番外編3 戻れなくなった護衛役・前編

◇キーマ視点で、女装が解けなくなってしまったヤルンのお話。

 時期は第八部の第十話よりは前あたり。

 蛇足感が凄いので番外編行きにしましたが、第九部に少しだけ関係しています。

 ※ほんの少し自重していない表現があるのでお気を付けください。



「ぎゃああああ!」

「……?」


 その日は耳をつんざく悲鳴で目を覚ました。毎日のようにヤルンに起こされていたから、自力で起きるなんて雪でも降るかなー? なんて呑気に思っていたら、誰かにゆっさゆっさと体を激しく揺すられた。


「起きろっ、起きろってば!」

「んぁ、起きてる、よ……?」


 むくりと上体を起こし、目の前の相手に首を傾げる。あれ? 自分を起こしていたのは、てっきりヤルンだと思っていた。

 確か、昨日はココも入れて3人でカードゲームに散々興じた挙句あげく、自室に帰るのが面倒だとか言ってヤルンだけ泊まったんじゃなかったっけ。「床で寝る」っていうから、いいやと思って放っておいたけど。


 ところが、何やら必死の形相ぎょうそうでこちらを見詰めてくる相手は、どこかで見たような顔をした女の子だった。んんー?


「えぇと……どちら様?」


 聞いたら思い切りどつかれた。痛い。でも、今のでだいぶ目が覚めたかも。


「起きろってば! 俺だよ俺っ」

「『俺』? ……ヤルン?」

「そうっ!」


 既視感デジャヴの原因にようやく思い至る。何回かしかお目にかかったことはないが、ポニーテールのその子は、ヤルンが仕事のために魔術で「女装」した姿だった。


 おもむろに手を伸ばし、その紫の髪をき分けて左耳を見れば、確かにそこには魔力を抑えるカフスが付けられ、付属の石も黒々としたつやを放っている。

 どんなに姿を変えても、ここだけは変わらないのだなぁと感心した。


「おい、やめろって、くすぐったいんだよ」

「ごめんごめん。これが一番手っ取り早い確認方法だと思ってさ」


 でも、何故今その姿になっているのだろう? 本人はかなり嫌みたいで、必要最低限の時間しかしないはずだ。

 この前も、「女装男子ってやつだねぇ」って言ったら憤怒ふんぬの形相で蹴られたし。あの時は危うく首がありえない方向に曲がるところだった。


「なんでそんな恰好してるのさ?」


 素直に問いかけると、彼……彼女? は清々しい朝に相応しくないげんなりした様子で、「朝起きたらこうなってたんだ」と項垂うなだれた。


「……戻らないの?」

「戻れないんだよ!」


 ああ、また面白いことになっているようだね。ほんと、見ていて飽きないよ。


「原因に心当たりは? いかがわ……変な夢でも見たとか」


 ずびし! またどつかれた。痛い。もう目は完全に覚めたからやめて欲しい。


「多分、魔力の溜まり過ぎだな」

「溜まり過ぎ? 訓練とかで使ってるんじゃないの?」

「足りてなかったんだと思う」


 なるほど、消費より回復の速度の方が上回ってしまったわけか。


「で、それでどうしてこんなことに?」

「体が危険を感じて、勝手に判断したんじゃねぇかな。安全で確実に魔力を消費出来る方法を」


 確かに変装術は攻撃性もないし、かけ続けている間は魔力を着実に減らせる。というか、それって部屋を吹き飛ばされていた可能性もあったってことだよね?

 よかった。壊されると非常に困るし、始末書仲間にもなりたくない。こっそり安堵するこちらをよそに、ヤルンは大きく溜め息を吐いて再び項垂れた。


「こりゃ、ある程度減るまでは戻りそうにないな」

「相変わらず大変だね」


 とりあえず、ねぎらうつもりでわしわしと頭を撫でてやる。元々ツンツンしていた硬めの髪は、今はさらさらしていて触り心地がいい。落ち込み気味の瞳のまつ毛は長く生え揃い、ぐっとつぐんだ唇には朱がさしている。

 視線を下げれば、昨日から着たままの薄い服は男ではありえない曲線を描いていて、これが全て魔力で出来た幻だというのだから実に驚きである。


「ガキ扱いするんじゃねぇよ」

「いやー、面白くてつい」


 声も多少高くなっていて、ポニーテールという髪形も相まってまるで小型犬みたいだ。ま、元から犬っぽくはあったんだけど、犬は犬でも猛犬だからなぁ。


「とにかくこれでも羽織りなよ」


 言って、自分はクローゼットからコートを出して渡してやった。……あのさ、なんでそこでポカンとしてるかな。幾ら中身が「これ」でも、延々と直視はまずいと思うよ?

 怒りを買えば容赦ない魔術の洗礼を受けるだろうし、ヤルン本人が許しても後で絶対にココ嬢からお叱りを受ける。命は惜しい。


「目に毒だからねぇ」


 仕方なく口にしてやると、ヤルンは己の体に目を落としてから「お前でも気にするんだな」と言ってきた。それでも一応は面倒臭そうにコートを受け取り、さっと羽織った。


「失礼な。同い年の男だってこと忘れてない?」


 自分こそ、少し前に似たようなセリフをココに吐いて、いや、絶叫してなかったっけ?


「……これくらい、そっちにとったら今更だろ」


 どんなイメージを抱かれているんだか。別に百戦錬磨のナンパ師とかではないのだけれど。時々、自分達って互いを誤解し合ってるよね。


「そう言うヤルンは恥ずかしくないんだ?」


 こういう場合、かなりの高確率で赤面するのはヤルンの方だ。でも今は割と冷静に見えてちょっと不思議だった。


「もう慣れた。どうせ自分だし」


 目を合わせず、ぽつりと応える。あー、つまり。そう言おうとした気配を察したのか、すかさず「言うな!」と止められた。


「あえて解説しなくていいから。つか、したらマジでぶっ飛ばす」


 ヤルンて、たまにココより余程乙女思考な時があるよね。こっそりとポエマーだったりするし。数年来の謎だよ。


「それで、これからどうする? 今日の予定は?」

「朝が訓練で昼から仕事だな。……具合悪いつって休むしかねぇな」


 まぁ、嘘ではないか。体は見ての通りだし、魔力を制御する力も落ちているだろうから、出歩かれると逆に周囲が危険だ。落ち着くまでは大人しく閉じこもっていた方がいい。


「んじゃ、自分の部屋に戻ってなよ。何か食べる物を取ってくるから」

「おー、悪いな」

「いつ爆発するか分からない爆弾と一緒に食堂に行くのは、遠慮したいからね」


 ぐっとノドを詰まらせている。反論したくても出来ない顔だ。おっと、あまり怒らせるとこちらが危険かな。そんなやりとりをしながら、ざっと着替えて部屋の外へ出ようとした時だった。

 軽やかなノックが響き、声が聞こえた。


「キーマさん、おはようございます。もう起きてますか?」

「ココかぁ、おはよー。起きてるよー」

「開けるなっ」


 返事をして開けようとしたところで、何故かヤルンに鋭く制止されてしまった。え、なんで? ココだよ? ぽかんと口を開けている間にも、扉一枚の向こうから呼ぶ声が聞こえている。


「どうかしました? あの、そちらにヤルンさんもいらっしゃいますよね?」


 あぁ、やっぱり分かるんだ。お気の毒過ぎるくらいに、ヤルンはココに居場所を把握されている。これで彼女でも奥さんでもないのだから、世の中は謎と神秘に満ちているなと思う。

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