第7話 転送術と王都の空・前編

「こっちの、要ると思うか?」

「そうですね……」


 広げた紙面の一点を指さして声をかけると、ココが覗きこんできて目を細めた。


「さっきのと被るだろ? 端折はしょっちまおうぜ」


 言いながら、先ほど左上に付けたばかりの赤い丸印に目をやる。

 同じような件を拾っていたずらに数が増えるよりは、多少割愛した方がすっきりするだろうと思ったのだが、彼女は首を縦には振らなかった。


「いえ。全く同じではありませんから、無暗に削っては後に遺恨を残しかねません」

「い、遺恨?」


 真剣そのものの瞳に攻められ、思わず仰け反る。遺恨てなんだ。コレ、ただの師匠用の王都観光マップだぞ!?



 事の発端は、夜の訓練で転送術に悪戦苦闘している時だった。


「うぅ、難しいな……」


 兵士用の屋内訓練場で、俺は魔導書を抱えて唸っていた。少し離れたところにはココが立ち、ちょうど真ん中あたりには師匠が居て二人を観察している。


「行けそうかー?」


 問えば、「いきます!」と決意に満ちた返事があって、彼女が魔導書を構えて足を肩幅に開く。詠唱が始まった。


『遥か彼方のそら。夢、うつつの先に棲まう精。我が身を打ち砕き、もとむる世界へと誘え』


 力強い言葉に応えるように足元から風がわき起こり、ココを包んだ。直後、強い光を放ちながら、その姿がぱっと消える。


「成功か? ……あれ」

「出来ましたぁー」

「って近ッ! 端に移動しただけかよ!」


 距離で言うと大股で50歩くらいか? そりゃ、さっきよりは伸びたけど、んな短距離移動して何の意味があるんだよ。溜め息をついていると、師匠に逆にこっちがツッコまれてしまった。


「お主が文句を言える立場か。自分を振り返ってから言うのじゃな」

「ぐっ」


 そう、俺もココに構っている場合じゃなかった。距離は出るのだが、何度やっても想定した目標地点である「自分の部屋」に行けないのだ。


 挑戦するたびに食堂や庭園、果ては城の敷地外に出てしまい、戻るのに苦労した。特に外に出てしまうと門番に不審がられて本当に困る。「術の練習で失敗しました」って説明するのも恥ずかしいし。

 師匠は一度俺を呼び寄せ、助言をした。


「お主は制御が甘い。目標地点までに必要な量を超え、魔力を込め過ぎるのが失敗の原因じゃ。距離感を測り、もっと強くイメージせねば成功せぬぞ」

「うーん。理屈は分かるんだけど」


 頭では分かっていても、実際は上手くいかない。もっとすぐに役に立つ秘伝のコツとかないのかよ。


「こればかりは練習あるのみじゃな」


 やっぱり。俺がガックリと肩を落とす横で、今度はココが真剣な表情でアドバイスを受ける。


「制御は問題ないが、思い切りが足りぬ。だから距離が出ないのじゃ。不安を捨て、怯えを克服せねば遠くへは行けぬぞ」

「はい……」


 不安や怯えか。失敗すればどこに飛ばされるか分からないとなれば、怖くなって当然だ。あれ、もしかして俺の盛大なミスも原因だったりするのか? 参ったな。様子を見ていた師匠が、何かを思い付いた顔で言った。


「こうも真逆とは。……そうさの、試しに二人でやってみよ」

『え?』

「共鳴させて行うのじゃ。ヤルンが主となって魔力を込め、ココが先導して制御すれば、或いは成功するかもしれぬでな」


 なるほど。どうせ別々にやっていたって埒が明かない状況なのだ。なんでも挑戦してみるべきだろう。


「……よし、やってみるか」

「はい。お願いします!」


 俺達は頷きあい、向かい合って互いの気配を探り合いながら詠唱を始めた。



 結論からいうと、共鳴魔術版の転送術は成功した。ちゃんと俺の部屋まで飛べ、元の訓練場に帰ってくることも出来た。俺は距離感や配分がなんとなく掴めたし、ココは度胸がついたと言っていた。


『しばらくはこれで感覚を掴むように』


 師匠にはそう言われた。完全習得までの道のりは遠そうだけれど、これまでに比べれば大きな一歩だ。早く一人で出来るようになりたいぜ。


 そして、次へのステップとして言い渡されたのが、「城の外を見て来い」というものだった。次は街で訓練するから土地勘を養っておけ、という意味だろうか。

 ただ、面倒なことに「ついでにマップを作製しろ」とまで言われてしまった。


『前に王都に来た時は街をあまり見て回れなかったのでな。下調べを頼むぞ』


 だと。ったく、なんでだよ。ココが妙に乗り気だからほとんど任せてるけどさ。そんなわけで、今はキーマも加えた三人で街をぶらついていた。


「うー、腹減った」


 煌びやかな大通りはすでに見て回ったので、今は南東の細い路地を散策中だ。この辺りは民家に混じって食事処が多くあるようで、美味い物を求めて歩く人達がチラホラ見受けられる。


 少し前までいたウォーデン領の名物と言えば肉だった。それを思い出すと王都でも肉料理の店が目に付く。さすがは国の中心だ。賑やかさでは全く負けていない。


 客が自分で焼いてタレや塩を付けて食べる店、肉汁を滴らせる串焼き屋、じっくりと火が通された肉と新鮮な葉野菜を挟んだカラフルなサンドイッチ……。


 あちこちからパチパチ、じゅうじゅうという音と共に漂ってくる匂いは、どれも濃厚で刺激的。美味しそうに頬張る人達を眺めていると、羨ましくて攻撃魔術をぶち込みたくなる……おっと。


「どうかしました?」

「いっ、いや別に何でも?」


 冗談です! だからそんな顔で見ないでココ様! もしかして空腹で気が立ってたりします!?


「おっ? あれじゃない?」


 キーマの声に我に返ると、民家に挟まれるようにして小さな店が1軒、目に飛び込んできた。


「そうです! お城の人が薦めて下さったお店、あそこで間違いありません!」


 ココが声を弾ませ、瞳を輝かせると、間髪入れず肉の焼ける匂いが鼻孔をくすぐった。


 長年ここで営んできたのだろう。壁も屋根も煙に染められてくすんでおり、扉の軒先には「食事処ミスリア」と書かれた提げ看板が揺れている。

 ミスリアは女性の名前っぽい響きだし、となると店主は恰幅の良いおばちゃんかな? まぁそんなことは入ってみれば分かるだろ、突撃あるのみだ!


「行こうぜ!」


 ぐうぐう鳴りはじめた腹をさすって宥めながら先陣を切った。



「くはーっ、旨かったな!」


 食事処ミスリアは、外からの見た通りの小ささで、焼肉がメインの飯屋だった。カウンター4席と仕切りもないテーブル席が2つという、特筆することもない構えである。


 驚いたのは「ミスリア」が先代の店主の名で、現在はまだ30歳にも満たない夫婦が営んでいたことだった。

 幼い子達が元気いっぱいに手伝いをしていて、微笑ましい光景に癒された。なんでかって? 毎日あのじいさんや強烈な姫様の相手をさせられていると、心が荒むんだよ。


「味は文句なしの星5ですね」


 ココが手元の紙にさらさらと書きこみ、満足げに微笑んだ。外観、内装、接客態度、味、値段の5項目を5段階で評価するチェック表である。

 こんなことにまで全力投球するなんて、流石というからしいというか。後ろからのんびりついてきたキーマが、俺達の間にやや上から首を突っ込んでくる。……ちっ、高身長アピールかよ。


「ん、なんで舌打ち?」

「別に。今度お前の荷物をこっそり燃やしておくから良い」

「それ全然良くないよね?」

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