第2話 旅行カバンと関所の一悶着・前編

 雲もまばらな青空の下。二頭立ての馬車が一台、細い街道に沿って南へとやや急ぎ気味に走り続けていた。


「マジでありえねぇ」


 がたがたと揺れる馬車の中で、何度目かの恨み言を呟く。俺はパンパンに膨れた皮製の手提げカバンを抱えながら、はぁあと深く溜め息を吐き出した。


「まぁまぁ、なんとか間に合いそうですし。良かったじゃありませんか」


 向かい合う形で座っているココが慰めてくる。このやりとりも、もう何回目だろうか。

 確かに彼女の言う通り、大急ぎで準備をした甲斐もあってなんとか予定日までにはウォーデンの魔術学院には辿り着けそうだ。でも、それとてリーゼイ師範が馬車を手配してくれたからだ。でなければ絶対にアウトだった。


「それは……」


 なんと答えて良いか困ったココが語尾を濁して苦笑する。

 師匠の「一週間後」発言で俺たちが真っ青になったのは言うまでもない。隣とは言え、ウォーデンはスウェルよりも広い領地だ。そして目的の「学院」はその領地の中心の町の中にある。近いわけがない。


 きっと歳を取ると時間や距離の感じ方が変わってしまうのだろうとは思うが……本当に酷い。今度会ったら覚えてろよー!



『行くぞココ!』

『はいっ!』


 俺達はただちに、それまで受け持っていた全ての仕事を投げ出した。

 大事な案件もあったけれど、領主サマが絡んだ仕事より優先されるものなどないとココと意見が一致したのだ。これが元で隣領との不和や争いが勃発したらと考えると恐ろしすぎる。


『残った仕事はどうするつもりじゃ』

『知るかっ!』


 師匠が顔を顰めてブツブツ小言を言うのを尻目に、取るものも取りあえず扉を出て走り出す。やりかけのものを丸ごと放り投げなければ出来ない仕事を振る方が悪い!


『とにかく師範に相談しようぜ』

『そうですね』


 ココも同じことを考えていたらしい。さすがにあの冷静沈着なリーゼイ師範も、教官の助手が青い顔で持ち込んだ「困りごと」には頬を引き攣らせていた。


 けれど、そこはやはり俺達以上の年月を師匠と付き合ってきた御仁だ。

 大急ぎで馬車と御者の手配をしてくれ、魔導士二人だけで行かせるのは気が進まないと、護衛としてキーマを付けてくれた。……厄介払いじゃないよな?


「あのさ、一番被害を被ったのはこっちじゃない?」


 そんなわけで、俺の隣ではいつも飄々としているキーマが珍しくジト目を向けている。


「うるさいな、俺のせいじゃねぇし。文句は師匠に直接言えよ。どうせお前だって暇だったんだろ?」

「……」

「おいそこ反論しろ! 目ぇ逸らすな!」


 思い切りツッコむと、キーマはこちらの手元を見ながら話を変えてきた。


「それより気になってたんだけど、そのカバンはなんなわけ? どうせ滅茶苦茶に詰めたんでしょ。入れ直したら……」

「触るなっ!」


 抱え込んだカバンに触れようとした手を、強い調子で制する。ココまでをもビックリさせてしまったが、なんとしてもこれを開けられるわけにはいかなかった。

 その時、馬車が大きめの石ころにでも車輪を引っかけたのか、がたん! とひと際強く揺れ、俺の口から「わっ」と声が漏れる。


「あっぶねぇ」

「なんでそんな後生大事に抱えて……。まさか、危ないものでも入れてるんじゃ」


 どんな恐ろしい想像をしたのか、引き気味のセリフは少し上擦っていた。少しでも距離を取ろうと奮闘したところで、この狭い馬車の中では全くの無意味だぞ。


「もしかして」


 違うと否定するより先に、気が付いて声をあげたのはココだった。ちなみに整理整頓が好きな彼女の皮鞄は可愛らしく足元に収まっている。


「圧縮術ですか?」

「正解」

「あっしゅく? なにそれ」

「物に圧力を加えて体積を小さくする術です」


 ココは離した両手をぐっと近づける仕草をしながら説明する。

 出発の時には大慌てで荷物をまとめるしかなかった。そのせいで、カバンの中は着替えも歯磨きも寝間着も、滅茶苦茶のぐちゃぐちゃ。その結果留め金がかけられず、やむなく圧縮術でゴリ押ししたのだ。


「うっわ、ものぐさ」

「ですが、そうすると今そのカバンを開けようとすれば……」


 そう、そこが問題だった。圧縮術は物を単純に小さくするだけで、容量を少なくする力はない。ずっと入れ直したい衝動に駆られ続けているのだけれど、開けた瞬間に間違いなく。


「バーン! だろうな」

「ええっ! だ、大丈夫?」

「こうして抱え込んで、術が緩むのを防いでいる間は、多分」


 キーマはいよいよドン引きで「絶対に緩めないで」と訴えてくる。そういう反応をされると逆に爆発させてみたくなるな。ココや御者や馬が可哀想だからしないけど。


「あれ? そういやお前の荷物、それだけか?」


 ふとキーマを見ると、小さな手荷物ひとつしか持っていないことに気が付いた。

 急きょ手配してもらったこの馬車には大きな荷台も付いていないのに、何日もどうやって滞在するつもりなのだろう。現地調達か?


「え? こっちはヤルン達以上に準備の時間がなかったんだから、別便で後から送ってもらうよ」

「は? はぁ? 別便っ!?」


 その手があったか! 冷静に考えれば、隣なのだから手続きさえしておけば確実に届くはずだ。切羽詰まり過ぎて思い付かなかった……ぐぎぎ。


「そ、そんな」


 ココもそれだけ呟いて呆けている。きっと自分も同じ顔をしているだろうと思ったら、急激に頭に血が上ってくるのを感じた。


「てめっ、なんで教えないんだよ! 知ってたらあんなにドタバタせずに済んだのに!」


 ああっ、掴んで思い切り揺さぶりたいのに、荷物から手をどけたら大変なことになるから出来ない!


「くそっ、悔しいから着いたら一発殴らせろ! ん? それより……ぶつぶつ」

「わっ、こんな狭いところで何詠唱してるの!? ココも止めて!」

「……送って貰えるなら、あれも持って来たかったのに。それにあれも……うぅ」

「ココさーん、頼むから戻ってきてー!」


 馬車は時折強く揺れる以外はさしたるトラブルもなく、スウェルとウォーデンの領境にさしかかろうとしていた。

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