第2話 予想外の案内人①

 すっかり日も暮れた中を、豪奢ごうしゃな馬車がごとごとと走る。規則正しく揺れるそれは、やがてはゆっくりと止まり、扉が開いて俺を外へといざなった。

 銀糸の刺繍ししゅうがなければ夜闇に溶けてしまいそうな黒いローブを羽織り、軽い手荷物だけを持った状態で降り立つ。そこは日が暮れた今もあちこちにともされた魔力の明かりに照らされて明るかった。


「さすがは王立魔術学院、立派だなぁ」


 来るのは初めてだから、どうしてもきょろきょろと見回してしまう。格子に囲まれた中には草木が茂り、その奥に見える薄紫色の壁は明かりを照り返し、妙に物々しい雰囲気を醸し出しているように感じられた。


「お待ちしてました」

「え……?」


 ふいにかけられた出迎えの声は高く、まるで子どものようだなと思ったら、事実、10歳くらいの少年が一人きりで立っていた。しかし、俺が驚いたのは決して「幼かったから」ではなくて――。


 ◇◇◇


「セクティア様、何日か休みを貰っても良いスか?」


 手紙の一件や握手大会を終えた数日後。セクティア姫の自室で、俺は仕事を終えたタイミングをはかり、思い切ってそう切り出した。隣にはちょうど隊長のレストルも居て、日程の調整のためには都合が良いと考えてのことだ。


「休み? 私は構わないわよ。レストルの方はどうかしら」

「……数日間は大きな行事もありませんし、こちらも特に問題ありません」

「だそうよ。良かったわね」


 急に言い出しても無理かもしれなかったけれど、二人は軽く打ち合わせただけであっさりとOKを出してくれた。やったぜ。


「何日かということは、遠くに出かけるつもり? 魔術で何処へでも行けるって本当にうらやましいわね。そうだ、そのうちに私も連れていってよ。たまには里帰りして子ども達をお父様やお母様にも見せしたいし」

「里帰り? いやいや、セクティア様の故郷って隣のフリクティー王国じゃないスか」


 ココと協力して幾つか中継地点を挟めば、三人くらいは移動出来なくはないだろうが、そんな遠方に王族を着の身着のままで行かせられるわけがあるかっての。

 つうか絶対にキーマも付いてくるだろうから、全員で6人か。大所帯過ぎだし。レストルも冷や汗を浮かべた顔で付け加えてくる。


「道中のお召し変えや食事、身の回りの世話をする侍女や護衛だって必要になるでしょうし、お土産の品も沢山ご準備なされるのでしょう?」

「まぁ、確かに手ぶらってわけにはいかないわねぇ」

「それらを全部、たった二人で運ぶのは流石さすがに無理っスよ」


 例の魔導具の布だって、国境をまたいで王都同士を繋ぐのは防衛上、まずい気がするしなぁ。国のお偉いさん連中から滅茶苦茶叱られそうだ。

 いや、飛ぼうにも絶対的に動力が足りないか。現実的に考えて、馬車でないとやっぱり無理だな、うん。師匠なら何か良い手を持っていそうだが、相談して達成されても困るし黙っておこうっと。


「えぇ? そこをどうにかならないの?」

『なりません』


 二人で声を揃えると、姫は自身の双子の子ども達みたいにむぅと膨れたが、すぐに「仕方ないわね」と諦めてくれた。


「分かったわ。じゃあ里帰りについてはまた改めて考えることにして、近場なら良いでしょう? 私、草原や山が見たいのよね。そろそろシリル達に乗馬も教えたいし。あっ、たまには海も良いわねぇ」


 って、全然諦めてねぇし! この調子だと、近いうちに絶対にあちこち連れて行けって命令されそうだな。せいぜい誘拐犯扱いされないように気を付けないと。ココにも、くれぐれも注意するように伝えておくとしよう。


「それで、どこに旅行に行くのかしら? あぁ、もしかしてスウェルの実家に里帰り……分かった! いよいよ結婚の報告に行くのね? ならもっと早く言いなさいよ。こちらにもお祝いを準備する都合ってものが」

「全然違いますッ!」


 待て待て待て! 俺は慌てて姫の妄想を遮った。でないと、彼女の中でどんどんと膨らんで現実のものとなってしまい、勝手に手を回されて気が付けば結婚式場にいた、なんてことになりかねない。

 このお姫様は、本気を出せばそれくらいは易々とやってのけてしまう人なのだ。防げる悲劇は全力で止めなければならない!


「そんなに遠くに行くつもりはないんですって。ただ何日か、自由な時間が欲しいだけで」


 だから、もし仕事のシフトが厳しいようであれば半日の休みを数日、という形でも構わない。実際、師匠の訓練のこともあるから、毎日夜には戻ってこようと思ってるしな。

 そう告げると、少々不審に感じたのだろう。姫は少しばかり剣呑けんのんな光を瞳に宿して言った。


「もう。どこに行くつもりなのか、はっきりと言ったらどうなの?」

「行き先を言わないと駄目っスか」


 出来れば知られずに済ませてしまいたかったけれど、腰に手を当てて俺を見る彼女はそれを許してはくれそうになかった。


「普通であれば、そこまで個人に干渉するつもりはないわ。でも、分かっているでしょう。貴方は私……『私達』にとって、既に他の人間とは同列ではなくなっているのよ」


 それはシリル王子とディエーラ王女の身に関わることを意味していた。二人は、今は魔導具カフスで魔力を抑えて何事もなく生活しているけれど、今後どうなるかは誰にも分からない。


 いざという時に魔力を探って対処出来るのが俺だけとなれば、好き勝手に出歩かれては困ると言いたいのだろう。こちらとて心配する気持ちは分かるし、多少は責任も感じている。


『わしとしては、お主がより強く王族に取り込まれたことの方が問題じゃ。おかげで身動きが取り辛くてかなわぬ』


 師匠の言葉が耳に微かな痛みをともなってよみがえった。

 こういうことかよ。はぁ、仕方ない。「言え」というなら、お望み通り言ってやろう。なんだか、この人との会話はこのパターンが多い気がするな。


「……王立魔術学院に、行ってみようかと」


 すると、予想通り彼女は頬をぴくりと引きつらせた。お気に召さなかったようだ。まぁ、無理もないのだろうが。


「どういうつもり? 先日した話を聞いていなかったのかしら。要請を受けるつもりはないと、はっきり伝えたはずよ?」

「分かってます」


 先日の話、それは魔術学会が俺やココを寄越せと言ってきている件のことだ。実はというほどのことでもないが、学会の本部はこの王都の城の目と鼻の先、王立魔術学院の一角に存在しているのである。

 そこに俺が行くつもりだと伝えたから、青い瞳の貴婦人はいたくご立腹なのだった。


「じゃあどうして? 今の生活に何か不満? それとも給料の上乗せ要求かしら」

「違いますって! 不満なんてないし、給料も十分過ぎるくらい頂いてますっ」


 嘘じゃない。本業である護衛役以外にも、魔導具の作成や催しなどの色々な「副業」をやらされているせいで、俺のふところうるおいまくっている。

 絶対に騎士見習いが得られる額面ではないし、(怖くて確認してはいないが)隊長であるレストルを超えている気がするくらいだ。


 その証拠に、俺達の給与管理もしている彼の口の端がぴくりと跳ねるのを視界の端で目撃してしまった。うげ、見なきゃ良かった! 今度、菓子折りか酒でも買い込むか!?

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