第9話 師弟対決④
……また医務室かよ。ぱちぱちと瞬きを繰り返すと、消毒液の匂いが鼻をついた。
「お、目が覚めた?」
首を横に動かすと、椅子に座ってこちらを覗きこんでいるキーマの顔があり、何をしていたんだっけかと頭の中を探った。確か師匠に捕まりかけて、……そうだ。
「なぁ、ココは?」
「ほら、隣」
指先に促されるままくるりと反対側へ首を巡らせれば、壁際の白いベッドの上で胸を上下させている彼女の姿があった。見た感じ、怪我もなさそうだ。
「起きたばかりで悪いけど、あの時、何があったか教えてくれる?」
キーマは水の入ったコップを手渡してくれながら聞いてきた。
「二人とも急に動かなくなったと思ったら倒れるし、オルティリト師は『運んでおけ』しか言わないし。こっちはもうサッパリ」
乾いたのどに冷たい水を流し込むと、頭のもやが晴れていくようだ。それでも俺自身まだ混乱していて、考えがまとまるどころではなかった。だから、思い付くままに喋ってみる。
「多分、魔力が寸断されたんだと思う」
「寸断?」
意識が飛ぶ直前に耳元で鳴った、ガラスが砕けるような轟音。あれはココが張った結界が砕け散る音だった、はずだ。他に思い当たるものもないし。
「師匠がこちら側の術を全部、無理やり、一気に解除したんだと思う。魔術は普通、きちんと練り上げなきゃ完成しない織物みたいなものだ。解除する時も同じで、糸を解くように手順が要る」
「その手順を『寸断』した? ハサミで切るみたいにってこと?」
残った水を全部あおってから、「そう」と頷く。
「魔術は魔力と呪文による一種の契約行為だから、途中で破棄すると暴走したり、術者に跳ね返ってきたりするんだけど」
完成済みで維持も問題なかった術に横槍を入れるなんて真似、とんでもないとしか言いようがない。
「俺らは多分、発動中の魔術をムリヤリ寸断された反動で気絶したんだろうぜ。勝ち負け以前の話だ」
「そうですね……」
同意の声はココのものだった。俺達の会話で目が覚めたのか、内容も途中から聞いていたようだ。キーマが早速もう一杯の水をくんで渡してやっている。
「今更だけど、絶対何かあるよな、あの人」
「ふふ、俄然興味がわいてきたんじゃないですか?」
俺は苦虫を噛み潰したような顔をしていただろう。悔しくて仕方ないが、あそこまで完膚なきまでにやられたら、抵抗する気も失せる。深く、肺の奥まで新しい空気を吸い込んだ。
「こうなったら師匠の秘密を全部暴いてやる! 『毒を食らわば皿まで』って言うだろ?」
「そういう意味でしたっけ?」
「何か違うような」
「細かいことは良いんだよ! とにかく、二人とも協力しろよな」
なっ、と再度念を押すと、ココはくすくす、キーマはけらけらと笑い出した。
「なんでそこで笑うんだよ!」
しばらく直属の上司から離れていた罰は、思ったより軽いものだった。一応リーゼイ師範の許可を取って仕事はしていたし、師匠も適当な報告しか上にあげなかったみたいだ。
覚悟してやったことではあるが、内心「辞めさせられたら」と冷や汗もかいていたから、ホッとするやら拍子抜けするやら釈然としないやら。
んん、もしかして俺をクビにして外に出す方が問題だと思われてたりしないよな……?
「うげぇ」
ちなみに罰は離れていた間のレポートと反省文の提出。それから師匠のねちねちした説教と、朝から晩までみっちり組まれた特訓だった。
「ふぅむ、基本から鍛え直してやるとするかのう。お主も文字とにらめっこするより向いておるじゃろう?」
「ふざけんな! 殺す気かっ」
そう言ってニヤニヤしながら恐ろしい術を連発してくるじいさんに、俺は叫びつつ逃げ回る日々を何日も過ごす羽目になった。
そうそう、結局ココと二人で師匠を相手に戦った時に俺達を止めたあの術については、教えて貰えなかった。「ヒミツじゃ」とかお茶目に言われても気持ち悪いだけだ。
畜生め、正体も含めて、いつか絶対に暴いてやるからな!
そんなこんながあった数日後。
「あー、疲れた……」
やつれそうな頬をさすりながら、俺は一人、兵舎の二階廊下をとぼとぼと歩いていた。仕事あり過ぎ。師匠、人をコキ使いすぎ。
「ん?」
ふと声を聴いた気がして、窓に近寄る。からりと開くと外の訓練場が良く見え、見習いの剣士達が打ち合いをしているところだった。すぐ脇には見張りをしているキーマの姿もある。
ふぅん、と声が漏れる。俺が混ざっていた頃よりは動きが兵士らしくなったんじゃないか?
「あいつ、いるかな」
あいつとは、あの見習いとは思えない剣捌きをしてみせていた少年だ。
「お、いるいる」
他と動きが違うからすぐに見つけられた。そいつはちょうど訓練相手を倒し、一礼して下がっていくところだった。師範にこってり絞られて、さすがにバトルロイヤルはやめたらしい。
「ん、キーマのところに報告に行くみたいだな」
二人の会話に興味を覚えた俺は、片方の手のひらに意識を集中し、小さく呪文を唱える。
『寡黙な小さきしもべよ、音を届けよ』
短い詠唱が終わると、手には一匹の黒い蝶が現れた。それはひらひらと細かな鱗粉を散らしながら静かに飛んでいく。もちろん本物の蝶じゃない。魔力で動く人形だ。
薄っぺらで魔導士には作り物だと一発で見抜かれるだろうが、精巧に作る必要もない。魔力で出来た蝶はすーっとキーマの近くまで飛んでいき、傍らに生えた木の葉にとまった。
『終わりました』
少年のやや高い声がクリアに聞こえる。よし、ちゃんと発動している。今使っているのは、蝶が聞き取った周囲の音が俺の耳に届けられるという術だった。
主に諜報活動に使われる術であり、本職はもっと精密に練り上げて「しもべ」を作り出す。俺のはオモチャに等しいシロモノで、素人でも触ったら本物じゃないと気付くだろう。
『お疲れ。ほら』
駆け寄ってきた勝者の少年に、キーマが乾いた布を渡してやっている。そいつはぎこちなく『ありがとうございます』と礼を言って兜を脱いだ。
ここからでも汗に濡れているのが分かる髪を、布を被ってごしごしと拭く。その間、勝ったことを誇ることも、自分の反省点を述べることもない。はてさて、無愛想なのか人見知りが激しいのか。
『家で教わってた?』
すると、キーマの方が気を利かせてか、軽い調子で聞いた。なるほど、いつもこうやって情報を収集しているのだな。俺にはちょっと出来そうにない芸当だ。
『……まぁ、そんなところです』
『じゃあ、見習い相手じゃ物足りない?』
『そんなことは……』
剣を握っている時とは全然印象が違うな。それが率直な感想だった。戦っている間はあんなに冷静に対処していたのに、今は年相応の幼さが滲み出ている。
「ちょっと師範に似てるかも」
沈黙の代名詞みたいな師範は、口の代わりに剣で物を語る人間だ。あいつも同じようなタイプなのかもしれない。……と、興味はまだまだ尽きないが、ふっと仕事を思い出して我に返った。
「やべ」
これ以上留まって師匠への報告が遅れたらどんなお小言を頂戴するか、想像するだけでゲンナリする。
「ちっ、仕方ねぇな。戻るとするか」
後ろ髪を引かれる思いで踵を返すと、木の葉の上で羽を休めていた黒い蝶は、誰に気付かれることもなく空気に溶けて消えていった。
《終》
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