さぶられた。
何となく感じていた寂しさが、一気に晴れる。
私はきっと。心のどこかで、誕生日を祝ってくれることを望んでいたのかもしれない。
だって。何でか泣きそうになってしまっているから。
「はっぴっばーすでー。とぅーゆー」
慣れない弾き語りに、口と手が連動していない。
あぁでも。その様子が、余計に私の心に響く。
私のために、練習してくれたんだって。そう思うから。
「ハッピーバースデー、ディーア日菜子さーん」
その言い方はちょっとだけ、格好が悪い。
でもなんでか。最高にかっこいい。
次の瞬間、琴音は音楽を一瞬だけ止まらせ、私を楽しそうな笑顔で見る。
鍵盤には目をやらず、最後の一フレーズを私に歌って聴かせた。
「ハッピーバースデー、トゥーユー」
最後はまるでジャズのドラムみたいに。
じゃじゃじゃーん、ピアノを豪快に弾いて締めてくれた。
ブラボーを言いたくなるほどに、素晴らしいピアノ演奏だった。
「おめでと、日菜子さん! やっと言えました!」
椅子から立ち上がった琴音は、無邪気な笑顔で私を見遣った。
周りの観客から拍手が上がる。
まるで私たち二人のコンサートみたいだった。
凄く恥ずかしい。
凄く恥ずかしんだけど、それでも。
私はもう。公衆の面前とか、全く意に介さずに。
「琴音!」
琴音に抱き着いた。
小さな身体からは、想像できないほどの温かさが伝わる。
私が包み込んでいるのに、なぜか包み込まれているみたいな感覚だった。
琴音は私を抱き返さない。当たり前のことだけど、ちょっとだけ口惜しい。
「……日菜子さん。恥ずかしいですよ」
「だってぇ……。嬉しかったもん」
「泣いてるんですか?」
「めっちゃ泣いてる。めっちゃ泣いてるよ、今の私。だってずるいんじゃん。こんなの泣かない訳ないよぉ……」
「良かったです。泣いてくれて」
「意地悪。……もうやだ、しばらく離れない」
「と言ってもですね……。結構いろんな人に見られてるので、ちょっと移動しましょうよ」
「……うん」
琴音の訴えに、私は力無く頷く。
周りからの、とても優しくて温かい視線を受けながら、私たちは駅を出た。
その際。私たち二人の手は、恋人繋ぎで結ばれていた。
琴音と初めて手を繋いだ。それはもう、永遠に繋ぎたいと思えるほど素晴らしいものだった。
あぁ。予想以上に、最高の誕生日だ。
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