第8話 魔導医の健康診断・前編
「この後、医務室へ健康診断を受けに行ってくれないか」
その日、仕事上がりに護衛役の詰め所に寄って「着替え」ていると、後からやってきたレストルに声をかけられた。ってか今、更衣室のドアを開けた瞬間ビクッてしたよな。そろそろ慣れて欲しいんだけど。
「健康診断ですか?」
俺は聞き返した。実は何日か前から受けないといけなかったのに、連絡を忘れていたらしい。
「あぁ、悪いな」
「いえ、何か持って行くものはありますか?」
「いや、手ぶらで問題ない」
隊長の業務って、メンバーのシフトを組んだりするみたいな事務的な仕事も多そうだし、連絡漏れくらいあっても仕方ないよな。
こちらも別段急ぎの用事もないし、間に合うなら全然構わない。
「分かりました。ココにはもう連絡したんですか?」
聞けばレストルはしまった、という顔をし、「まだだった」と呟いた。想像通りだ。ココに話が通じているなら、内容からしても食事の席とかで話題に出すだろうからな。俺は、自分が声をかけると彼に伝えた。
「でも、所在が分からないだろう?」
「この時間なら部屋か食堂だと思うので。いなかったら諦めて夕食の時にでも言っておきます」
「そうか、なら頼む」
彼はじゃあ、と背を向けて退室していく。それを見届け、近くに誰もいないことを確認してから左手首に右手をかざし、幻で隠しておいた茨型の刻印を出した。
普段は目立つから見えないように細工をしているのだ。これ、本来は腕輪の下に刻むものなんだろうなぁ。術を創った過去の魔導師もカフスになるとは思わなかったに違いない。
「……はぁ」
あれからしばらくは、目にするたびに刻まれた瞬間を思い出してしまって大変だった。しかも、師匠は驚くべき事実を付け加えてくれやがったのだ。
『婚約時は手首に、そして婚姻後は互いの「核」の近くに刻むのが、その術の本来の在り方じゃ』
「核」って。なんて恐ろし過ぎる術だよ。もしもその方法が今回と同じだったら、うん、自分には絶対に無理だな! ……おっと、それより今はココを探すのが先決だった。
「えっとー?」
俺は刻印に魔力を集中させた。不思議なことに、そうすると頭にココの居場所がぱっと浮かぶのだ。今は……あぁ、やっぱり部屋にいるみたいだな。
それが分かった直後、再び刻印を急いで幻の下に仕舞い込んだ。でないと、それ以上のことさえもが分かってしまいそうな気がしたのだ。怖くて試してはいないが、これの性能を全部引き出したら、恐らくは……。
ココを伴って医務室に行ってみると、予想に反してがらんとしていた。
「あれ、留守か?」
白いシーツに白い壁。風に揺れ、さわさわと衣擦れの音を立てるレースのカーテン。白く塗り込められたこの部屋にあるのは、ベッドが数台と薬品や書類が並んだ棚に仕事机。
そして見舞い客のための丸椅子が幾つか。息を吸うと、つんと薬品の匂いが鼻をついた。
「先生、いらっしゃいませんね?」
王城には兵士も騎士も多いから怪我人には事欠かないだろうし、病気になることだってある。何人の医師が常駐しているにしろ、全員が出払ってしまっていてもおかしくはない。
「どうすっかな、時間を置いて出直すか?」
ココに提案しかけたところで、誰かが歩いてくる足音が聞こえた。見れば、廊下には白衣を着た同い年くらいの男が立っていた。その両手には青い花が刺さった細い花瓶を抱えている。
水を替えにでも行っていたのだろう。王城勤めの医者にしちゃあ、かなり若いな。ま、こっちだって人のことは言えないが。ちょっと気弱そうに見える彼は俺達を見るなり、「どうされました」と聞いてきた。
「怪我ですか、それとも具合が悪い?」
「いや、俺達、健康診断を受けに行くように言われてきたんですけど」
そう応えると、医者らしきその人は「あぁ、成程」と一度は納得したはずが、「ってことは」と続けた。ん、なんだ?
「もしかして、ヤルンとココ?」
「え、どうして名前を……」
医者なのだから、健康診断を受けにくる人間の名前くらい把握していても不自然ではない。でも、彼の場合はそういった類の様子には感じられなかった。どちらかというと顔見知りに会った、みたいな反応だ。
「あっ、もしかして、イリクさんですか?」
先に相手の素性を思い出したのはココで、その声につられるように俺の脳裏にも記憶が蘇った。イリク、イリク……イリクレルか!
「うん。二人とも久しぶり!」
にかっと笑う彼は、先日、武具屋で再会したルリュスと同じく、ここ王都で共に兵士として訓練した仲間のうちの一人だった。でも、その格好はどうしたんだろう? なんで白衣なんて着て医務室に?
こちらの疑問を感じ取ったらしく、イリクは頭をかいて「とにかく中へどうぞ」と俺達を室内へ誘った。花瓶をごとりと机上に置き、丸椅子を出してくれる。
室内は体調不良者がいつ来ても大丈夫なように、魔術でほわっと温められていた。
「見ての通り、兵士をやめて医者になったんだ」
「何がどうなってそうなったのか、ちゃんと教えてくれよ」
イリクとは最初から仲が良かったわけじゃない。王都へ訓練に来ていた時、俺達に絡んできた馬鹿な連中がいて、そのうちの一人がこいつだったのだ。あれがもう何年も前のことだなんて、妙な気分だな。
「知ってると思うけど、オレ、代々魔導師を輩出する家の跡取りなのに才能があんまりなくてさ。親には騎士か宮廷魔導師になれって言われてたんだけど、訓練すればするほど、向いてないなって思って」
ほら、と白衣の袖をめくって腕輪を見せてくる。色は下から三番目の緑で、以前よりは濃くなっていると思うものの、魔術一本で身を立てていくには苦労しそうな気がした。
「で、前に魔導医の先生に助けられたことがあって、憧れたっていうか」
調べたら魔力がそんなになくてもなれる職業だと分かり、親を説得して医学の世界に飛び込んだのだという。語るイリクは照れながらも楽しそうで、聞いているとこちらまで気分が上がってきた。
「へぇ、医者なんて凄いな」
「まだまだ全然、勉強中だよ。オレなんかより二人の方が凄いじゃないか。その年で王族の護衛になるなんて、同期で一番の出世だよ。やっぱりサインを貰っておけば良かったな」
うぬぬ、その流れはもうお腹いっぱいだ。背中がこそばゆくなるからやめてくれっ。
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