第2話 旅行カバンと関所の一悶着・後編

「あー、肩が凝った。ちょっと休憩だな」


 ぐぐーっと大きく伸びをして、周囲を見回す。目の前には、石を積み上げて作られた関所の白い壁が左右に延々と伸びており、一人ずつチェックを受けて通過していく様が見えた。

 俺達の代わりに通行申請に行ってくれた御者のおじさんは、しばらくすると帰ってきた。


「関所の兵士長が会いたがってる?」


 だが、すぐれない顔色で戻ってくるなり、関所のトップに招待されたと告げたのである。どういうことだ?


「ぜひお話を伺いたいと仰っておいででした。皆さんは優秀な兵士さんなのでしょう?」


 尊敬を含んだその言葉に、3人ともが目を合わせて首を捻る。優秀ねぇ?


「妙な話じゃない?」

「ですよね」


 こういった要所に配置される兵士長は、かなりの命令権を有していると聞く。無許可で通行しようとする者は貴族であっても拘束が出来るし、いざ戦いとなれば本隊が到着するまでの指揮権も持つ。


「俺達はただの教官の助手だぜ?」

「その教官がいないのに、そんな大物が何の用だろう?」

「……考えていても分かりませんし、とにかく行きませんか? あまりお待たせするわけにもいきません」


 ココの言い分はもっともだ。関所の責任者から呼ばれたのだ。立場が下になるこちらにとって招待は強制召喚と同じ意味を持つ。ここは素直に従っておくべきだろう。

 そんなわけで、御者に留守を預け、俺達は関所へと向かうことにした。



「スウェルの皆さまをお連れし致しました」

「入れ」


 はっ、と短く声を発し、兵士長の執務室まで案内してくれた若い兵士が扉を開けてくれる。中はやや広めの部屋になっていた。

 手前には兵士長の執務机が置かれ、周囲の本棚には所狭しと書類が詰め込まれている。左奥にはソファとテーブルが設置されているのが見えた。


「おお、忙しいところわざわざ来てもらって済まなかったな」


 低い声が響き、兵士長らしき人が出迎えてくれる。筋肉質な身体付きの、40歳前後に見える男性だ。想像していた人物像とかけ離れていなかったので、俺は内心ホッとした。変な手合いは師匠ひとりで十分だ。


「お初にお目にかかります。スウェル城でオルティリト師匠の助手を務めているヤルンと申します」

「同じく、ココと申します」

「リーゼイ師範助手、キーマです」


 それぞれに自己紹介を兼ねた挨拶を述べると、兵士長は「まぁそう畏まらず」とソファを勧めてきた。案内役の兵に茶の用意を頼んだあと、自分も反対側にどっかりと座る。


「まだ名乗っていなかったな。私は兵士長のルング。領主様方より関所の番人を任されている身だ」


 そうかと納得する。二つの領をまたぐ関所なのだから、守護役はどちらの領主からも信頼されていて当然だ。くーっ、かっこいい!

 内心興奮していると、キーマが慌てた様子で「ちょっと落ち着いて」と小声で囁いてきた。隠せていなかったらしい。おかしいな?


「あの、それでお……私共にどのようなご用でしょうか。もしやとは思いますが、通行証に何か問題が?」


 俺は一番の懸念を口にした。両側に腰を下ろす二人が体を強張らせたのを感じたが、これを確認しておかなければ安心できない。

 もちろん、御者が提示したのは正規の通行証である。ただし、あくまで検めるのは関所の人間なのだ。やろうとすれば、いくらでも難癖を付けることが出来てしまう。


「と言うと?」


 ルングと名乗った兵士長は問いに問いで返してきた。前屈みぎみに両手を組むその姿は、現場を取り仕切る者としての威厳を放っている。

 げっ、やぶ蛇だったか? 顔を引き攣らせる俺の代わりに応えたのはキーマだ。


「公務での越境は先触れを出すのが本来のルールであることは重々存じておりますが、今回は急に行くことが決まりましたので。それで、何かご不審にお思いなのではと」


 兵士の移動はお互いの領地に不要の緊張を生んでしまう。それを避けるため、普通は関所に前もって知らせておくものだ。けれど今回はそれが出来なかった。完璧にくそじじいのせいだ。


「ふむ、そちらから切り出して貰えると助かる」


 軽い溜め息とともに頷かれる。兵士長の顔には苦笑が浮かんでいた。


「通行証は問題ない。添え状で理由も把握している。だが、ことがことだ。そのまますんなり通すわけにもいかなくてな」


 そりゃあそうだろう。戦時下じゃあるまいし、場合によっては関所を侮っていると受け取られかねない行為だ。ぐぬぬぬ、あの狸じじいめ、帰ったら思い切り「抗議」してやるからな!


「お手数おかけして申し訳ありません」


 ココが言い、3人で立ち上がって頭を下げた。これで済むかな、もしかして尋問されるとか……!?


 どれだけ優しそうに見えても、この人は関所のまとめ役。必要に迫られればどんな決断も冷徹に下すだろう。嫌な想像が頭をぐるぐると巡る。

 脂汗をだらだらと流して待っていると、聞こえた声は思いのほか柔らかいものだった。


「いやいや、そちらにも事情があってのことだろう。頭を下げる必要はない。おっと、茶が入ったようだ」


 誰かの気配につられて顔を上げると、テーブルに温かい湯気をたてるカップと茶菓子が置かれる。見れば俺達をここまで案内してくれた兵士だった。


「さぁ、手続きが終わるまでゆっくりしていくといい。ここにいるとどうしても世間の情報に疎くなる。外の話を聞かせてもらえるとありがたい」


 実は半分はそちら目当てで呼んだのだ、と言われ、助かったと思った。笑顔でルングの話し相手を務めている間、ずっと師匠を心のうちでののしっていたのは言うまでもない。

 彼は鷹揚な人物だった。細かいことにいちいち目くじらを立てていたら、毎日の雑事をさばいてなどいけないのだろう。


 そんなことがありつつも関所を無事に通過し、黙々と走ること数日。馬車の中の冷えた空気が暖かみを帯びてきた頃、俺達はようやくウォーデンの街へと辿り着いたのだった。


《終》

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