第9話 師弟対決③

「ココはこの訓練に参加しないのか?」

「け、結界を張るのが、助手としての今のお仕事ですし」


 思ったより師匠の足取りは早く、距離はどんどん縮まっていく。普段はあんなにノロノロ動いてる癖に、術を幾ら乱発しても全然効かないし、ちっとは喰らえよ!


「見てるだけで本当に良いんだな? 後悔しねぇって言い切れるんだな!?」


 ココは俺と違って懸命な人間だ。でも、それだけの人間はあんなじいさんの助手に立候補などしない。キーマがお楽しみマニアなら、ココはいわば訓練マニアだ。


「私は……」

「へぇ、目の前でこんな楽しそうなことが起こってるのに、見てるだけで満足できるんだ。随分とお得で羨ましいぜ」


 本心はどうなんだ? と、挑戦的な目でココの瞳を見据える。ひたひたと迫る気配は、あと数歩のところまで来ていた。


「ほう?」


 興味深げな声をあげたのは、数歩先で立ち止まった師匠だった。眼光鋭いその視線の先には、俺と並んで魔導書を構えるココの姿がある。


「へへっ、そうこないとな」


 俺は笑って、彼女を頼もしげに見つめる。冒険心の旺盛な第二助手は、茶目っ気を含んだ瞳で笑い返してきた。


「やっぱり見ているだけなんて出来ません。私も参加します!」

「どうして……」


 キーマはぽかんと馬鹿みたいに口を開けて事態を眺めていた。ココの行動以上に、結界を易々とすり抜けていったことに驚いているのだろう。


「忘れてるだろ。この結界を誰が張ったのか」


 いたって単純明快だ。結界とは他者の行動を阻害するもの。術者本人には壁でもなんでもないのである。


「ココよ、わしに逆らうのか?」

「いえ、『閉じ込めろ』とは命じられましたけど、『中に入るな』とは仰いませんでしたから」


 完全に屁理屈の域だが、師匠は髭をなでつけながら「そうだったのう」とあっさり認めた。暇を何より厭う老人の心境を、上がった片側の口角がはっきりと物語っている。


「ココ、余力はどれくらいだ?」

「結界を維持しながらになりますから、半分と言ったところでしょうか」

「解けばー?」

「無理!」

「なんでさ?」

「教えてやんねぇ。たまには自分で考えろ」

「ケチだなぁ」


 緊張感もあったものじゃない。後であいつ火炙りに決定、楽しみに待ってろ!


「話は終わったか?」


 師匠は新たな相手を前にしてやや下がりつつも、依然として距離は近い。その割に、のんびり待ってくれていたのは、有難いのだか腹が立つのだか。

 結界を解かない理由はココの立場にある。ギリギリのところで、彼女がまだ命令違反をしていないことは師匠も認めた。でも、結界を解けば完全にクロになってしまう。


 もう一つの理由は、ここでマスタークラスの魔導師とその助手が壁も張らずに戦闘を開始したらどうなるか、を想像すれば良い。

 下手したら訓練場は大破する。弁償も嫌だし、三人揃って仲良く査問会にかけられるのはもっと嫌だ。


「覚悟が決まったのなら来るが良い」


 それを合図に、静かにココの両手があげられた。音楽の指揮でもするかのように、呪文に合わせて軽やかに振られ、術が寸分の狂いもなく完成する。


『風よ、慈しみのしらべを奏で、我らの盾となれ』


 俺達二人をふわりと優しい力が包み込む。目には見えないが強度は折り紙つき。師匠の剣も、きっと防いでくれるはず!


「っしゃあ!」


 気合いを入れなおし、再び剣を右手に生み出して駆け込んだ。師匠も風の刃を顔の前に構えて待ち受けている。強く軸足を踏んだ。

 ぎぃん! がん! カァン! 縦に横に斜めに打ち込むも、的確に読んで受けてくる。


「げえっ、マジかよ!」


 ピュウとキーマが口笛を吹いた。立派なじいさんが、魔導師が、剣を自在に操って猛攻を防ぐ画ってのは、恐ろしいの一言に尽きる。

 これまで武器を扱う姿はほとんど見たことなかったけれど、もしかして師範と同じくらい強かったりするんじゃねぇだろうな? 一旦引いて、後ろから援護射撃してくれていたココに呼びかけた。


「向こうを弱らせられそうな術は?」

「かけても全部跳ね返されてしまうんです!」


 再度、「マジかよ」と呟く。敵を弱体化させる魔術には体力減退や吸収、拘束に魔術封じなど様々な種類があって、魔導士には求められる機会が多い分野だ。


 結界と同じくらい得意とするはずのココの術を受け付けないなら、相当強い力で自分を守っていることになる。尚且つ攻撃の手を緩める雰囲気はなしだって?

 疑念と困惑が胸を掻き乱す。何故ここまで効かないのか、謎としか言いようがない。


「……っ」


 ココが唇を噛む音が聞こえたような気がした。互いの魔力に大きく隔たりがないことは、腕輪の色で証明済みだ。なのに、この差はどこから来る? 経験とかコツとか、そういったものを超越していないか?


「それだけの素養を持ちながら、少しもなっておらぬ。さて、そろそろ仕舞いにするか。――『止まれ』」

『!』


 ぐわっと魔力が膨れ上がるのを感じて、俺もココも地面に縫い取られたように立ち止まった。

 ……動けない! 一瞬前まで意のままに操れた体が、その指先に至るまでぴくりとも動かせなかった。許された唯一の行動は呼吸だけ。なんだこれ。そう言おうとしても、舌も石みたいに固まってしまっていた。


「二人とも何して……」


 傍観を決め込んでいたキーマも、突然動かなくなってしまった俺達を不審に思い、結界の壁まで近寄ってくる。

 くそっ、たった一言で二人の人間の自由を、こうも簡単に奪えてしまうなんて。恐れにも似た焦燥感に駆られた直後、師匠が静かに次の呪を紡いだ。


『盟約の名の元に命ず。……解き放たれよ』


 最後に聞いたのは、ガラスが盛大に砕け散るような音だった。

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