インテルメッツォ
七瀬琴音の音楽
あの後、大して練習に集中できず、アパートに帰った私は、
「七瀬、琴音……さん。あぁぁぁぁああ……」
自室のベッドの中で悶々としている最中だった。
だって。もう、アレじゃん。
運命的な出会いすぎたし……。
それに。私は、七瀬さんを好き。になってしまった訳だし……。
え? そうだよね? 私って、七瀬さんに恋しちゃったわけだよね?
いや、うん。そうなんだと思う。
だって。……なんか、凄く。胸がざわざわしてる。
顔を思い出すだけで、めっちゃ。なんか、幸せになる!
「あぁぁああああ!」
隣人に迷惑がかからない様、毛布に叫ぶ。
ちょっと待って。
ずっとこのテンションだと、今日が命日になりそう。
落ち着こう。
十分くらい時間を置けば、冷静になれるかも。
だって。一目惚れって言ったって、少し突拍子も無さすぎる。
冷静になって考えれば、ちょっとは落ち着けるのかも。
さて。深呼吸。冷静になって、ね。考えてみよう。
──そして、十分後。
「あぁぁああああ!」
結果。何も変わらなかった。
やっぱり、好きだった。
根拠は無いけど、好きです。
出会い頭で初恋にぶつかった。
大学入学前にタイムリープしてそれを伝えたら、私は信じないだろう。
それくらいに、突然の出会いと初恋だった。
私は七瀬さんのどこを好きになったのだろうか。
けれどやっぱり、向こうが好きって言ってくれたのが大きいと思う。
今まで。そういうのとは無縁だったわけで。
というか、根暗な私に話しかけてくる人なんて、ほとんどいなかったし。
あと。七瀬さん。凄く、可愛い。
年相応の女性って感じは勿論あって、けどそれ以上に可愛い。
あの整った顔立ちを思い出すだけで、本当に幸せな心地になれる。
呼び方は七瀬さんで良い? 琴音さん?
これに関しては、明日聞いてみよ。
「あぁぁああああ……あぁ……」
さぁ。ここで、何というか、根本的な問題に戻ってみよう。
同性の子を好きになる。女の子同士で好きになる。
それは果たして、どうなのだろうか。
いや待って。恋したんだから、それが答えじゃん。
七瀬さんも、私が好きなんだし……。
はい、解決。
我ながら、とんでもない大学デビューだ。
楓花という友達も出来たし、好きな人も出来てしまった。
少し恥ずかしいこともあったけど、うん。凄い良いデビューだと思う。
あんな可愛い子が、私のことを好きになってくれるだなんて。
七瀬さん……インスタとかやってないのかな。ちょっと検索とか、してみる?
んー。けど、ちょっとストーカーみたいできもいかな……。
あ。そうだ。
一つ思いついた私は、ベッドから抜け出しスマホを拾った。
小さな椅子に腰を掛け、スマホを操作し動画アプリを開く。
私は思った。
コンクール一位を取るくらいだ、何か演奏動画があるかも。と。
案の定だった。
安直に『七瀬琴音』と検索すると、一番上にコンクールの演奏動画が出現した。
学生音楽コンクールの公式が投稿しているらしい。日本でもかなり大きなコンクールだ。
タイトルは『2018年 本選 管楽器部門第一位・グランプリ。七瀬琴音』
関連動画に他の人のコンクール動画もあった様だが、
私が高校一年生の頃のコンクールだ。じゃあ、七瀬さんも高校一年生?
ともかく、楓花の話はどうやら本当だったらしい。
動画のサムネイルには、小さい体に似合わない大きなチューバを澄まし顔で抱える、七瀬さんがいた。
可愛くて、拡大しようとタップしたら、当たり前だが動画が始まってしまう。
「……ま、いっか」
呟きながら、机上にスマホを横に立てる。
スマホに映る舞台の上にはまだ誰もいない。
グランドピアノが、存在感大きく真ん中に置かれているだけだ。
いつ出てくるのだろうか、と疑問に思っていると、アナウンスが始まった。
「プログラム35番。チューバ、七瀬琴音。ヴォーン・ウィリアムズ作曲、チューバ協奏曲 第一楽章」
滑らかな喋り口調で淡々と語られるプログラム内容。
『あ。これ有名な曲だ』と素人ながらにして思える程に有名であり、難易度も高い曲だった。
拍手と共に、制服に包まれた小さな体がチューバと共に入場する。
後ろから着いてくるのは、恐らく伴奏者。
その二人を見比べるだけで、七瀬さんが如何に低身長なのか分かる。
しかし同時に気になりもする。
この小さな体から繰り出される演奏は、如何程のものか、と。
舞台の真ん中。
グランドピアノの前方に置かれた椅子の横に、七瀬さんは直立する。
光に溢れたその場所で、堂々とチューバを抱えた彼女がお辞儀をし、椅子に腰を下ろした。
やはりというべきか、その様子は少しも子供らしくない。
洗練されている。良い演奏をするのだと、予感させてくれる。
楽器を構える彼女。
目で合図を伴奏者に。
それに応じる伴奏者の女性は、スキップの様な前奏を弾き出す。
小さな呼吸音。それが生じた場所を見る。七瀬さんだ。
目を瞑った彼女は、チューバを鳴らした。
「────」
その太く、繊細な音に、私は震えた。
不相応な巨大な楽器を、自由自在に操る。
一音目で、これは一位の演奏だと納得させられる。
フレーズ、音の繋がり、作曲された時代の音楽様式。
それら全てを考慮された。極自然であり、超越的な演奏。
私が嫌いなピアノの音色も、チューバに溶け込みすんなりと耳に入る。
そして私の心臓に、何かが語りかけてくるようだった。
可憐だ。
美しい花が、堂々と咲き誇るように。ただ可憐だった。
その咲き誇る様を見て、私は唾を飲み込むのすらも忘れていた。
しなやかな指がピストンの上で踊っている様だ。
楽器から出る音だけじゃない。身体全体で音楽を奏でている。
カデンツァ──ピアノが消え、チューバのソロパートが訪れる。
3オクターブの階段を、駆け上がる。素早く、それでいて鮮明に。
全ての音が聞こえる。音が潰れない。丁寧でありつつも、力強い。
綺麗──そんな一言では済ませられない、済ませてはいけない。
これは、そんな音楽だ。
作曲者が、求めていた音楽とも言い表せるのかもしれない。
一旦どれくらいの人間が、この演奏に心を奪われたのか、想像もつかない。
第一楽章のクライマックスが訪れる。
けれど派手さはない。ゆったりと、第一楽章は終わりを迎える。
ディミヌエンドし、リタルダンド。
最後はピアノとのハーモニー。
三つの重低音を、深く広く。
残響ですらも、美しかった。
マウスピースから、彼女の唇がゆっくりと離れる。
立ち上がり、上を見上げて礼をした。
顔を上げた時、可愛らしい満足げな笑顔で観客を迎えた。
一気に現実に戻されたような心地になる。
盛大な拍手が、会場を包み込む。
私も思わず、手を叩いていた。
画面が暗転し、動画は終了した。
「はぁ……」
感嘆の溜息を深く吐く。
かつてないほどの余韻が、私を襲っていた。
「やば……」
好きだ。演奏も。七瀬さんも。
ずっと好きになってしまった。
明日になったら、絶対この気持ちを伝えよう。
そう思えるくらいに、演奏を聞いて感情が昂る。
音楽が人を動かす。
月並みなその言葉は、真実だと再認識させられる。
音楽は凄い。作曲者・演奏者によって色を変える。
広い世界だと思う。それはもう、果てしないくらいに。
そして私は今、一つの美しい音楽の世界を見た。
あのホールで聞けたのなら、それはどれだけ素敵なことかと妄想する。
きっと、聞いていたら、少し前の私みたいに一目惚れしていたんだろうな。
ただ。
少し疑問だった。
──こんな完璧な演奏なのに、なぜ実技がトップじゃ無かったのか。
確かに、実技以外がトップでこの大学に入学していたと、楓花から聞いた。
これ以上に、素晴らしい演奏をした人がいた……と。
信じ難いがそう考えるしかないのかもしれない。
……まぁいっか。
それよりも、七瀬さんだ。
明日。話すの自体緊張しそうだけど、それ以上に楽しみ。
「早く明日に、なって欲しい……」
天を仰いで、私は切実に漏らす。
気付けば、私の指はリピートボタンに触れていた。
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