第8話 決戦、職員会議!・前編

 うららかな陽が窓から溢れる、微睡みたくなるような昼下がり。俺はココとキーマを連れ、魔術学院の院長室を訪れていた。


「現時点までの報告と、今後についての提案です」


 挨拶もそこそこに書類を机上に差し出すと、受け取ったメルィーア学院長はそれをゆっくりと捲り、一通り目を通してから呟いた。


「これは」

「……やめておきますか?」


 心配が口から零れる。今ならまだ中止も軌道修正も十分に可能だ。しかし、院長はしっかりと首を横に振り、俺の目をまっすぐに見据えて告げた。


「いいえ、引き下がるつもりはありません」


 退室した後、廊下を歩きながら外の景色に目をやり、呟く。窓の向こうには屋外で授業を受ける子ども達の姿が見えた。


「いよいよって感じだな」

「はい。少し緊張してきました」


 院長に提出したのは、これまで学院で過ごして見たものや感じたことをまとめ、それを受けて今後どうしていくべきかについて率直に記したものだった。

 こちらの提案は実にシンプルだ。授業の中身を、今の座学重視から実技重視へと変更するのである。兵士になるなら現状のカリキュラムは相応しくない。軍の教官に「さすが」と言わしめたいのなら尚更だ。


「センセイ達、拒絶反応起こしそうだね。全面戦争になったりして?」

「こ、怖いこと言わないで下さい。そんなことは……」

「まぁ、ありえなくはないよな」

「ヤルンさんまで」


 学院の先生達に、急に方向転換しろと言っても気持ちが付いてこないだろうし、実技指導にも疎いかもしれない。こちらがいくら、ああしろこうしろと吠えたところで、実際に学院を運営していくのは教師陣なのだ。

 こうして学院長に書類を渡したことによって、戦いの火蓋が切られようとしていた。


 ◇◇◇


 調理場に移動してぴったりとドアを閉めてしまうと、いつものようにココが結界を張って音漏れを防いだ。この部屋もすでに勝手知ったるなんとやらだ。自分達でさっとお茶を用意し、定位置に腰かけて一口含む。

 うんうん、おっちゃんが準備しておいてくれる茶葉は今日も最高だなー。


「考えてみると、来たばっかりの頃のあれは逆に良かったかもね」

「あれ? あぁ、講演会か? 確かになぁ」


 突発で行うことになった詠唱短縮についての説明会は、論文をスウェルに送ったあと、講堂に皆を集めて実施した。

 論文を簡略化したものを資料として作り、軽い説明と実演をしてみせるというお手軽企画だ。「講習会」の方が正しいか。


 最初こそどよめきが広がったものの、そこは本職プロだ。彼らは理論さえ理解してしまえば簡単に習得してみせた。実はこれ、結構凄いことだったりする。


「もっと時間がかかると思ってましたよね」


 ココが両手で包んだカップの湯気にふぅふぅと息を吹きかける。

 今回教えた術は、一度覚えさえすれば再現は本当に簡単だ。が、だからって闇雲に呪文を唱えれば良いってわけでもない。


 元は別々の術を一纏めにするのだ。それぞれの術を滞りなく使えるくらいの熟練度が前提条件であり、その上で幾つかの「理解のステップ」を踏む必要がある。


「実力は確かだと分かっただけでも収穫だぜ」


 もしや魔術自体に疎いのではという恐れが胸に渦巻いていたため、その光景を見てホッとしたものだ。


「こちらに有益な情報があることをアピールする場としても使えたしねぇ」


 そうそう。領主の命を受けて派遣されたと言っても、俺達自身はただの教官の助手という立場で、プロから見れば半人前の身。

 意見を聞いてもらうには一目置かれる必要がある。そういう意味で講演会は絶好の機会になった。


「特別授業も一役買ってくれましたよね」


 各学年に実施した授業では、魔術に触れた子どもの反応を見せることができた。魔術で作った鳥との鬼ごっこ。魔力を込めたカードを使ったゲーム仕立ての感知訓練。実戦形式の戦闘訓練。


 どれも凄いことはしていない。師匠ならもっとあっと驚かせる授業をしてみせたはずだ。……あの人の場合「あっ」で済まなくなりそうだから猛烈にお断りだが。


「生徒は変わってきたはずだよな」

「態度というか、雰囲気そのものが違ってきた感じ?」


 あの後もココと組んで週に数時間ずつ授業を行っていて、オフェリアの手も借りながら、なんとかうまく回せるようになってきた。


 少しでも体力を付けさせたくて、毎時間を鬼ごっこから始めるようにしており、3年生には試しに鳥を作り出すところからさせてみたら大いに盛り上った。

 チームに分かれて競わせるなど、バリエーションを付けて飽きないように気を付けている。


「よっしゃ、決戦に向けて英気を養っておくか!」

「出来得る限りの準備はしてきました。きっと大丈夫です」


 ココが決意を滲ませた瞳で深く頷く。この週末には職員会議が行われることになっていた。そこで俺達は学院長と共に発表するつもりだ。

 荒れるだろう。すんなり決まったら奇跡だ。でも、院長は引かないと断言した。ならば、やるしかない。


 ◇◇◇


「……」

 ロの字型に並べられた机に、ローブ姿の教師達が資料を見つめながら座っている。

 四角い部屋の奥には今日も変わらぬ笑みをたたえた学院長のメルィーアが座り、その隣には移動式の黒板が置かれ、前には俺とココが立っていた。


 すでに資料は配られ、あらかたの説明も終えた。主に語ったのは現状と変更点の要望、狙いの3点だ。

 すぐには話が呑み込めないだろう。室内が水を打ったように静まり返り、しばらくの間、聞こえてくるのは紙をめくる音と呼吸の音だけだった。


「何か意見や質問のある先生はいらっしゃる?」


 沈黙を破ったのは学院長だ。口調はどこか挑戦的な響きを含んでいて、教師達から言葉を引き出そうとしているように感じられる。


「よろしいでしょうか」


 低い声と共に真っ先に手を上げたのは、黒板とは反対側の席に着く副院長だった。年齢は50歳前後、学院長とは対照的な細身の男性である。

 学院長が対外的な部分を担うのに対して、副院長は人事や施設管理など主に学院内部の仕事を行う。少し取っつきにくい雰囲気の持ち主で、俺は挨拶以外ではほとんど話したことがなかった。


 彼は学院長がにこやかに頷いたのを確認すると、静かに、しかしはっきりと「難しいのではありませんか」と難色を口にした。そうだ、と同意する声がそれに追随する。


「あら、どうして?」

「狙いは分かります。現状がずれを生んでしまっていることも、重々承知しています」


 「本当かよ」と零しそうになって慌てて口を手で覆う。あ、ココにはバレたっぽい。


「なら、反対の方はいらっしゃるのかしら」


 学院長は凜とした声音で言った。普段のおっとりした印象が抜け、組織を統括する者としての威厳が滲み始めている。副院長は慌てた様子で「決して反対などとは」と懐から取り出したハンカチで白い顔を拭った。


 長い間共に仕事をしてきた彼には、トップの意思が揺るぎないものであることが分かったに違いない。他の先生達も同じく、上司のそんな姿を目の当たりにしてなお口を挟む剛の者は存在しなかった。


「そう。皆さんの賛同を得られて本当に嬉しく思いますわ」

「ですが、今配られた資料や説明では雲を掴むようで……、具体的にはどのように行うつもりですか?」


 学院長はふふっと笑ってこちらに目配せする。「次の資料を配れ」という合図だ。命じられるまま、俺達は黒板の裏から紙の山を引っ張りだし、二人で手分けして配り始めた。


「段階を踏んでお話ししたかったので、資料も分けましたの。まずは到達点を知って頂きたかったから」


 そう、最初の資料には具体的な計画が書かれていなかった。登山でたとえるなら、頂上の場所と登る意義だけが記されていて道筋や方法には触れられていないようなものだ。戸惑わない方がおかしい。


「それでは――」


 全員に資料が渡ったのを確認してから、俺とココは黒板をくるりと裏返した。裏面には具体案を詳細に記してある。大丈夫、何度も練習したんだ、うまく話せるはず。ココと頷き合い、後半戦に突入していった。

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