第10話 魔力と金策・前編
発端は、研究費の月会計を任されたことだった。簡単にいうと、仕事で使う道具の仕入れ等にどれだけお金を使ったか、出納簿を作って上に報告する作業である。
「げ、こんなにあるのかよ」
研究室の片隅で、まとめなきゃいけない書類――納品書や領収書や請求書の山を前に、げんなりする顔を止められない。
「あの、私がやりましょうか?」
身を乗り出すココに、「いいよいいよ」と手を振って研究室の外へ送り出す。こういう細かい仕事はよく彼女がやってくれているのだが、今日は別の用事を頼まれているというので、俺が代わりに引き受けた。
ココの背中が廊下を横切って消えたのを確認してから、扉を閉めてため息をつく。
「はー、なんだよこの量。ほんっと、なんでも溜め込むのが好きなじいさんだな」
まずは分野別、時系列順に仕分けなければ。がっさがっさと乱暴に山をかき分けていると、「うるさいのう」という不機嫌な声が耳に届いた。
「もう少し静かにできんのか。だからお主には頼まないのじゃ」
書類の束を積んだ張本人が、狭い個室の奥でふてくされていた。そう、師匠は別にどこかに行ったわけじゃなく、目の前で今度出さなきゃならない報告書の執筆に追われている。
途中でこっちに丸投げされてしまわないように、俺は見張りも兼ねているというわけだ。
「自分が買ったものなんだから、自分でしてくださいよ」
「人の仕事を奪うのは親切とは言うまい?」
「ぐっ」
そりゃ、教官の仕事を手伝うのが助手の務めなんだけどさ。せめてもの抵抗としてジト目で睨んでおいて、俺は再び紙の束と格闘し始めるのだった。
「あ?」
その数十分後、嫌な予感がして出納簿に羽ペンを滑らせる手を止めた。出納簿というものは、最初に予算を記入したら、あとは基本的には残金が減り続けていくものだ。
これにいくら使った、あれにいくら払ったってな具合に、表に金額を書き連ね、計算していくのだが……。
「師匠」
「む? ちょうどノってきたところなのじゃ、邪魔をするでない」
「足出てんぞ」
「……」
「返事しろ。予算オーバーしてるってんだよ!」
紙や本、インクなどの消耗品から、値の張る魔術書に至るまで、表にどんどん書きこまれていく雑費の数々。その度に減額する残金は、あるところでマイナスに転じていた。
なお次の予算は、今作っているこの書類と引き換えに出してもらう。きちんと使われているか確認できなきゃ、次は渡しませんって仕組みになっているのだ。
まぁ当たり前だろうな。俺たち兵士の生活は、領民から取り立てた税金で賄われているのだから。って、今は呑気に解説している場合じゃない!
「おい、赤字だ赤字ッ。どーすんだよ!」
途中から嫌な予感はしていた。でもまさか、そんなはずは、ウソだと言って欲しいと祈っていたのに。いや、もし師匠がウソだって言っても決して信じないが。
「そう犬みたいにギャンギャン喚くでない」
「るせぇ! 俺にだってヤバいの分かるっつーの!」
俺は再度「どーすんだよ」と紙を片手にじいさんに詰め寄った。だってマズイだろ、上から降りた予算から支出額がはみ出していたら!
師匠は危機的状況にも動じた様子は見せず、わざとらしく腕組みをしながらしばし黙考し、ふと瞑った目の片方だけを開けた。
「ふむ」
更にその数分後、仏頂面で町をうろつく俺の姿があった。制服を私服に変え、目を皿のようにして店という店の入り口や看板をさらっていく。
「あんの、くそじじいめ……!」
地獄の底から響くみたいな声で呟くと、すぐ近くにいた野良犬が甲高く吠えて逃げていった。町をぶらついている理由はお察しの通り師匠の差し金だ。あのジジイは例によって、とんでもないことを命じたのだ。
『足りない分は埋めておけば良い。とっとと町に行って稼いで来い』
上への報告まで期限は待ったなしの状況である。なにしろ期限は明日! ここは予算の管理者に誠心誠意謝罪して、都合を付けて貰わなければならない場面だ。言うまでもなく、そうなったら処分は免れない。
俺は素直に謝罪すべきだと主張した。しかし、師匠は『さしたる問題ではない』と切り返してきて、ひとつ謎が解けた。
「ったく、こういうことかよ。もっと早く気づくべきだったぜ」
確かに怪しいとは思っていたのだ。数年かけてあの背中についてあちこち回って、金に関しては緩いところがあると感じてはいた。……よもや予算管理まで適当だったとは!
「もしかして、ココにも穴埋めさせてたんじゃないだろうな。バレたら怒られるだけじゃ済まないだろうに。ま、バレても咎められるのは師匠だろうけど」
いざとなったら俺とココは上司の命令に逆らえなかったと主張すれば良い。そんなことより、今は目の前の問題を解決するのが先だ。
「さて、どうしたもんかな。いきなり『稼げ』って言われて、そんなすぐに準備できたら苦労はねえっての」
俺は当てもなくスウェルの町を彷徨い歩いた。ちなみに師匠や俺達の給金を回すという案は跳ね除けられた。
色々な理由でそれはまずいらしい。すでに十分まずいのだから、どこから出そうと金は金だろうに。
「とにかくどこかに飛び込むしかないかぁ?」
大通りの突き当りにでーんとそびえ立つ正門を前に立ち止まり、ひとりごちる。そもそも俺に、兵士以外の職業のノウハウや人脈があろうか。
実家は商売をやっているけれど、先日届けられた手紙では、後継ぎである兄の修業ももうすぐ完全に終わると聞いている。居候ですらない俺の居場所などない。
兵士になりたての頃は「戻って来い」なんて文面を寄越していた両親も、最近ではすっかり諦めたのか、態度を軟化させてきていた。
「もしかして、俺の噂のせいだったりしてな?」
それもゴロツキが逃げ出すような内容だ。実家だとバレると困るのかもしれない。うあ、考えたら本気でありそうで嫌になってきた。やめやめ!
「さて、どうしたもんかね」
手当たり次第飛び込んで、手伝いでもなんでもさせて貰えれば手っ取り早くはあるのだろうが、大して稼げそうにないのがネックだ。だったら、自分の長所を活かした方が、効率も稼ぎも良いに違いない。
「出来そうなこと、ねぇ」
通りに並ぶ店を眺め、指折り数えていく。出来そうなことといえば、まずは読み書き計算か。案外重宝されるのだ。
「体力仕事……はいまいち自信ないな」
腕を組んで首を捻った。決して軟弱なつもりはないが、どう考えても「使えなくはない」ってレベルなんだよな。それじゃあ長所とは言い難い。とすると、残されたアピールポイントは。
「やっぱ魔術か……?」
言いながら再度首を傾げる。これも別に自信がないわけじゃない。仮にも教官の助手をしているし、「魔導士」としては中堅以上ってところだと思う。
「でも、ホイホイ使うわけにはいかないしなぁ」
俺は兵士で、魔術は兵力だ。町中で刃物を振り回してはいけないのと同様に、魔術の使用にも制限がある。
それさえなければ、用心棒でもしてお金を稼ぐのに。いっそ、本気で裏社会に乗り込んで金を引っ張ってくるか?
「いやいや、なんで師匠の尻拭いのために命を張らなきゃならないんだよ」
うーん、あとは荷物運びとか、……占いなんてどうだろう。普通の占星術を統計学とするなら、魔導士の占いは鏡や水晶など、像を結ぶものを利用して「何か」を見る類の術だ。
素人が生半可な気持ちで手を出すと、「この世ならざる世界」に精神を冒される危険がある。……って、却下!
ただ、苦手な分野をそのまま放っておくのもシャクだ。ココはそういう方面にも興味があるみたいだし、そのうち一緒に習得するのも悪くない。よし、今後の課題に決定だな。
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