第8部 騎士見習い編

第8部・第1話 大嵐の幕開け・前編

「あっという間だったなぁ」


 段々と片付いていく部屋を眺め、ここに来てから流れた時間を振り返りながらぽつりと呟く。

 そもそも大慌てで支度をしてきたから、荷物らしい荷物はない。こちらに来て増えた物も大半はスウェルへと送ってしまうつもりで、がらんとした部屋の隅に箱が幾つか積み重なっていた。


「あ。あとでココと挨拶回りの相談をしておかないとな」


 今日も天気は良好。小鳥のさえずりが耳に心地よく、窓を開けて入ってくる風も柔らかみを帯びている。


「そろそろ行きませんかー?」

「おう、今行くー」


 ココが声をかけてくれて、俺も書類を抱えてドアを開いた。この学院で過ごすのもあと数日。花壇に植えられた花の蕾が膨らんできていたが、開花には間に合わないかもしれないなと思った。



 あの波乱の会議のあとも戦いの日々は続いた。これまで通り生徒へ授業を行う時間を縫うようにして、学院長と話し合い、先生達への研修を行い、資料作りをし……疲れきって泥のように眠る毎日だ。


 兵士としての体験談や魔術の知識は興味深いものだったらしく、先生達は意外と素直に聞いてくれた。……学院長バックが怖いだけかもしれないがな。

 授業内容を今から少しずつ変えていって、いずれは全改訂するのだそうだ。


「この部分、もっと良い表現はないでしょうか」


 精力的に協力してくれたのはオフェリアだった。フォロー役として俺達のそばにいた分、新しい話にも馴染みやすかったのだろう。今ではこちらの調理場に入り浸るくらい、すっかり仲間入りを果たしている。


「あ~、じゃあこんな感じはどうですか」


 思いついた言葉を俺が書くと、他のみんなが覗き込んで唸る。テーブルに広げた紙には書き込みがびっしりで、元の文章が分からない有様だ。


「もうちょっと、こう……。うーん、難しいですね」

「ですよね。ここまで出かかっているのに……」


 ココが首を捻り、オフェリアがわななく。ひとり呑気そうなキーマに「お前も考えろよ」とツッコめば、「じゅーぶん考えてるって。見えない?」なんて軽口が返ってくる。


「ぜーんぜん見えない」

「ひっど」


 俺達が今何をしているのかというと、新しいカリキュラムをウォーデン領主に承認して貰うための正式な文書の作成だった。

 公文書ってものは無意味に格式張っていないといけないらしくて、「より正確で美しい表現」に全員が悩まされていたのだ。でも、そんな苦悩もあと少し!


 そう、知恵を出し合った甲斐もあって完成までは僅かのところまで漕ぎ着けていた。この調子なら、どうにか出来上がりを見届けてから帰れると思っていた。



 ところが、その嵐はコンコンというノック音とともにやってきた。


「? 誰でしょう」


 夕食が済んで少し経ったくらいの時間帯。もともと来客用に作られたこの調理場には普段滅多に来客などなく、最初は「おっちゃん、忘れ物でもしたかな?」と思った。

 そんな緊張感のない想像をしていられたのも、ココが外への音漏れを防ぐために展開していた結界を解き、扉を開くまでのことだった。


「え……」


 扉の向こうに立っていたのは、軽鎧に身を包んだ二人の兵士。どちらも男で、20代後半から30代前半といったくらいだろうか。兵士の片割れが低い声で言った。


「こちらにヤルンという少年がいると聞いてきたのだが」


 え、俺? 他の皆の視線が俺に集中し、兵士達も自然とこちらを向いた。慌てて立ち上がって姿勢を正す。


「お前か?」

「は、はい。スウェル軍所属、オルティリト教官第一助手のヤルン、です」


 反射的に身分を答えられるくらいにならないと、場合によっては命令に背いたとして罰せられることもある。何度も何度も練習させられた記憶が頭の隅に蘇った。


「来てもらおう」

「い、今からですか?」

「今すぐにだ」


 何なに? これ、どーなってんだ? 思わずココの顔を見れば、そこには不安と焦燥が浮かんでいた。が、彼女はすぐに俺の腕を掴んで「待って下さい」と声をあげた。


「私達はスウェルに戻るよう命じられています。ヤルンさんをどこへ連れていくおつもりですか」

「……そちらはココで間違いないな」


 ぴりりとした緊張感が走る。ちらりと目を向けられ、ココも背筋を伸ばして「だ、第二助手のココと申します」と短く挨拶をする。

 学院にはそれなりのセキュリティがあり、ここまで入り込んでいるということは偽物ではないのだろう。もしも偽物だったらかなりの実力者ってことになるから、どのみち逃げるのは得策じゃないけれど。


 兵士達はココの質問を無視し、目配せしあったかと思うと、片割れが脇に抱えていた茶色い何かをばさりと床に広げた。結構な広さの、布?

 何だ? こちらが布に気を取られた瞬間を逃さず、二人がさっと俺達の後ろに回り込んだかと思えば、どん! と思い切り突き飛ばしてきた!


「わっ!」

「きゃっ!?」


 正規兵がまさかこんな乱暴な手段に出るとは思わなかった。そのせいで反応し損ね、そのまま揃って分厚い布の上に転がされる。頭を庇った腕が痛い。


「痛ってぇ、何しやがる……」


 何なんだよ。自分の下に広がるそれを見た瞬間、ぞわりと背筋に不快感が走った。もしかしてこの感覚、布に魔力が吸われてる……!? それもとんでもない速度で!


「うぁっ」

「うぅ!」


 ココも全く同じ状況に襲われたらしく、隣で顔を顰めて苦しげに呻き始めた。彼女だけでも助けなければと思うも、魔力を奪われるスピードが速過ぎて体に力が入らない。

 駄目だ、どんどん強制的に吸われて全然止められない! くそっ! なんだってんだよ!?


「ヤルン! ココ!!」


 キーマが立ちはだかる兵士を無理矢理押しのけて俺達の手を取り、布から引き剥がそうとした瞬間。布がまばゆい光を放った。十分に魔力を得た布に刻まれた何らかの術が発動したのだ。


 目を凝らせば、円や記号や文字がびっしりと書き込まれているのが見えた。全部を把握することはかなわずとも、幾つかの単語は読むことが出来る。

『遥か彼方』、『夢、うつつの先』……これ、転送術か? おいおい、俺達をどこかに飛ばそうってのか!?


「二人がかりとは言え、こんなに早く発動するとは。想像以上の魔力だな」

「確かに、これならあの方が欲するのも頷ける」


 真っ青な顔で震えるオフェリアの姿と、兵士達が交わした不穏な会話を最後に視界は真っ白になり、ぷつりと何かが途切れる音がした。

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