第9話 師弟対決②

 ほっほっほと、初めて会った日と変わらない笑い声を響かせる。こんな大魔術まで使うなんて、どこまで人をおちょくるのが好きなじいさんなのか。

 その皺が幾重にも刻み込まれた双眸がすがめられ、ふいに俺達から離れた。なんだ?


「準備は良いか?」

「はい」

『えっ』


 声に驚き、二人揃って訓練場の入り口に目をやると、そこにはぽつんとココの姿があった。待機しているよう命じられていたのは明白だ。そして今、次の命令を実行しようとしていることも。

 すぅと空気を吸い込む仕草が見え、唇から軽やかな言の葉が紡がれ始める。


『そは時の簒奪者さんだつしゃ。永劫を貫く一筋の刃――』


 おいおいおいおい! 最初の詠唱内容でピンと来た俺は、高めた魔力を使い、ココを追い抜く速さで術を編み上げた。あっちの緻密さとは正反対の、穴だらけの荒っぽい術だ。


「う、わっ!?」


 ぐんっとキーマの体が浮き、壁めがけて飛んで行った。そのまま壁の寸前で止まり、ぶつかる前にすとんと下ろされる。直後、ぱきんとガラスが割れるような音がして、空間が閉じるのを感じた。


「完成しました」


 そう、ココが唱えていたのは結界術。それも、ちょっとやそっとじゃ破れない高性能なシロモノだった。対する俺の方は、キーマをちゃんと外に放り出すことが出来た。ふぅ、間一髪!


「うむ、なかなかの精度じゃのう」


 いつも通り笑顔が眩しいココに、師匠が満足げにと頷く。何が「なかなか」だよ。面臭ェ状況にしやがって。


「ヤルンー、出られそう?」

「無理っ!」


 ココはその生真面目な性格通り、術の緻密さでは同期に並ぶ者なしだ。その「緻密さ」が肝となる結界術は、得意中の得意分野。

 結界からの脱出の第一歩は弱い部分を探すことだが、彼女の芸術作品には強弱なんて概念はない。均等な厚さは固さとなって威力を発揮し、突破するにはより強い力で押し通るのみとなる。


「わざわざ話をするためだけに、こんな手の込んだ真似を? 暇人だな」


 ココの魔力の波は良く知っているから、時間をかければ攻略の余地があるだろうけれど、老成した狩人は、安穏と待ってはくれまい。

 悪態をつくのだけは忘れるものかと踏ん張りはするものの、にじり寄る危機感に流れる汗を隠せそうにはなかった。


「ふん。今日こそは逃がさぬぞ」

「弱い者イジメなんて、趣味が悪いな」


 弱い者とはキーマのことだ。熟練の魔導師を前にした丸腰の剣士なんて、一般人と変わらない。あの場で術を放っていたら、衝撃波で窓硝子ともども吹き飛ばされていただろう。


「わしがそんなヘマをするとでも?」

「時々、平気で他人を捨て駒にしているのを忘れんじゃねぇよ」


 このじいさんには、たまにターゲット以外はどうでも良くなる瞬間があることを、俺はよ~く知っている。今だって俺がキーマを咄嗟に逃がさなきゃ、一緒に結界の中に閉じ込められていた。


「そもそもこの喧嘩自体、似たようなことが原因のような気がするんだがな」


 手にバチバチと電撃を発生させながら睨み付けると、師匠はわざとらしく咳き込んで誤魔化そうとした。それで誤魔化されるのは本物のアホだけぞ。


「では、どうするつもりじゃ?」


 思い付く選択肢は三つだ。一つ、大人しく降参して師匠の元に戻る。二つ、なんとかして師匠を倒す。三つ、無理にでも結界を破って逃走する……。駄目だ。


「全部同じ結果になるものは、選択肢って言わないんだって、の!」


 自分で自分にツッコみ終わるのと同時に、準備していた魔術を発動させた。さっきから見せびらかしていた電撃だ。ぐっと距離を詰める間に腕を奥から手前に引くと、それは一筋の光になり、長身の剣へと形を変える。

 勢いを殺さぬよう、武器を得た右手を振り上げた。


「うぉりゃっ!」


 がぎん! と金属がぶつかるような音を立てて弾かれる。ちっ、遠くから魔術で攻撃しても無駄と思って接近戦に持ち込もうとしたのに、片手で軽くいなされてしまった。


「ヤルンが持ってるの、何?」

「雷で作った擬似的な武器ですよ。術者以外が触れると感電して痺れますね」

「うわぁ、えげつない」


 結界の外ではいつの間にやらキーマとココが呑気に観戦ムードに突入している。あのな、お前ら助ける気ないならないで、せめて緊張感くらい維持しろよ!


「魔力のつるぎか。いかにもお主らしいが、やるならせめてこれくらいの物を生成せぬとな」

「うわっ!?」


 背筋に悪寒が走り、条件反射的に右に飛び退いた。一瞬前まで俺が居たその場所を、見えない「線」が通り抜けていく。この圧されるような感覚は、風か?

 予想は正解だったらしく、師匠の手には白く透ける剣が握られていた。空気の塊と侮るなかれ、風の刃の鋭さは本物の剣をも凌駕する。


「って、待て待て! 今の、避けてなかったら真っ二つだっただろ!」


 俺の右手に吸い付く雷の剣は、当たったところで痺れて気絶するのがせいぜいだ。対して、師匠の作りだした武器は間違いなく肉や骨まで切り裂く凶器。威力が違い過ぎる。


「避けたのじゃからグチグチ言うでない。ほれ、もう来ぬのか?」

「あほかっ!」


 そんな結果論で命まで片付けられてはたまらない。遠慮のえの字もない攻撃に慌てて距離を取った。


「来ないなら、こちらからいくかのう」


 びゅん、びゅん! と容赦ない音が空間を切り裂く。直線状に飛んでくるそれをなんとかギリギリのところで避け続けながら、さっと後ろを振り返った。

 駄目だ。師匠の術で結界が壊れないかと期待したのに、傷一つなし。ちょうど届く直前に風が掻き消えるように細工しているらしい。


「無駄じゃ」


 こちらの目論見などお見通しなのだろう。師匠はにやりと笑った。駄目押しの一言にカーッと腹が熱くなる。

 試しに自分の剣で切りつけてみても、景色に透ける壁はきぃんと氷のような音が鳴るだけ。やはりこの程度の術ではココの結界には太刀打ち出来ないか。


「ん、待てよ?」


 結界越しに向こうを見ると、今もキーマと呑気に談笑中のココの姿があった。これだけ頑丈な結界を展開しつつ、お喋りに興じられる彼女には恐れ入るが、だからこそ現状を打破する可能性がある。

 俺は靴の踵をきゅっと鳴らして師匠に向き直った。


「ふむ、やる気になったかのう?」

『焼き尽くせし焔。炎弾となりて地上へ降り注げ!』


 どどどどっと無数の火の塊が、じいさんの頭上から落下した。威力はそこそこ、質より量の時は重宝する魔術だ。


「なんじゃ、拍子抜けさせおって」


 師匠は二三唱えると、あっさりそれらを無力な塵に変える。こっちだってもちろんダメージを与えられるとは思っちゃいない。とにかく時間さえ稼げればいい。


「ココ、聞こえてるだろ!」

「は、ハイっ?」


 話しかけられるとは思っていなかったらしいココが、素っ頓狂な声を返す。よっし、いける。


「お前、師匠に頼まれたんだろ。俺を捕まえるのを手伝えって」

「そ、そうです」


 師匠も何かあると思ったのだろう、様子を見ながらゆっくりとこちらへ近づきつつあった。


「でもさ、考えてもみろよ。これって訓練みたいなものだろ」

「それは……」


 相手の間合いに入ったら負けだ。あの皺だらけの手に触れられたら、その瞬間に完全に終了である。そうしたらどうなるんだろう? 考えたくもない。

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