番外編5 騎士夫婦・後編
角の直撃は痛そうだな、なんてレベルの話じゃない!
あの中には取り扱い要注意の魔術書が何冊も混ざっているのだ。強い衝撃を与えたらどんな恐ろしいことが起こるか。触れたところからココが体をグッと強張らせるのを感じた。
「っ!」
――『止まれ』!
彼女の細い身を抱き締め、雨あられと降ってくる本の影に向かって強く念じる。数秒経った後も、硬いものが木の床を叩く音も、爆風が肌を激しく打ち付けることもなかった。
「と、止まった。はぁ」
腕の中から顔を出したココが、周りの光景と魔力の流れから起きた出来事を知り「凄いです」と呟く。
そうして改めて重力操作の術をかけ直し、空中に無理やり留め置かれた本を安全に床へとおろした。同時に緊張の糸が切れ、くっ付いたまま座り込む。
「すみません、私の不注意で……。ありがとうございました。ヤルンさん、すっかり無詠唱をものにされたんですね」
「たまたま上手くいっただけだって」
「無詠唱」とは、その言葉通り呪文の詠唱をせずに魔術を発動させる方法のことだ。俺は少し前から似た現象を何度か引き起こしており、ならばと最近師匠に仕込まれ始めているところだった。
まだ始めたばかりで簡単な術しか使えないし、成功率も高くない。謙遜でなく、本当に「たまたま上手くいった」だけだ。今回は必死さが功を奏したのかもな。
「私も早く使えるようになりたいです」
ココが頬を膨らませる。呪文を短くする「詠唱短縮」を得意とする彼女は、無詠唱の習得には手こずっていた。短縮には魔術の深い知識が求められるのに対して、無詠唱には強い魔力と意思とが必要とされるかららしい。
魔力の量は申し分ないのだが、余程のことがない限り感情より思考が先行するタイプのココとは相性が良くないのだろう。訓練でも苦労していた。
「っと」
そこまで考えて、まだ密着したままだったことを思い出した。ハッと我に返って慌てて体を離そうとするが、座り込んでいるからか上手くいかない。うぅ、意識したら途端にドキドキしてきた。
すると、ココが申し訳なさそうに言う。
「あの、私、筋肉が付いてて固いですよね……?」
「え?」
そんなことはない。女性に触れた経験などほとんどないから分からないが、こういうのを「しなやか」と言い表すのじゃないだろうか。
そう、しどろもどろに伝えると、ココは安堵したように微笑んだ。
「触り心地が悪くないなら良かったです。ヤルンさんは細く見えますけど、やっぱり男の方ですね」
「そ、そうか? っていうか離れてくれって」
今は術を使ったせいで魔力のタガが緩んでいる。一度冷静になって抑え込まないと、魔術書の暴走を止めた意味がなくなってしまう。
「私の大好きな香りがしているので勿体ないですけど……。大事なお家が爆発してしまう前に少し頂きますね」
こちらの焦りに気付いた彼女はそう言ってくすっと笑い、溢れかけた俺の魔力を吸い取ったのだった。
◇◇◇
「それで、引っ越しは終わったのかしら?」
セクティア姫の庭園でのお茶会に誘われた俺とココは、改めてお祝いへの礼を述べていた。
「はい。使用人の手配までして貰って」
「あら、あそこに住むように言ったのは私なんだから、それくらいの面倒は見るわよ」
そうなのだ。シンに頼もうと思っていたら姫がすでに手を回していて、週に一度、何人か来て屋敷を手入れしてくれることになったのである。
その上、彼らの給金は俺達が払うのだが、城からの出張扱いということで額は相場の半値近くにまで抑えてくれていた。
「だって『家の管理が出来ないから引っ越す』、なんて言われたら困るもの」
「有り得るから全然笑えないっス」
「もし、客を持て成すだとかで人の手が必要になったら言いなさいね。シンに対応させるから」
言ってチラリと姫が目を遣れば、後ろに控えていたシンが「お任せ下さい」と頭を下げる。申し訳ないが、自分達でなんとか出来るようになるまでは甘えるしかなさそうだ。
「他に問題はない?」
「はい、大丈夫です」
応えたのはココで、俺も頷いて同意する。食事も入浴もこれまで通り騎士寮で済ませられるし、いざという時には部屋も使わせて貰えることになっている。至れり尽くせりの待遇だ。
「そう、なら良かった。これからも引き続きよろしく頼むわね。ところで、夫婦としての生活はどう?」
『っ、……!!』
姫に聞かれた俺達は視線を合わせ、自然と互いの鎖骨の下辺りに目を落とし、再び見つめ合って顔を赤らめてしまった。
「二人ともどうしたの? 何かあった?」
「なな、なんでもないっス」
「ええ?」
思わず見てしまった場所。そこには婚姻を機に手首から移した刻印があった。茨の
姫は手首に刻んだ時の目撃者だ。事実を知られれば何をしたかピンと来るに決まっている。そんな恥ずかしい内容、誰が暴露出来るか!
「ねぇココ、教えてよ」
「えっと、それは、その」
大抵のことはサラっと言ってしまうココも、さすがに躊躇してしまうようで口ごもる。獲物を見付けた執念深い狩人を相手に、分が悪すぎる攻防戦は始まったばかりだった。
《終》
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