第5話 正騎士になるために④

「ココ!」


 近寄って名前を呼ぶと、彼女ははっとして眠り歌を歌うのをやめた。どちらにしろ、もう近場に敵の影はないから止め時だったのだろう。

 代わりに眠らされたり、俺に蹴散らされた奴らが地べたにゴロゴロと何人も転がっている。この様子じゃ、大怪我でない限りは試合終了まで放置か?


「良かった。ご無事だったんですね」


 全体を見渡すと、最初に20人いた見習いは数分の間に半分以下にまで減っていた。この調子であれば、完全に決着がつくまでも大してかからないだろう。


「そっちこそな。っていうか俺も今は敵だろ、気を抜いてどーすんだよ」

「でも、ヤルンさんに歌は効きませんし、殺気もないようでしたので」


 言って、ココは結界まで解いてしまいそうになったので手で制した。おいおい、気を抜くなっていったばかりだろうに。指摘すると、彼女は今張っている壁について説明してくれた。

 歌へ余力を回すため、今張っている結界それは簡易的なもので、強力な魔術までは防げないものらしい。


「それに、私達には刻印がありますから。魔力を変換されたらどんなに堅固な結界でも意味がありません」

「ふぅん。コレ、そんな使い方もあるのか」


 ちらりと自分の左手首に視線をやる。幻で隠した下のそれを使えば、魔力を相手のものに変えることが出来る。

 結界は他者を排除するものだから、「他者ではない」と信じ込ませてしまえば良いというわけだ。なるほど、実際に使う場面があるかは抜きにしても面白い活用方法ではあるな。


「って、だから戦闘中に手の内を明かしてどーすんだっつの」

「あ、そうでした」


 なんて、試験中には全く相応しくない呑気な談笑をしているうちに、次の手合いがやってきた。ここまで残っているということは、手練れか運に愛された奴に違いなく、どちらも面倒なのは一緒だ。


 敵は紫のローブを着た魔導士だった。俺はすぐさまココに目で合図してから、地を蹴る。勝敗で試験の合否が決まるのでないなら、誰かと共闘したって構わないだろう。そんな考えは彼女にも伝わったようだった。


「喰らえっ」


 こいつも剣で倒してやろうと思ったが、さすがに終盤までの生き残りは間抜けじゃない。すでに結界を張っていて、念のためにと放った一撃はあっさりと防がれてしまった。ちっ、面倒だな!


『氷よ!』


 火でも放ってくれれば楽なのに、そいつがしてきたのは氷のツブテによる攻撃だった。雷とは違う意味で、水の宿った剣では対抗出来ない術だ。理由は簡単、受けたら凍り付いちまうからな。

 でも、氷への対処も慣れっこである。なにしろココの得意分野で、これまで何度食らわされたか知れないからだ。


『火炎、燃え盛れ!』


 剣を握るのとは反対の手で火の粉を生み出して散らす。それは激しい炎と化し、マントを纏うかのように周囲に展開、幾つもの氷の塊を溶かし尽くした。本番はこの後だ。


『踊り狂え!』

 

 呪文で命令を追加してやると、そのまま猛禽もうきんのように敵に襲い掛かる!


「わあぁっ!」


 たとえ結界を張っていても、火に襲われるのは本能的な恐怖を味わうのだろう。が、別にこちらは人を焼いてしまおうなどとは考えていない。死んじゃうし。


「どうだ、まだやるか?」


 戦意喪失して大人しく引き下がってくれればよし、そうでなければ後ろに控えたココが準備している術で波状攻撃をしかけてくれるはずだ、と思った、まさにその瞬間だった。


「ココ、危ない!」

「えっ……」


 キーマの鋭い声がどこからか聞こえたが、内容よりもの名だけを頼りに振り返る。一筋の緑に輝く矢が結界を切り裂き、彼女の左肩にまるで吸い込まれていくかのように突き刺さった。

 結界の崩壊する音が耳を強く打った直後、細い体がふらりと揺れる。


「ココ!!」


 顔をしかめ、「ううっ」と痛みに呻きながら倒れていくその身を、俺は剣を捨てて走り込み、地面スレスレで受け止めた。顔から体中に至るまで、一気に汗が噴き出してくるのを感じた。


 矢は肩に深々と突き刺さっていて、白い騎士見習い服を赤く紅く染め始める。くそっ、ただの矢じゃない。まだ魔導士と弓使いが残っていたのか。ココにもっと結界を強化させておけば良かった!


「待ってろ!」


 一刻も早く治療しなければならないが、対戦中の相手も放ってはおけない、交互に目を遣ってどうしたものか――と思案しかけたところで、そいつは突如「うっ」と呻いて前向きに昏倒した。

 理由はすぐに分かった。キーマが駆けつけてくれたのだ。魔導士は結界を張っていたが、炎への恐怖で集中が途切れ、弱まっていたのだろう。


「ヤルン、弓も片付けたよ。ココの様子は?」


 さすが相棒、仕事が早くて助かる。キーマが近付いてきて、ふうふうと荒く息をするココを見て息を呑んだ。

 思わず矢を抜こうとして我に返る。何の処置もせずに抜けば血が一気に吹き出してくるだろう。位置的に命に別状はないだろうが、血を失い過ぎればその限りではなくなってしまう。


「う、うぅっ」

「じっとしてろよ」


 ココをゆっくりと横たえ、ハンカチを取り出して傷口の上部をきつく縛った。その布もすぐさま赤くなっていく。

 こうなってはもう試験どころではないのに、外野から助けが入る気配はなかった。


「こんな時にどうするかも見られているんだろうね」


 抱えて運ぶべきだろうか。試験なんてまた受ければ良いだけだ。でも、今は傷付いた体を動かすのも恐ろしい気がした。

 矢にかかった――恐らくは風の――魔術は結界を裂いた段階でほぼ消えかかっていたが、残りを完全に消した上で血を止めるところまでは持っていかなければ。


「キーマ、しばらく頼むぞ」

「分かってる」


 参加者は俺達の他にあと数人残っていたはずだ。ボディガードをキーマに依頼し、まずは矢の魔術の解除に取り掛かる。指先で慎重に触れると、それはやはり風の術の一種だった。


 未知の魔術の解析ができるのは、毎晩やっている訓練の成果だ。探ってみるも体へ影響を及ぼす毒や呪いの類は加えられていないようで、ひとまずは胸を撫で下ろした。

 ただの風なら魔力で散らせば良いだけだ。――よし、出来た。あとは力の限り血を止める術と治癒術とをどんどんかけていく。


「……」


 剣のおかげで魔力にはまだだいぶ余裕が残っていた。しかし、傷口が深いのか血はなかなか止まらない。肩周りをさぁっと鮮やかに染め上げたあと、地面にも流れ出しそうな勢いだった。


 そのうち、ココの顔色が赤から白く変わり始める。まずい、もっともっと魔力を叩きこまないと……そう思ったところで、まだあるじゃないかと気付いた。


「ココ、魔力を使わせて貰うぞ」


 断りを入れてから彼女の体から魔力を吸い上げ、そのまま治癒に回す。2人分ならきっと大丈夫……いや、何を腑抜ふぬけたことホザいてんだ、まだまだあるだろ!


 四方に散るココの青い髪をかき分けて耳のカフスを外し、自分のものも引き千切る勢いで取って投げ捨てる。カツン! と音を立てて抑えがなくなった途端、症状は一気に好転し始めた。出血も、顔色の変化も止まったのだった。


「よし、あとは医者にみせれば……」


 ぎぃん! 鈍い音にはっとする。治療に集中していて気付かなかったけれど、キーマが水際の攻防戦を繰り広げていた。

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