番外編6 本当にあった怖い話・後編

「ヤルンさん!」


 わしが説明する前に近くで淡い光が弾け、中からココが現れた。先日、正式に夫としたばかりのヤルンを見付け、感極まった様子で抱き着いている。

 普段は貴族出身の女性らしく慎み深くしているのに、こやつのこととなると抑えが効かなくなるようだ。あらゆる意味にいて彼女の生命線であるのだから、無理からぬことかもしれないが。


 最初はココに近付かれることを恐れていたヤルンも、夫婦となった今はかなり慣れて見える。他人の魔力に馴染なじむことも魔導師には必須の技能だから、彼女の「特訓」は良い経験になったようだ。

 さすがのわしもその詳細を訊ねる野暮はしない。……今のところは。


「く、苦しいって、ココ」

「だって、ヤルンさんの魔力が急に消えて……本当に心配したんですよ」

「消えた? 別に前みたいに封じられたり、使い切ったりもしてないんだけどな」


 しきりに首を捻っている。ココは一度体を放し、自らの胸の辺りに手を触れた。そこには腕から移した刻印があるのだろう。魔力を生み出す「核」の近くに刻み直し、今まで以上に互いを強く感じられるようになったはずだ。


刻印こちらでは存在を感じられたのでホッとしたんですけど、居場所がどうしても分からなくて。とにかく変な感じでした。一体、何処どこに居たんですか?」

「どこって言われてもな……」


 ヤルンは紫のツンツン頭をかきながら、状況を説明して聞かせた。買い物をしようと思ったらあまり時間がないことに気付き、一気に目的の店まで転移しようとしたのだと。

 大通りで急に消えては騒ぎになる。路地裏で他者の気配がないことを確認し、飛ぼうとして――おかしなところに迷い込んだらしい。


「転移したはずなのに、なんでだか元と同じ場所に立っててさ。最初は俺も失敗したかと思ったぜ? でも違うってすぐに分かった。音が消えたからな」

「音……?」


 ヤルンは「あぁ」と返して続けた。つい先ほどまで聞こえていた音という音が、耳に一切届かなくなっていたのだと。


 裏路地で人気ひとけがないとはいえ、一つか二つ隣の道に入ったくらいだ。一国家の華たる王都の雑踏は、その程度でかき消えるものではない。

 人々の話し声や舗装された地面を踏みしめる足音、馬車の行き交う激しい振動が全く聞こえないのは、明らかに異常だ。


「耳が変になったのかと思ったけど、声を出したらちゃんと聞こえたしな」

「それは確かに『おかしなところ』ですね……」


 話すのを止めて考え込む二人に、わしはようやく「隙間に落ちたのじゃ」と諭した。


「すきま? 俺は溝になんて落ちてませんよ」

「溝か。あながち遠くもないな。隙間とは、世界と世界の溝のようなものじゃからのう」


 勤勉で知識の豊富なココもすぐには飲み込めないのか、ぽかんとしている。反対に直感が鋭いヤルンは何かを思い付いた顔付きになり、直後、サーッと青ざめた。


「ま、まさか、あの世とか言わないっスよね?」

「厳密には違うが、それも遠からずじゃな。いか、この世は一枚の絵ではない。幾つもの世界が重なって出来ておるのじゃ。『隣人』の住まう世界がの」


 魔術という現象も、魔力と魔導書によってそこ――異界から引っ張ってくることで起こしているのだ。となれば、理解も出来るだろう。たまにうっかりとそこへ落ち込んでしまう者が居ても、なんら不思議ではないことが。


「異界……それって」


 滔々とうとうとこの世の仕組みの一端を講義してやると、ココまでがヤルンと同じ顔色へと一気に変化した。


「じゃ、じゃあ師匠が迎えの鳥を寄越してくれなかったら……? い、いや良い! 聞きたくない!!」

「わっ、私しばらく転送術使うのやめます……!」


 これしきのことで恐れおののくとは、成長したかと思えば拍子抜けだ。まだまだ世のことわりについては教えねばならないことが山とあると言うのに。


 はぁ、全く。詰まらぬつまらぬ。


《終》


 ◇人を怖がらせておいて「詰まらない」とは、相変わらず師匠は鬼です(笑)。

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