第9話 歌の調べ③
「分かりました……。こちらです」
「ありがとうございます」
仕方なく手を取ったまま、長い廊下を連れだって歩いていく。あぁ、視線が痛い。ぐさぐさ刺さってくる。
「あの騎士見習い、誰だ?」
「どこの所属だ?」
だよなぁ。今までこの格好で仕事してたのってごく一部の場所だけだったし、今、女性騎士は全員中だ。ウロウロしてたら超・目立つよな。
うぅ、もし声をかけられたらどうしようか。その時は本当のことを言うしかないんだろうけどさ、はぁ。
けれども、幸いなことに行きは誰にも声をかけられずに、目的地である化粧室まで案内することが出来た。扉をキィっと押し開けてやり、彼女を中へと通す。もちろん俺は外で待機だ。
「ここにいるので、何かあったら声をかけてください」
「はい」
するりと入っていく背中を見送り、ぱたんと扉を閉める。しばらくの間は静かだった。たまに物音がするくらいで、特段、気になるほどでもない。
ただ、更に少し経ち、そろそろ……と思った頃、俺はあるものを耳にした。
「……歌か?」
そう、歌。子守歌のような、柔らかい調べだ。「歌姫」っていうくらいだし、気分が良くなって、鼻歌でも歌っているのだろうか?
でも、こちらも早く受け持ちの場所に戻らなくてはならない。あまり悠長に待っている時間はなかった。
「あの、そろそろ良いですか……?」
中を極力見ないように気を付けながら、扉を開けると、歌がより大きく聞こえてきた。それは優しくて甘い、不思議な音色で、聞いているとだんだん……。
その時、カシャン、とすぐ近くで別の何かが冷たく鳴り、瞬間、くらりと眩暈がした。え?
「なんだ……」
違和感を覚えて扉に添えた自分の左腕を見、そこにあった物を見て――
「なんだよ、これ……ッ!」
疑問を口にしながらも分かっていた。それはどう見たところで、魔力を抑える魔導具の腕輪に違いなかった。「うっ」と声が零れそうになる。
今、俺は耳にカフスを着けている。その上に更に魔導具を付けられたら、体内の魔力はほとんど動かせない。駄目だ、変装術も保てない。幻が
「っ!」
すっと扉が引かれ、支えのなくなった体が前につんのめりそうになる。無理に捻って壁際に持たれかけさせたところで、とうとう術が解けて本来の姿を晒してしまった。
何が起きているのか分からないけど、とにかく早く、どちらかだけでも外さないと……!
「ふふ、こんにちは。さぁ、これもあげるわね」
「や、やめっ!」
相手の方が一枚上手だった。俺の手が耳に届く前に、右腕にもカシャンと腕輪がはめられ、僅かに残った力も完全に抑えられてしまった。
ごとりと懐から魔導書が落ちる。常時かけたままにしてある様々な術が、全部解けてしまったのだ。
魔力を一気に抑えられたせいか、体にも力が入らない。壁に沿ってずるずると硬い床に腰を落とすしかなかった。
扉は今や完全に閉じてしまい、視界の外から伸びた手がご丁寧に鍵までかちりと閉めてくれる。
「良い姿ね」
さっきから聞こえていたのは、あの歌姫の声ではなかった。その響きからもしかしてとは思ったが、かろうじて顔を持ち上げて完全に把握する。
「なんて強い魔力なのかしら。腕輪が二つも必要になるなんて思わなかったわ。でも、これでやっとお話が出来るわね、黒い坊や」
ねっとりと喋るのは、あの西の魔術学院長のスネリウェルだった。紅色の髪と瞳は紺の髪と紫の瞳に、ドレスはローブへと変じている。
どういうことだ? いつ歌姫とすり替わったんだ? いや、最初からこの女の変装だったのか? だとすれば、手に触れた時の違和感にも説明がつく。くそ、下手に遠慮なんてしなきゃ良かったぜ。
「『話』だぁ? 俺をどうしようってんだ」
まさか魔力を奪うつもりだろうか。それこそ根こそぎ、命ごと。そんな想像が頭を過ってゾッとする。
しかし、スネリウェルはオモチャを前にした子どものようにくすくすと笑い、「そうね、どうして欲しい?」などと意味の分からないことを言い出した。
「どうして、って。解放して欲しいに決まってるだろ」
そんでもって、お前をぶっ飛ばして騎士団に突き出す! ……と、ここまで口にしてしまうと敵を煽りそうだったから思いとどまった。すると、彼女はまたも妙なことを口走り始めた。
「あなた、本当に素晴らしい魔力の持ち主ね。ねぇ、私の弟子にならない?」
「は? 弟子……?」
予想外の要求だった。こういう場合って金か命が相場じゃないのか? なんで、「弟子」?
「あなたを勧誘に来たの。あんな老いぼれの人でなしじゃなくて、私の弟子になってくれないかと思って。きっと楽しいわよ?」
「あんな老いぼれ……って、師匠のことか?」
そうだろうなと思いつつも確認すると、スネリウェルは「えぇ」と頷いた。
「自分のことと魔術のことしか興味がない、あのロクデナシのジジイのこと」
「……」
先ほどの「人でなし」発言といい、この点に関しては、俺はちっとも否定できなかった。マジで事実だから。
っていうか、そんなことを口にするからには、この
ん? 俺はもしかして、そのこじれた人間関係のとばっちりを喰らってるのか?
「あなただって、あんな人の弟子でいることに嫌気が差しているんじゃない?」
「……」
完全な肯定も否定もしかねてぐっと押し黙っていると、「ねぇ、どうする?」と改めて問いがかけられる。深い色の瞳がさも楽し気に笑っていた。
「自分の意思で私の弟子になる? それとも――私の歌で、私のものになりたい?」
「っ!」
そうか、歌か。おかしいと思ったんだ。そのせいで身動きが上手く取れなかったんだな?
「古代語で歌う魔術の歌よ。これは、あの人には教われない術……興味ない?」
ない、と言い切ると嘘になるか。あの師匠だって、この世にある全ての魔術を網羅しているわけではないみたいだし、知らない魔術への好奇心はある。でも、「歌」ってのはどうなんだ?
「そんなの、俺よりココの方がよっぽど向いてると思うぞ。なんでこっちに振るんだよ」
彼女なら(正しい手順で)勧誘すれば食いつくんじゃないだろうか。
でも、現実の話の振り方は恐ろしく暴力的だ。一度はココに案内を変わって貰えば良かったと後悔したが、こんな面倒な展開が待っているなら自分で正解だった。
「ココ? あぁ、連れていた黒いお嬢さんね。あの子こそ、あなた次第なんじゃないかしら」
「買い被り過ぎ。ココは動く時は俺より早いぞ。よっぽど行動力も決断力もあるからな」
じゃなきゃ、あの大人しそうな見て
「あら、そうなの。なら、あの子を動かせば、あなたが釣れた?」
「俺は魚かよ。それもない」
「残念。……それで、もう返事は決まったかしら」
「どっちもお断りに決まってんだろ」
即答した。弟子になる気も、誰かの所有物になる気もない。……本当にないってば。
「こんな状況なのに、随分と強気なのね。じゃあ……」
スネリウェルは笑みを深めた。俺を従わせるために、あの妖しげな歌を再び歌おうとしているのは明らかだ。多分、次にあれを聞かされると、こちらの勝ち目は完全になくなってしまうだろう。
だったら先手必勝あるのみだ。今度こそ遅れなんか取らないからな! 交渉しようなんて甘いことを考えて、こっちの口を封じておかなかったこと、目いっぱい後悔させてやるぜ。
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