第9話 歌の調べ④

『戒めよ――』


 呟き始めると、スネリウェルは「あら、呪文なんて唱えてどうするつもり?」と言った。向こうにしてみれば、無力な人間のせめてもの抵抗に見えるのだろう。でも、そうじゃない。


「そんなことしたって、今、魔力は……」

『砕け散れっ!』


 短いそれを言い終えた瞬間、ぱきん! と音を立てて、命令通りカフスが粉々に砕け散る。


「な」


 スネリウェルが言い、余裕たっぷりだった顔を歪ませた。


「師匠とどんな因縁があるのか知らないけど、あの心配性が、こういう事態を想定してないとでも思ったのか?」


 叫んだのは、万が一の時にと教わっていた、カフス自体に備わる機能を発動させるための鍵言葉キーワードだった。


『これを唱えればカフスは自壊する。じゃが、無暗に使うでないぞ』

『何だ、その無駄機能。自分で壊してどーすんだよ? 使う機会なんかないだろ』


 あったし。あーあ、こりゃまた「警戒心が足りぬ証拠じゃ」とかグチグチ叱られるんだろうな、面倒臭ぇ。

 でも、これで一番大きかった抑えが消え、重々しかった壁にも隙間が出来た。俺は目をきつく閉じ、その僅かな隙間に持てる全ての魔力を集中し、こじ開けていく。


「ん、んんーっ!」


 バリン! と右の腕輪が堪えきれずに弾け飛び、続けて左の腕輪も砕けて落ちた。カフスさえ無くなってしまえば、従来の腕輪では俺の魔力を抑えきることなど出来はしないのだ。


「はー、やっと取れた」

「そんなことが……」


 久しぶりに全部をとっぱらってみると、解放感や充足感がわいてきて気分が良い。同時に体の自由も戻り、足元に落ちていた魔導書を掴み取りながらゆらりと立ち上がった。


「ったく、俺は誰のものでもないっつの」


 改めてきっぱりと言ってやる。色々あって確かに大変だが、ここにいるのは自分の意思であるとな。

 ……さぁ、どうするか。まだ拘束されただけで傷つけられたわけじゃないし、これで引き下がるんだったら、あとは理由を喋りさえすれば許してやろうか。


「くっ」


 しかし、スネリウェルは一度つぐんだ唇を薄く開き、何ごとか唱えようとした。あぁそうかよ。もう完全に頭に来た!!


『来たれ!』


 俺は短く告げ、一気に相手の懐へと飛び込む。彼女ははっとし、間合いに入られまいと、後ろへ逃げようとして――首筋へと突き付けられた鋭い刃にその身を竦ませた。


「……け、剣っ? そんなもの何処から」


 彼女の言葉通り、それはすらりと伸びる刀身をあらわにした一本の長剣だった。


「何処からって、自分の部屋からに決まってんだろ?」


 それだけで理屈は理解したらしく、「常識外れね」と焦った顔に更に汗をかく。


「あ? 何が『常識外れ』だ。転送術で向こうへ『行ける』んだから、向こうからだって『べる』はずだろうが」

「その発想が『常識外れ』なのよ」


 スネリウェルは刃物の煌めきを視界に収めながらも、ずけずけと失礼なことを言ってくる。


「だから、なんでだよ。ここぞって時に剣が出せたら、めちゃくちゃ格好良いじゃねぇか。短い呪文で出せるようになるまで、結構大変だったんだぞ」


 まぁこれで、夜な夜な部屋でこっそりと練習した甲斐があったってもんだよな。ちなみに、実はまだ剣しか持って来られないことは秘密だ。これから増やしていくんだから良いんだよ。


「……」


 さぁ、ぎゃふんと言え! ってな勢いで力説したら、今度は何故か呆れられてしまった。えー、求めてるのはその反応じゃないんだけどー?


「あなた、わざわざ共同研究なんてしなくても、新しい魔術を生み出してるじゃない」


 ……え、新しい、魔術? これが? ふ、普通だろ?


「知っているでしょう? 普通は彼方へ『行く』のにも、魔導具に頼るものなのよ。それで精一杯の魔導師は、逆に『呼び寄せよう』なんて考えない。たとえ発想があったとしても、術として確立するまでに大量の魔力が必要になるから、挑戦する人はいないでしょうね」

「ええ~、マジかよ」


 こんなに便利なんだから、誰かがもうとっくに発明してると思ってたぜ。それとも、実はあるけど発表されてないとか、魔術陣みたいに失われたとかかもな? 強力な術って継承されにくいみたいだし。


「本当、勿体ない才能ね。ねぇ、やっぱり私の弟子に」

「ならないっ。しつこいな!」

「そう」


 彼女はそこで一区切りを入れ、絶対的な窮地にもかかわらず面白がるように口の端を上げた。


「……こうして剣を突き付けてるけど。あなた、出来るの? 魔導師が剣で人を傷つけられる?」


 はぁ? なんだそりゃ。そんなしょーもない言葉で人を動揺させられると思ったのか? ……ん、普通は戸惑うもんなのか?

 俺なんて、最近は作れるようになった分身を相手にズバズバ斬り合いをしてるんだぜ。え、自殺行為だって? そんなもんは気のせいだ。


「馬鹿か。ガキじゃあるまいし、魔導師にそんな脅しが通用するか。怪我なんてものはな、治しゃあ良いんだよ」


 あぁ、初手以外は随分と温いと思ったら、多分この人は兵士上がりの魔導師じゃないんだろうな。もしココが相手だったら、三回くらいは命が尽きてた気がするぞ。


「さぁ、どうするんだ。降参するのか、しないのか」

「……私の負けね」


 耳元で緊張の糸がぷつりと切れる音がして、俺は剣先を下ろした。

 その後、念のためにスネリウェルの魔力を術で封じ、化粧室でどう処理したものかと考えを巡らせていると、騒ぎに気付いたらしい師匠がやってきて、こう言った。


「なんじゃ、終わっておったか。本当にしようのない馬鹿弟子め」

「えー、ちゃんと切り抜けたのにそれは酷くないっスか?」

「お主のことではない」

「え。……ええっ、それって!?」


 自分は呆れた表情の師匠と、そんなじいさんをキッと強く睨み付けるスネリウェルを交互に何度も見比べてしまったのだった。



「にゃあ」


 その日はさすがに夜の訓練はなく、俺は自室で灰猫のテトラを撫でながら魔力を与えてやっていた。撫でられて気持ちがいいのか、それともエサが貰えて嬉しいのか、腕の中で目を細めながらゴロゴロとノドを鳴らしている。


 うーん、このままだと完全に「使い魔」確定だよなぁ。やらせている仕事はキーマの先生だってのによ。でも、キーマじゃあテトラを維持するだけの魔力は与えてやれないし、仕方がないか。はぁ、やれやれ。


「私にも触らせてください」

「ん、ほらよ」


 ココが言うので、テトラをポンと渡してやる。椅子に腰かけ、柔らかい毛並みに沿って笑顔で背を撫でながら、彼女は「本当にご無事で良かったです」と呟いた。


「ヤルンさんが大広間になかなか戻って来られなくて、魔力の気配が消えた時には心臓が止まるかと思いました」


 腕輪をはめられた時のことだろう。ココはそれでも持ち場を放り出していくわけにもいかず、じりじりとした心地で待っているしかなかった。


「心配をかけたみたいで悪かったな」


 ベッドに座るキーマが「にしても」と言う。


「ほんと、びっくりだね」

「あぁ。スネリウェルが師匠の昔の弟子だったなんてな」


 そう、今回の一件はかつての師弟によるいさかいが発端だったのだ。

 スネリウェルは昔、師匠の弟子をしていたが、あの性格が嫌になって逃げだしたという。分からなくはない……いや、良く分かるぞ!!


「師匠がやたらと俺を捕まえておこうとするのも、前科があったからだったってことか」

「前科って」

「前科だろ」


 今回の騒動も、悪辣な手段自体はともかくとして、幾らかは師匠の被害者を救いたい気持ちがあったのかもしれないな。


「それであの人、どうなったわけ?」

「俺の方は、あの人が纏めた魔術歌についての魔術書で手を打った」


 机の上にはその本が置かれていて、ココがあとで自分にも貸して欲しいと言ってきたので了承した。つか、先に読んでいいぞ。俺は歌なんて覚えるつもりないし。


「あとはヤツと師匠の問題だからな。まぁ、もしまた似たようなことをしやがったら絶対に許さないけどな!」


 拳を握り、力いっぱい宣言した俺ではあったが、本当に怒りを覚えたのは翌日の昼のことだった。護衛の仕事を終えたあと、セクティア姫がすっと近付いてきて、信じ難い発言をしてきたのだ。


「貴方の師匠に言われた通り、宮廷楽師の手配をしておいたわよ。なんでも魔術のために歌の練習をするんですってね?」

「はぁっ? う、歌の練習!?」

「今度、是非聞かせてね。楽しみにしているから」

「ええぇぇっ」


 あんの、くそジジイめぇ……! だだ、誰が歌なんか歌うかよっ!!


《終》


 ◇第十部の本編はここで一区切り。

 座談会と、第九部・第十部の人物紹介&用語集で終了の予定です。

 ここまで読んで下さり、ありがとうございました。引き続きお付き合い頂けると嬉しいです。

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