恋の7秒ルール

 少しどうでもいい話をしてしまうと、私は大学生になれば大人になれると思っていた。

 けれど全く違くて、大学生になっても私は音海日菜子のままだった。

 いつか自分を変えれたらいいな。

 今日見た夢は、そういう夢だった。

 


     ※



 翌日。

 起きた後に、私の頭をすぐに支配したのは七瀬さんだった。

 昨日の非現実を思い出して、夢だったのではと疑い、しかしその疑いもすぐに晴れる。

 髪にアイロンをかけ、軽く化粧をしている間も、ずっと七瀬さん。

 通学路を歩く際も、ずっと七瀬さん。

 

 そしてやってくる、一限・二限のオリエンテーション。

 暇なので、考える事と言えば、やっぱり七瀬さん。

 向こうも私のことを想ってくれているのだろうか、と妄想する。

 恥ずかしい行為だけれど、それはとても楽しい。あぁ、七瀬さん。


 ぼんやりと、どこか夢の中にいるみたいで。

 そんなこんなをしていると、いつの間にかお昼休みはやってきていた。


「……やばい」

 

 私は昨日と同じ様に、食堂の端っこの席で小さく呟いた。

 何がやばいのかと言うと、それはもう色々とやばい。


 まず第一に、オリエンテーションの内容を覚えていない。

 そして第二。七瀬さんのことを考えすぎて、七瀬さんがゲシュタルト崩壊。

 最後に第三。私は、七瀬さんと。ご飯を食べなければならない。


 中でも一番やばいのは、以上二つの事がどうでも良くなるくらいには、三つ目だった。

 昨日七瀬さんは、私としたいことの二つ目と称して『一緒にご飯を食べたい』と見せてきた。

 だから。多分、お昼ご飯を一緒に食べようってこと、なのだと思う。

 けれどラインも何も交換しておらず、連絡手段も何もない。

 食堂で待っていれば、きっと見つかるか、探しにくると思うけど。

 ……って、私から探しに行くべきかな。分からない。

 でも。会ったとしても、めっちゃ緊張しそうだし……。

 向こうは私の好意なんて全く知らないわけだし……。

 どうすればいい。どうすればいいんだ。

 と、もうどうしようも無くなった(私基準)、その時だった。

 

「おとみん!」

「わっ!」


 私の背後から、明るい声が投げられ、当たる。

 肩を震わせた私は、無意識の内に振り向いた。

 

「……あ、楓花! どうしたの?」


 私の友達だった。(誰がなんと言おうと友達です)

 その友達──楓花は、片腕にぶら下げた弁当の入った袋をこれ見よがしに持ち上げ。

 私にこう問うた。


「今から三人でお昼ご飯どう?」


 三人? ……あ。

 楓花の後ろに、もう一人。

 えーっと。古代生物みたいな名前の……モア。藤崎、モア。

 そうだ、藤崎さんだ。その人が、楓花の後ろに身を隠すようにして私を覗いていた。

 肩越しに見える彼女の目は、どこか鋭く感じてしまう程にしっかりと私を捉えていた。


 いや。だけど、この誘いは素直に嬉しい。し、素直に受け入れたい。

 だけど。私には──。


「あ、誰かと約束してた?」


 表情から察したのか、楓花が問うてくる。

 そう。私には、七瀬さんがいるから。


「えーっと。うん」


 少し残念に、一つ頷く。

 後ろの藤崎さんがパーッと明るい笑顔になっていた。これこそ、これ見よがしに。

 なんだこれ。なんなんだこれぇ……。


 私は咄嗟に手を合わせて、楓花に頭を下げていた。


「……ご、ごめん! 別に、一緒にご飯を食べるのが嫌とかじゃなくて、むしろ本当は一緒に食べたくて、誘ってくれたことも凄く嬉しいから! できればまた別の機会に誘って欲しい、みたいな! とにかく、悪気は無いからね!」


 我ながら、必死だった。

 耳に届く私の早口は、自分でもキモいと思えた。

 なのに楓花は、むしろ申し訳なさそうに、片手を立て左右に振った。


「いやいや、全然気にしないで! そういうことならまた誘うねー。今度ご飯とか行こ!」

「う、うん!」


 私の心の中にあった闇が晴らされた心地だった。

 やっぱり、めっちゃいい子。いい子すぎる。


「じゃ、後でねー!」

「ま、またね!」


 私に手を振った楓花は「じゃ、行こっか」と藤崎さんに言うと、私から離れていった。

 その背中を見送っていると藤崎さんがクルリと私の方を向く。

 かと思えば、ちっさく舌の先っぽを突き出した。


「えぇ……」

 

 あかんベーじゃん。

 なんなんだ。二人はそんなに親密ってことなのか。

 まぁ……いいか。悪い人では無さそう、だと、思う、し。うん。

 今度、少しだけお話ししてみようかな。

 なんか誤解されてる様な気もするし……。


 ──それにしても。

 ここで待っていてもしょうがない気がしてきた。

 緊張がやばいけど、自分から会いにいこう。

 緊張することよりも、やはり会えないことの方が嫌だ。


 生唾を飲み込み、立ち上がる。

 見渡す限り、ここに七瀬さんはまだいないらしい。

 じゃあ購買? かな。


 私は小さなリュックを背負って、食堂を離れる。

 廊下を歩き角を曲がったすぐそこが購買だ。

 私は足早に廊下を移動し、角を曲がった。

 それと同時に、私の足がピタと動きを止めた。


「あ……」


 昨日、画面の中で目に焼き付く程に見た、七瀬琴音その人が。

 偶然にもその場所に、私のほぼ目の前にいた。

 七瀬さん、食堂に向かってきていたのかもしれない。

 いやそれでも、偶然だとしても、ここで会えて良かった。

 それに。やっぱりこうして、三次元で見ると。やっぱり、本当に可愛いんだなって。

 そんなことを思う。思わざるとえないとも言えた。だって可愛いもん。


「……」

 

 お互いに膠着していて、それでもずっとこの沈黙を続ける訳にいかなかった。

 震える口を、私は無理矢理にでも開いて喉奥の言葉を持ち上げる。


「「あの」」


 声が被る。

 見ると、七瀬さんの口元も、若干だが震えていた。

 ここは……まぁ、お譲りしよう。


「「ど、どうぞ」」


 なんでまた被る⁉︎

 

「あ、あの。七瀬さんの方からで、いいよ」

「いや。音海さんの方からで……」


「「…………」」


 そして沈黙。

 こ、今度こそ。


「「……あ」」


 グダグダすぎないか、これ。

 私の根っこは、やはり隠キャなのだと実感する。

 ……いや、これは隠キャとかでは無くて、ただ好きな人を目の前にしているから。

 ちょっとだけ自意識過剰なことを言うと、これはきっとお互い様なのかもしれない。

 お互いに、お互いが好きだから。こうして、緊張して、震えているのかもしれない。

 けど、ダメだ。ずっとこんな状態が続くのは。

 だって、それは七瀬さんだって嫌だろう。

 私を意を決した。喉に詰まった、淀んだ成分を取り除いて。

 

「一緒に、お昼ご飯食べませんか!」


 言い放つ。

 思った以上に、飛び出した声量は大きいものだった。


 返事を待つ。

 この時間はどうも落ち着かなくて、少し不安で。

 だけど、七瀬さんが笑顔になった時、不安はどこかへ消えていった。


「わ、私も、一緒にお昼をしたいと思っていました……!」


 七瀬さんは嬉しそうに、目を輝かせる。

 本当に真っ直ぐとした目で、私を見る。

 私たちは、正しく。目を逸らさずに、お互いの目に見入っていた。

 いや。見入っていたのは、私だけなのかもしれないけれど。

 一秒、二秒、三秒と経ち。やがて七秒を超える。


 『恋の七秒ルール』と言うものがある。

 それは、七秒以上見つめ合うと、恋が発生するという。

 至って非科学的であり、非現実的なことだ。と。

 思っていた。いや、今も変わらずそう思っている。

 

 あぁけれど。

 非科学的で非現実的でも、実在はしていた。

 今それを、私は体感してしまった。


 私は恋に落ちたはずだった。

 けれど、七瀬さんの笑顔と対面して。私は二度目の初恋に落ちた。

 変な表現だけれど、こう表現する他無い。

 それくらいに、今の私の頭はいっぱいだった。

 どうしてこんなにも七瀬さんが好きなのだろうかと、問いたいくらい。

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