第2話 予想外の案内人④

「お待たせしてすみませんね。用事が長引いてしまいまして」

「あぁ、いえ」


 ノックをして入ってきたのは、40代半ばあたりに見える男性だった。

 肩を超える長さの髪の色と同じ、深いグレーの生地に銀糸の複雑な刺繍ししゅうが入ったローブに身を包んでいる。細いフレームの眼鏡に指先で触れる姿がいかにもインテリといった風情だ。


「お招きありがとうございます。ヤルンです」


 俺が立ち上がって手を差し出すと、彼はにこやかに笑って握り返してきた。触れたその手は急いでやってきたからか湿り気を帯びていた。

 おっと、下手に魔力を読み取ってしまわないように気を付けないと。この間の握手会のせいで、変な癖が付いちまったんだよな。

 

「初めまして、マスター・ヤルン。この魔術学院の学院長をしているドゥガルです。よくいらして下さいましたね」


 わ、いきなりトップの登場かよ。よもや、手紙の相手が学院長だったとはな。俺は再度着席を促され、向かいにドゥガルと名乗った学院長が腰を下ろす。

 それを見届けたダールは入れ違いに退室していった。


「ヤルンさんがダールのお兄さんと親しいと聞いて、ここまでの案内を頼んだのですよ」

「そうだったんですか」


 突然の出会いは偶然じゃなかったのか。まぁ、まだどうしてスウェルやウォーデンでなくて王都にいるのかという疑問は残っているのだが。

 俺は「びっくりしました」と言いかけ、ぐっと飲み込んだ。今は驚きについて悠長に談笑している心の余裕がないし、さっさと本題に入りたかった。


「自分とココにご用がおありだとうかがってきたんですが」

「えぇ。例の論文を読んで、大変素晴らしいと思いましてね」

「はぁ」


 あれか。あれくらいの研究、王都にはゴロゴロ転がってると思うんだけど。師匠が言ってたみたいに、やっぱり俺達の魔力狙いか?

 ドゥガルは眼鏡の奥に知的さをにじませる笑みを浮かべ、話を続けた。


「特に、使い勝手と基礎さえ出来ていれば習得が可能なところが良いですね。一つひとつを別々に唱えるより、魔力消費も少なくて済みますし。完成させるまではかなりの魔力が必要だったのではありませんか?」

「まぁ、それなりには」


 未完成の術には「型」がない。何の手がかりも、まして完成するかも分からないパズルを解くようなもので、試行錯誤と無駄な労力がかかる。

 出来上がった魔術がいかに低魔力で発動可能だとしても、そこに至るまでには膨大な魔力がるってわけだ。事実、あの時は何度も魔力が空っぽになった。


 限界が近くても「あと少し」と思うと途中でやめられず、二人揃って床に倒れているところをキーマに発見されていたっけか。


『気絶寸前の人間を運ぶの、大変だったんだからね』


 後日、あいつはそうぼやいたが、実際に運んだのはココだけで、俺は水を飲まされて床に放置されてたんだよな……。むむむ、思い出したら腹が立ってきたぜ。


「将来有望なお二人に是非一度会って話をしたいと思い、お城あてに手紙を送らせて頂いたのですよ」


 ふむ、それをお姫様がすげなく断り続けて、いや、握り潰し続けてたってわけだ。にしても「話」ねぇ? あらかじめ受けていた印象と違う感じがするな。


「具体的にはどんなお話ですか? 自分はセクティア様の護衛役をおおせつかっている身ですから、教師や研究者にと望まれてもお断りするしかありません。ココも同じです」


 俺は先にこちらの意思をズバッと伝えてしまうことにした。あとでどうこう、なんて流れになったら面倒臭すぎるからな。すると、彼は「いえいえ」と首を横に振った。んん、違うのか?


「そのような無理をお願いするつもりはありません。私がお願いしたいのは、魔術の共同研究です」


 共同研究? 問い返そうとしたその時、がちゃりとノブを回して入室してきたのはダールで、その手には盆を載せていた。帰ったのかと思ったら飲み物を取りに行ってくれていたようだ。


「どうぞ。学院長先生、僕も一緒に話を聞いても良いですか? 邪魔はしませんから」


 ドゥガルは俺に目配せし、こちらが頷くのを確認してからダールにOKを出した。彼は嬉しそうに笑って空いた椅子にちょこんと座る。


「それで、共同研究というのは何ですか?」

「そのままの意味です。我々と、まだこの世にない新しい魔術を創りませんか、というお誘いです」


 新しい魔術を創る。その言葉は俺の好奇心をくすぐるのに十分な魅力を持っていた。しかし、この場で即決するわけにはいかないだろう。


「考える時間を貰えませんか? ココとも相談しないといけませんし。「それから、この学院の見学をさせて欲しいんですが」

「もちろんです。じっくり考えてください。学院も是非見ていってください。ヤルンさんはウォーデンの魔術学院におられたんですよね? こちらとしても客観的な意見をおうかがいしたい」


 それでは明日改めて、と日程も確認したところで学院長との会話は終わった。建物の玄関まではまたもダールが付き添ってくれたが、俺は帰りの馬車の手配は断り、明日以降も必要ないと告げる。


「え、歩いて帰るんですか? もう道も暗いですよ」

「大丈夫だって。こう見えても騎士だぜ? ……まだ見習いだけど。色々、歩きながら考えたいこともあるしさ。じゃあな」


 当然、大嘘である。最初は相手の顔を立てるためもあって馬車に乗せてもらったけれど、場所さえ分かってしまえばこっちのものだ。

 物陰まで歩いていき、周囲に人目がないのを確認した上で「パッと」帰ることにしたのだった。



「よっと」

「おぅわっ!? ってヤルンか。びっくりさせるなよ!」


 以前、転送術に失敗した時に城への出入りには門を通すように言われたので、きちんと守って門の真ん前に出たら、ひっくり返った見張りの兵士に叱られた。


「え~、じゃあどこに出ればいいんスか。注文が難しいっての」

「魔導師なんだろ、魔術でなんとかしろ」

「んな無茶な!」


 いっそ「人を驚かせずに転移する方法」を研究テーマにすれば良いんじゃないか? たとえ完成したところで役立てられる人、どれくらい居るかは知らないけどな。

 俺は師匠への報告のために兵舎に寄ってから、騎士寮に戻ることにした。


《終》

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