楓花と桃杏

 藤崎さんはどうやら名前が桃杏もあというらしい。

 いや。勿論知っていたんだけど漢字は知らなかったのだ。

 桃と杏。そんな感じのパフェを想像させる美味しそうな名前だ。

 色んな人から『美味しそー』ってイジられてそうなのが、少し不憫にも感じてしまう。

 と言う前置きをしたのは、そう。今回のオチが原因だった。

 いや。オチというよりかは、アガリだった。


 とある日の昼休み。

 この時間には、琴音はどうやら個人レッスンを入れているらしい。

 しょうがないか、と思いつつも。私は楓花と藤崎さんの昼食に混ぜて貰った。

 最近では藤崎さんも徐々に私に心を開きつつある感じがしたので、この時間は苦にはならない。

 パンを齧りながら、嫌な教授の愚痴とかなんちゃらを面白おかしく話していた。


「おとみん三限に講義入ってるでしょ?」


 もうすぐ昼休みも終了というところで、楓花が聞いてくる。

 私は身体を伸ばしながら、気怠げに答えた。

 

「うん。指揮法の講義があるよー」

「そっかー。もう時間でしょ?」


 スマホを見る。

 と、うん。もう13時になる直前だった。


「おぉやば。もう始まるじゃんこれ」

「いってらー。頑張ってねー」


 温かい声かけに心をぽかぽかさせながら、私はリュックを背負った。


「行ってくるねー。藤崎さんもまた後でー」


 未だパンをガジガジ齧っている藤崎さんにも手を振る。

 ペコリと軽くだけど頭を下げてくれた。

 どうやら藤崎さんは心を開けば良い人らしい。


 食堂と音楽ホール棟は近い。

 歩いてすぐというか隣である。


 食堂を抜けて少し歩いて。私は急に立ち止まった。


「…………」


 なんというか、大変申し難い事だけど。私は尿意を催した。

 話すことに夢中で迫るそれに気が付かなかったらしい。


 ──やば。もう講義始まるのに。


 いやでも。講義中にお手洗いに行くのも恥ずかしいから。

 少し遅刻してでもここはお手洗いを優先しよう。

 走ったらギリギリ間に合うかもだし。


 私は食堂の方へと戻り、奥にあるお手洗いへと走る。

 音楽ホール棟にもお手洗いはあるが、こっちの方が距離は近い。


「……あれ?」

 

 そんな時、お手洗いに入る二人の人影が見えた。


「楓花と……藤崎さん?」


 歯磨きだろうか。

 管楽器奏者にとって、昼食後の歯磨きは基本だしね。(私してないけど)

 思いつつも、私はお手洗いに駆け込む。

 「再会しちゃったね」と言葉を待機させていたが。洗面所の前に二人はいない。

 つまり二人は個室を使用していると……。


「…………ん?」


 しかし。同時に違和感を覚えた。

 私はすぐに、その違和感の正体を発見した。

 個室が一つしか使用されていなかったのだ。


 あれ? つまり……?

 二人で一つの個室を使用している……ってコト!?


 なんのために?

 こっそりスマホを使用しているとか?

 いやでも。高校生ならまだしも、スマホなんて普通に使えるし……。

 トイレしているところを見られる趣味がどちらか一方にはあるということだろうか。

 そんなこと……あるわけがないよね……。うん。

 じゃあなぜ?


 一つだけ可能性が浮かび上がったが、それも違うかと頭を振る。

 しかし。その時だ。

 個室の中から、震えた華奢な声が飛び出してきたのだ。

 それもどこか官能的で声高な。そんな声。

 否定した可能性が、現実としてそこに存在していた。


「あっ……ふう、かっ……」


 ………………ん?


「んー? どうしたのー?」


 楓花の余裕そうな調子の声。

 少しだけいやらしい感じの音が鳴っている。

 

「だっ。だからっ……。そこは……んっ」


 対する藤崎さんは、弱々しい調子で声を上げていた。

 私の頭は、今この中で起きていることを飲み込めていない。

 いやもう。起こっていることは分かる。

 だけどそれをどう言葉にすればいいのか……。

 そういうことなんだけどさ。

 えっと。その。これは。……えっち。だよね?

 いやそうなんだよね。

 それになんか。少しだけ鼻につく匂いもしてきたし……。

 私にこの匂い知ってる……。


 いやもう。これはどうしよう。

 というかこの二人はお手洗いに誰かが来る可能性を考えなかったのかな。

 それを押し切る欲求? だとしたら、ねぇ。ねぇ!

 もうやだ。語彙力死んじゃう。

 

「桃杏。あと十秒ね」

「えっ? やだ。やだぁ……」


「じゅー。きゅー。はーち」

「ねぇやだ……んっ……」


 私も嫌です。

 居心地ほんと悪い。


「なーな。ろーく。ごー」

「ん〜〜っ。……あっ」


 やばい。クライマックスじゃん。

 あと十秒とか言っときながら、めっちゃ焦れったく時間を数えてますね!

 なんかもう。色々とまずい気がする。

 これを聞いたら、なんか今後の私たちの関係にヒビが入りそうな。そんな予感が……。


 よし。ここは出よう。

 そろりそろりと忍足で──。


 ──ピロリン♪


 ……。

 …………。

 スマホが。鳴った。

 私の。スマホが。鳴った。

 ポケットで。震えた。

 時間が。止まった。気がした。

 あ。なんか。もう。終わった。気が。した。

 個室の。中の。音は。ピタリと。音を。止。め。た。


 あぁぁぁぁああ!!

 やばいやばいやばいやばい!

 

 ──バンっ!


 個室のドアが開かれる。

 顔を林檎の様に真っ赤にした楓花が飛び出した。


「お。お、おおお、お。おとみん⁉︎」


 楓花が視界を塞ぎ後ろが隠れているせいで中の様子は見えないが。

 いや。うん。なんか凄いことになってそうではあった。

 

「……うぃ。うぃっす」


 私は片手を軽く上げて動揺をあらわに応答した。


「ちょっと。話したいことがあるんだけどー、良い?」


 もう講義の始まりの時間からは程々に立っていたので。


「は、はい」


 まぁいいか、と私は首を縦に振った。


「そ。その前に、おてて洗いますねー……」

 

 私以上に動揺を隠しきれてない楓花は、私の横をそそくさと抜けて洗面台の前に立った。

 個室の中から服を若干乱れさせた藤崎さんが、これまた顔を真っ赤にして現れる。

 なんというか。酷く弱ったような、それでいてなんか物足りなさを感じているような不満げな表情だ。

 しかし。楓花と違って動揺している様子は無い。


「どうも。おとみんさん」

 

 と。軽く私に頭を下げるだけだった。


 なんだか対面するのが気まずくて楓花の方に身体を向けた。

 楓花の綺麗に切られた爪が洗わられるのを見ながら、私は思う。


 藤崎桃杏。

 美味しそうな名前をした彼女は。

 どうやら本当に食べられる側だったらしい。

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