初めての電話

 返信はすぐにきた。

 ずっとラインを開いていたらしい。既読すらも、すぐに付いた。

 琴音の愛をありがたく受け止めつつも、送られてきた文章に目を通す。


『さっき恥ずかしがってましたけど。……いいんですか?』

『うん! 琴音と電話することを最初の「シたいこと」にしてみた! さっき断っちゃったこと、申し訳ないって思って…』

『嬉しいです。じゃあお願いしますね』


 『嬉しい』とそう返してくれて。私もなんだか嬉しい。

 いや。それでも。緊張するのには変わりない。

 私は深く。深く。呼吸をする。

 通話ボタンに指を待機させて。

 意を決して、私はそれに触れてスマホを耳に当てた。


 ──プルルルルル。プルルルルル。


 たった2コールの後だった。

 耳に入る音色おんしょくが変化する。

 極小の生活音が私の耳に入り、向こう側に琴音がいることを実感させる。


「も、もしもし。日菜子です」


 声は震える。

 その上、固い。

 初めての電話のスタートダッシュはあまり良いものでは無かった。

 

『こんばんは。日菜子さん』


 それでもいつもの様子で応答してくれる琴音は、本当に良い女性だと思う。

 私たちが付き合えたら本当に楽しそうだと思うけど、付き合ったとしても暫くはこうして緊張が続きそうだ。

 それなら、こうしてすぐに付き合うのでは無く。焦らされるのも、慣れるための良い手段なのかもしれない。

 付き合えるのなら。付き合いたいですけど……。


『日菜子さん? 声聞こえてますか?』

「あ! ごめんごめん。ちょっと考え事してて……」


 慌てて返すと、琴音は少し不機嫌な様子で『そうですか』と。


『何を考えてたんですか?』


 続く言葉はやはり不機嫌そうな声で放たれる。


「琴音と……付き合いたいなって」

『……そ。そそ、そうですか。でもそれは、まだ先のことですからね』


 琴音の声色は明るく変化する。単純だった。

 その単純さが、また愛おしく感じた。

 そんな単純さに愛おしく感じる単純な自分がまた、恥ずかしかった。


「好きです……」


 それでも。顔は見えないので、私がめっちゃ恥ずかしがってることもバレない。

 だからだろうか。先までの緊張はどこへやら、私は大胆にもそう言ってしまった。

 言ってしまったとはあるが、真実であるのは間違いなかった。

 

『……私も。です』

 

 囁き声が私の耳をゾクゾクと刺激してきたのでヤバい。

 私の耳を抜けると、言葉は心臓に届く。

 迂闊に好きとか言うと、強すぎるカウンターがくるのであまりよろしくない。

 いや。大変よろしくはあるのだけど、心臓がもたないのでよろしくなかった。

 私は小さく「ありがと」と呟くと、あからさまに一つこほんと咳払いをして話を逸らす。

 逸らすほどの話をしているのか、と聞かれてみれば。いやーうん、謎だった。


「琴音は。話したいことあります?」

『あり過ぎますけど。……私が日菜子さんのコンクール音源を持っている理由とか?』


 言われると。確かに、となる。


「あ。確かにそれ気になる」

『それはですね。コンクールの成績優秀者って、動画サイトに演奏がアップされるじゃ無いですか』


「あーそっか。それを録音したのか」

『はい。すぐに音源をスマホにダウンロードして保存しました』


 父さんが削除依頼をしたらしく、動画はすぐに非公開になったんだけどね。

 それでも。琴音みたいな人が私の音源を持ってたりするのかな……。なんて思ったりする。

 いや、普通の人はわざわざダウンロードなんてしないだろう。

 今までのコンクール演奏動画もこのまま残り続けているわけだし。

 というかその前に。動画サイトの動画をダウンロードって──。


「それ、法律的に大丈夫?」

『詳しく無いので分かりません』

 

「詳しく無いなら仕方がない」


 多分。あまりよろしくない行いだと思う。

 まぁいいや。一つの疑問が解消されたし。

 今はそんな面白くないことよりも、琴音との会話を楽しみたい。


「琴音は。そのダウンロードしたやつって、結構聴いてたりするの?」

『はい。……私はこの音源を子守唄代わりに、いつも寝ています』

「いや『英雄ポロネーズ』って眠れる音楽じゃないでしょ⁉︎ 最序盤からフォルテッシモだよ⁉︎」


 と声を張り上げると、琴音がくすくす笑う声が聞こえた。

 琴音が『英雄』を聴きながら眠っていることを想像してみると、なんだか物凄くシュールで私も笑ってしまう。

 くすくすどころか、あははとかなり声量を大にしていた。

 ふとここがアパートだと思い出して、私は次第に笑い声を弱める。

 それでも琴音は未だ楽しそうに笑っているので、私も笑いを止められなかった。

 電話って楽しいなって、唐突に思った。


『日菜子さんのポロネーズは、どこか包み込むような優しさがあるんですよ』

「そう言ってくるのは、嬉しい。……あと『ポロネーズ』と『プロポーズ』って似てるね!」


 と、なぜかここでも笑いが起きた。

 謎だった。謎すぎた。

 恐らく後からこの会話を振り返ったら、きっと『あれ。全然面白くない』となりそうだ。

 それでも。今はなぜか、面白い。

 深夜テンションの様な、はたまた修学旅行の夜の様な。

 そういう感じのテンションに私たちは今、陥ってしまっているのかもしれない。

 今なら『布団が吹っ飛んだ』でも、とんでもない笑いが巻き起こりそうだった。

 つまり。私たちの初電話は、いい感じに続いた。

 最終的に、素晴らしい感じに終わりを迎えたのだった。


「おやすみ、琴音」

『おやすみなさい、日菜子さん』


 という風に。

 凄く付き合ってる同士みたいだった。



      ※

 


 それからの日々は、案外何も無く。恙無く進んで行った。

 琴音の3つ目の『したいこと』である『お友達になって、一緒に過ごしたい』

 それは大方達成できたと言っても差し支えないだろうと思う。

 ならば。4つ目の『デートをしたい』を実行してもいいと私は考えている。

 だけど琴音は一向に何も言ってこない。ただ毎日を一緒に仲良く過ごしているだけだ。

 この大学生活はある意味の理想だ。

 でも。やはり付き合いたいし、デートしたいし。ピアノを、また好きになりたいって思っている。

 だから。やっぱり、ここは私から言うべきなのかなって。


 思っていると。四月も終わる頃だった。早い。

 講義の感覚は掴めてきたし、器楽の授業もそこそこだ。

 個人レッスンでは上手くなっている実感はするし、吹奏楽の授業はそれなりに楽しい。

 オーケストラの授業はチューバの出番は少ないけれど、それはそれで耳が楽しいので良かった。

 ソルフェージュは得意だし、楽典は……なんとかついて行けている。

 声楽もまぁそこそこ。指揮法は初めてづくしで新鮮だ。

 これまでを振り返ると、ざっとそんな大学生活だった。つまり楽しかった。

 琴音がいるので、もっともっとそれ以上に楽しく感じる。


 ここで矛盾したことを言うと、大学生活の唯一の問題点と言えば琴音だった。

 ……いや。全然違うな。問題点は私だった。

 琴音をデートに誘う勇気が無い。

 何を今更そんなことで、と思うかも知れないけど、これは私にとって重大な悩みだった。

 日々変わらない生活を繰り返している身体がそれに慣れてしまい、どうもそこにスパイス──ここではデートに誘うことだけど。それを加えるという行為がどうしても難しくて、緊張して、尻込みしてしまうのだ。

 なんて。これはただの言い逃れでしかない。それも分かっている。

 ならどうすればいい? 答えは一つで琴音をデートに誘うこと。それも分かっている。

 それ以降に進めない。どうしても逃げ道を探してしまう。


 なら。もう逃げられなくすれば良いと思った。

 私はとある日を、デートの日程に決めた。

 五月の三日。日曜日。私の誕生日。


 足踏みばかりをしてはいられない。

 私は油性のペンで、ノートにしっかりと書き込んだ。


『シたいこと2つ目。一緒に誕生日を過ごしたい』


 この日。デートに誘おうと、私は決心をした。

 もしデートが成立したら、この日はきっと最高の日になるのだろうと。希望を胸に抱きながら。

 

 今日が終わり。明日がやってくる。

 ……待って。今日が終わったのなら、やってくるのは今日だろうか。

 兎も角は、新しい朝がやってきた。

 

 私はいつも通りに化粧をしてアイロンをかけて、大学に向かった。

 眠い目を擦りながら講義を受け、なんとか昼休みが訪れる。

 この昼休みだった。私はこの昼休みに、凄くてやばい現場を目撃することとなる。

 いやはや。本当に凄くてやばかった。やば過ぎて、語彙力は死んだ。

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