第9話 歌の調べ①
二・三日の間はそれなりに過ぎていった。日中は相変わらず仕事や訓練漬けだったし、夜は飛空術の練習を行っていた。
俺は早く一人で空中を飛べるようになりたかったが、ココは恐怖心がなかなか克服出来ないようで、その段階には程遠くてまだ二人で特訓中だ。
でも、転送術の時も最初こそ怖がっていたけれど、ちゃんと乗り越えられたのだ。努力の鬼が本気を出しさえすれば、今回だって時間の問題だろう。
ちなみにキーマはテトラ先生の熱血指導のもと、光を生み出せるようになって喜んでいる。このまま進められるといいな。
「盛況だねぇ」
それは、朝の雑然とした騎士寮の食堂での出来事だった。人がとにかく多かったけれど、なんとか四人掛けの席を抑えていたら、少し遅れてココが女子寮からやってくるのが見えた。
「おーい」と手を振って合図する。まぁ、こっちの位置は最初から分かってるだろうけどな。
「キーマ。席を取っておくから、先にココと行って来いよ」
「おっけー」
などというやりとりを、キーマとしているうちにも彼女が合流し、いま交わしたのと同じ内容を伝えようとした時だった。言うよりも先にココが俺に真っ直ぐに向かい、真剣な表情で口を開いたのだ。
「おはようございます。……ヤルンさん、お願いがあるんです」
「お願い? なんだよ、改まって」
ココがお願いとは珍しい。少しだけ嫌な予感がしたが、いつも世話になっているのはこちらだし、と傾聴しようとしたのだが、それがいけなかった。
「私のために……女の人になってください!」
「……は?」
気合の入ったその声は思った以上に食堂内を駆け抜けてしまい、周囲は一瞬しぃんと静まり返った。向けられる訝し気な視線に耐え切れず、俺が速攻で走り去ったのは言うまでもない。
「すみませんでした!」
そのまま庭園まで移動し、蔓草のアーチの下でがっくりと項垂れていたら、あとを追ってきたココが焦った様子でぺこぺこと頭を下げてきた。
「……もう良いから。次は気を付けてくれよな」
「は、はい。気を付けます」
悪気がないのは分かっているし、謝られたからと言って時間を巻き戻せるわけでもない。
あ、空間だって空だって飛べるようになったのだし、もしかして時間を操る魔術もあったりするのかな? だったら一刻も早く身に着けたいところだ。今夜にでも師匠に聞いてみようっと。
それより、今は気持ちを切り替えてココの発言の真意を聞くことにしようか。キーマじゃあるまいし、俺を困らせるために言ったわけじゃないだろうし。
と考えたそばから、キーマ本人がのんびりと歩いてくる。その腕には細長いパンが三本あった。
「とりあえずこれだけキープしてきたよー、はい」
「おう、助かる。っていうかお前、あの状況で良く食堂に残れたな。勇者かよ」
「パンを持ってきただけで勇者? じゃあパン屋は勇者の集会場だね。ま、その称号は有難く貰っておくよ」
とかなんとか軽口を叩きながら、「はい、どーぞ」とココにも渡してやっている。
「ありがとうございます」
さすがにパンだけだと腹は膨れないだろうが、今日も仕事や訓練があるのだし、何も食べないよりは数倍はマシだ。後で人が減った頃に、飲み物だけでも貰いに行こう。
俺はパンをもそもそとかじり、ごくりと飲み込んでから「それで」と話を再開した。
「で、さっきはなんだって、あんなことを言ったんだ?」
「それは……髪を結う練習をさせて欲しかったからです」
「髪?」
意味が分からなくて聞き返す。ココは自分の長く伸びた青い髪を指先で触り、今度、護衛としてセクティア姫に同行しなくてはならない「晩餐会」について話し始めた。
「王妃様が主催する、王侯貴族の女性だけが集まる会だそうです」
「ふぅん?」
晩餐会と聞いて平民である自分に思い浮かぶイメージは、優美な音楽と贅を尽くした料理、互いの容姿などを褒め合う囁き声、くらいだ。
俺はまだその会については説明を受けていないから、休みを取っている間か、直前にでも出回った話なのだろう。隊長や姫に確認してみないとだな。
「それで、その晩餐会には『髪をきちんと結い上げてくるように』って、言われてしまったんです」
彼女の髪はいつもストレートだ。今は背中の真ん中あたりまで伸びている。
魔導師は武器に髪をひっかけることがないので、普段は結わなくても特に問題がないのだが、今回に限っては違うということになる。
「兵士に志願する前はどうしてたの?」
キーマが聞いた。そっか、ココは貴族の出身だもんな。令嬢が髪をずっと伸ばしっ放しってことはないか。
「家にいた頃は
やっと話が通じた。それで俺に髪結いの練習台になって欲しいってわけか。内容は理解したが、間を端折り過ぎだろ。唐突過ぎてびっくりしたぜ。
「あははは、面白い告白だったよねぇ」
「告白ですか? ……え、ち、違いますっ!」
キーマの言葉にココは一瞬だけ理解できない顔をしたが、すぐに真っ赤になって首をぶんぶん横に振った。良かったー、そういう意味じゃなくて。だって、なぁ。
「わわ、私、そんなつもりじゃありませんっ」
「分かった。分かったから詰め寄らないでくれって!」
抱き着かんばかりの勢いにのけぞってしまう。慌ててそう言うと、一旦は引き下がったものの、改めて髪の件について頼むと頭を下げてきた。
「他にお願い出来る人がいないんです。お願いします」
「うーん」
どうしたもんだかな? パンをぺろりと食べ終わり、水分がすっかり失われた口の中を持て余しながら腕を組んで悩んでいると、ココは更にこう付け加えてきた。
「当日、ヤルンさんの髪も私が結いますからっ」
「ぶふっ!」
……は、はぁっ? なな、何? 当日っておい、まさか……!? 恐ろしい、いや、おぞましい想像が脳裏を駆け巡る。
嘘だろ? 今すぐ冗談だって言ってくれ! そんな、こちらの絶叫せんばかりの胸中など知りもしないココは、小首を傾げながら真実をさらりと告げてくれた。
「セクティア様は、『会場の中を女性に、外を男性に警戒して貰う』と仰ってました。ヤルンさんには中をお願いするとも言っておられましたよ?」
「ま、マジかよ!」
幾ら説明の場にいなかったからって、んな大事な話、相談もなく決めないでくれっての!!
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