第7部 学院の講師編
第7部・第1話 突然の辞令
「は? 『抗議してこい』? ……誰に?」
その仕事が舞い込んだのは、枯れ葉が屋外の練習場に舞い落ち始めた頃だった。
師匠の、いくら掃除をしてもすぐに元通りの惨状に戻ってしまう研究室で、相変わらず論文の手伝いをやらされていた俺は、突然の命令に机から顔を上げて聞き返した。
「うーん、ここはもう少し……」
机上に落ち葉のごとく散らばる紙面の字は美しいとは言い難く、書き上げたそばから俺が文字の綴り、ココが言い回しのチェックを行っている。
別に、師匠の書く字は元々へたくそな訳じゃない。座学で黒板に文字を書いていた時はちゃんと読めていた。単に、わき出すアイデアに指先が追いつかなくて、古文書が出来あがってしまうだけなのだろう。
「違うわい」
師匠は眉間にしわを寄せ、やや逸れてしまった話の内容を引き寄せる。そういえば、急に「こうぎしてこい」と言われたところだったか。
「だいたい、お主が『抗議』したら周囲への被害が尋常では済まぬ。修理費の請求書が回されてはかなわん」
「師匠にだけは言われたくないセリフっスね」
じとっとした視線をじいさんはさらりとかわし、「『講義』じゃ『講義』」と繰り返した。
「隣の領地の学院に、臨時講師が欲しいと言われていてな」
「学院の臨時講師ぃ?」
俺の素っ頓狂な声に、ココも顔を上げて思案気な表情を浮かべた。
「スウェル領の隣で学院があるとなれば……南のウォーデンでしょうか」
「その通りじゃ」
「ウォーデン? あぁ、そういや隣だったっけか。行ったことないけど」
ウォーデン領。講義で習った限りでは、スウェルの南に位置し、領土も人口もウチの1.5倍程度だったはずだ。
「なに? 隣の領地であろう」
師匠は不思議そうに首を傾げたが、平民がそんなおいそれと遠出ができるわけもない。
「旅行でも仕事でも、金がかかるでしょう。食料や馬車代や、その他諸々。あとは、一般人なら護衛も雇わないと」
これまでの旅では寄らなかったし、実家に住んでいた頃も兄貴は家業を継ぐためと称して親に連れられていたが、俺は領地を出たことすらなかった。
「ココは?」
お嬢様のココならもしかしたらと思ったけれど、彼女もゆるゆると首を振って否定する。
「私も、ウォーデンには足を運んだことがありません。緑豊かな土地とは聞いていますが……」
「ふむ」
その様子を見て、師匠は口を開いた。ココはそっと立ち上がり、部屋のすみに設置された流しへと向かった。どうやらちょっとした世間話で終わりそうにないのを見て、お茶をいれることにしたらしい。
「放牧が盛んでのう。人より家畜の方が圧倒的に多い土地じゃ。我が国は食料を隣国であるフリクティーからの輸入に頼っているが、ウォーデンがあるおかげで肉には困らん」
「ふぅん。そういや、フリクティーを通った時、確かに野菜が安くて肉は高かったかも……?」
ココは「え、そうでした?」ときょとんとしている。うーん、お嬢様に物の相場は分からないかもしれないな。今の生活でも自炊なんてしないし。
「ウォーデンに行けば旨い肉料理にありつけるぞ。というわけで、行って来い」
「ったく。また勝手に決めやがって」
こうして毎回、「ちょっとそこまで」のお使いみたいに、他領へ行かせようとするのだから、とんでもないじいさんである。
「あぁ、たしかここに……」
師匠はやおら机の引き出しを開けたかと思うと、そこをガサガサやってから、ぴらりと一枚の紙を手渡してきた。受け取って見てみると、題字にはかっちりとした書体で「臨時講師の派遣依頼」と書かれている。
「臨時つっても、仮にも講師のセンセイでしょ、俺なんかで良いんスか?」
最近では、見習いの座学を教える手伝いなどもやらされてはいた。でも、自分だけで授業をした経験はまだない。
「なにやら、領主同士で決めた領地間交流の一環らしくてな」
「は? 『領主』? 『領地間交流』……?」
そういえばこの文書、白みの強い、手触りの良い紙を使っている。それに、上の方と下の方になにやらサインが……って、下のはウチの領主サマのサイン。とすると、上のはウォーデン領主のか?
「こ、これ、重要な公文書じゃねぇのか!? おいコラ、どこから無造作に出してんだよっ」
「きちんと机にしまっておったじゃろう?」
そういう問題じゃない。くしゃくしゃだし。バレたら処分されても文句はいえないぞ。
「なに、向こうもスウェルから国境の防衛を担う人材をホイホイと出せるとは思うておらん。若いもんで構わんそうじゃ」
「なら良いけど……。俺、行ってもいいんスね?」
非常に意外だ。だって、これまでずっと俺を傍に置いておかないと気が済まない風だった師匠が、自分から外へ出そうとするのだから。
念の為確認すると、じいさんは「これはお主の試験でもある」と、またもや想定外のことを言った。
「試験?」
「騎士になりたいのじゃろう? そろそろ、わし抜きでもやれるところを見せて貰う、良い機会かと思うてのう」
どきりとした。それはつまり、自分だけで魔力を制御出来ることを証明すれば、王都に行っても構わないという意味だろうか。
「手紙が来ておろう」
「知ってたんスね」
師匠のいう「手紙」とは、半年に一度くらいの頻度で届けられる封書のことだ。今師匠が出した書類のような上質な紙で作られており、裏面には必ず封蝋がなされている。
「当然じゃ。城に入る品にはすべからく検閲が入るが、特にお主に届くのは王族からの手紙じゃぞ。上官のわしに報告が上がらぬはずもあるまいて」
「あー、なるほど」
説明されれば納得するしかなかった。そりゃあ、封蝋に思いっきり王族の紋章が刻印されてたら厳重にチェックされるわな。係の人、心労かけてたらごめん!
「セクティア様は、諦めるつもりがないと見える」
面倒くさそうにぽつりと呟く。そう、師匠の言う通り、差出人はこの国の第二王子の妃であるセクティア姫からのものだった。かつて俺を護衛役にスカウトしようとしたお姫様は、未だに連絡を取ってきているのだ。
「俺もすぐに忘れられると思ってましたよ」
あの人、見た感じは移り気っぽかったのに、王城では一度会ったきりの俺の顔を覚えていたし、手紙は寄越してくるし、結構執念深い性格のようだ。
「返事は送っておったのか」
「王族の手紙を無視なんて出来ないでしょう。それに、俺の貴重な転職先ですし?」
かなりアグレッシブな姫様だが、俺を見込んでくれた人だ。騎士にしてくれるという言葉にも嘘はないと思う。なら、その期待に応えたい。騎士になりたい。
俺の目をまっすぐに受け止めた師匠が、「じゃから、そのための試験だと思え」と静かに言った。突然で面喰ってしまったが、このチャンス、ものにしなければ……!
「それで、派遣期間はいつからスか?」
「一週間後じゃ」
「……は? なんだって?」
よく聞こえなかったぞ。気のせいか、ヤバいことを口走ったような……?
「じゃから、一・週・間・後・じゃ」
「はぁあぁああっ!?」
「えっと、それは」
声を張り上げる俺のそばまで来ていたココも、差し入れてくれようとしたティーカップを持ったまま目を点にして固まっている。すでに自分のカップに口を付けていた師匠が「ふむ」と呟き、続けた。
「ヤルンひとりでは心もとないのう。ココも行ってサポートせよ」
「えっ? ええっ!?」
がちゃん! 盛大な音を立ててカップが割れ、透き通ったお茶が床にじわじわと広がった。その様は心の中で大きくなる不安に似ていた。
《終》
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