第9話 師弟対決①
「あんなに怒らなくてもいいのに」
予想通り、例の静かな声音でこんこんとお説教をされた。9割がキーマで、俺はオマケの1割程度にだ。師範の殺気の直撃を食らっている人間、の隣にいるだけで存分に肝を冷やしたぜ。
「そりゃ、見習いをほぼ全員ノックアウトさせればフツーに怒られるだろ」
窓をごしごしと雑巾で拭いながらツッコむ。どうやら、師範は用事を済ませて戻ってこようとして、医者や看護師が次々に運ばれてくる若者を前に右往左往する現場に遭遇したらしい。度肝を抜かれたことだろうよ。
「そーかなー」
「お前の『常識』はどうなってんだよ……」
まだ日が高い中、俺とキーマは罰掃除のためにがらんとした兵舎にいた。あっちは柱磨きで、こっちは窓拭きだ。罰とは言え、この広大な兵舎をたった二人で綺麗にしろだなんて、相変わらず師範も容赦がない。
「この汚れ、頑固だな」
そうだ、この前読んだ魔術書になんでもツヤツヤになる術が書いてあったな。すっげぇ怪しかったあれ、試してみるか?
「ヤルン、水頂戴―」
「俺は井戸でも水汲み当番でも無ぇ」
「ケチー」
がるるると威嚇しながらも、水を汲みに行ったまま失踪されたら困るのでバケツに魔術で水を出してやった。
「いやー、助かる。持つべきものは友達だね」
「お前は『友達』の定義を今すぐ改めろ」
キーマの揺れる金髪を見て、ふと、先ほどのバトルロイヤルの勝者クンを思い出した。
「なぁ、さっきのあいつ、目立ってたな」
「見習いの頃のヤルンほどじゃないと思うよ?」
「るせぇっ」
怒鳴ってもバケツ片手ににやにやと笑っている。キーマはからから笑い、水で満ちたバケツをごとりと置いた。勢いが良かったのか、水滴が散って廊下を濡らす。
「俺のは悪目立ちっつうんだよ。それに、半分以上は師匠のせいじゃねぇか」
全ては、あの人が俺を弟子にすると宣言した時から始まったのだ。でなきゃ今頃、無理やりにでも剣士に転向していたかもしれない。
「かもね。そうしたらこっちも違ってたかも?」
「……ほんと、お前の人生の選択には恐れ入るよ。ん?」
まだ誰も戻ってくるはずのない兵舎で
「師匠……」
「まったく、世話のかかる」
何年生きているのかも知れない老人が、おばけみたいに角からぬぅっと現れた。途端、ぴりりと廊下の空気が張り詰める。
「とうとうお出ましか」
そこに立っていたのは、ここ数日間、散々「帰って来い」のメッセージを送り続けてきた人物だった。
相当怒ってるな。普段は静まり返った湖面のような魔力を、今は隠そうともしていない。強制的に連れ戻しにきたってわけか。
「なんと言われようと戻らないぜ。人を罠にはめて置いて、謝る気のないジジイのところにだけはな」
ちらりと視線を走らせる。掃除に邪魔だと剣を自室に置いてきた、剣士の風上にも置けないキーマを手振りで後ろに下がらせ、俺は腰のポケットから魔導書を取り出し、本来の大きさに戻した。
「え、こんな狭いところでやりあうつもり?」
その行動が何を意味するのかを知るキーマが、上擦った声で言う。
ある程度の術者になれば、多少の魔術にこんな勿体ぶった構えは不要だ。身に着けてさえいれば良い魔導書をわざわざ出すのは、本気であるという意思表示に他ならない。
「黙ってろ。あっちが挑発してきてるんだから良いんだよ」
この瞬間にも、肌にビリビリするほど感じているのだ。気を抜いたら戦う前から競り負けてしまうだろう。相応の対策を取らなければ。
「ほう、やる気じゃな。面白い」
「んなこと言って。兵舎を粉砕して領主サマにクビ切られても、責任取らないぜ?」
「それもまた一興よ」
他人には狂っていると誤解されそうな、物騒な発言を互いに吐き捨て、集中する。
「……行くぞ」
俺は意識を少しばかり沈ませた。そこには、普段は奥に閉じ込めている魔力の「核」とも表現すべき場所があり、そのくびきに触れると、一息に解き放つ。
ばちばちっ! 久しぶりに外へ発散されることを許された魔力は風圧を起こし、電撃のように周囲で爆ぜた。
「わ、ちょっ、火花っ! 熱っ!?」
「だからもっと下がってろって! 飛び火して黒焦げになっても助けてやらないぞ」
後ろでキーマが「黒焦げになってからじゃ手遅れ!」とかぎゃんぎゃん喚いているが、無視無視。
「ふぅ」
ひとしきり全身に魔力を漲らせると、なんともいえない充足感が満ちた。キレてもいないのに妙に頭が冴えて気分が良いのは、強い相手と戦えるからか、それとも。
「嘆かわしい。その様子では何日も大した魔術を使っておらんかったようじゃのう」
「あぁ? 毎日使ってるさ。今日だってもう空っぽ寸前なんだから、これ以上は勘弁願いたいんだけど?」
精一杯嫌味っぽく言ったつもりなのに、師匠は呆れ返っている。
「ならば、纏うそれについて説明してみよ。お主にとって治癒術なぞ、膨大な魔力の表層を舐めるようなものじゃろうて」
う、やっぱりこの高揚感はそれが原因かよ。おかしいな、治癒術の乱発でほぼ使い切ったはずの魔力が、まだこんなに残っていたとは。マジでどーなってるわけ、俺の体。
「か、火事場の馬鹿力?」
「魔力にそんなものはないわい」
苦し紛れの言い訳も一刀両断される。
「あ、あるかもしれねーだろ!」
「ほれ」
「わっ、何なに!?」
勝手に憤っていると、突如、地面がパアッと光を放った。何が起きたか分かっていないキーマが慌てふためく様を見て、師匠が「動かない方が身のためじゃぞ」とほくそ笑んだ。
「これは、転送術か?」
眩しくて詳しくは読めないが、足元には古代語が浮かび上がっていた。やがて、思考の途中で俺達は完全に光へと呑まれた。
目の前には師匠が、真後ろにはキーマが立っている位置関係はそのまま、場所だけを移されたというわけだ。
「どうなってるわけ?」
「転送術だよ。物体を別の場所へ飛ばす魔術だ」
「そんな便利な術があるんだ?」
「便利なもんか。魔力は大量に食うし、色々と制約もあって、滅多にお目にかかれる術じゃないんだ」
物質移動は、魔術の中では比較的簡単な部類に入る。浮かせて飛ばしたり、応用して連絡に使ったり。重力操作の習得が必須の魔導士にとっては、利便性は高い。でも、移動と転移・転送じゃ、次元が全く違う。
「あれは物を一度分解して、別の場所で再構成する術なんだよ」
「ぶ、分解って……、失敗したらやばくない?」
魔術には疎いキーマでも、大変さが理解できたらしい。分解もだが、特に再構成には途方もない魔力と集中力を必要とする。
「失敗したら、三人仲良くあの世逝きだったな」
「ひえ」
「考えてもみろよ。あんなのがホイホイ使えたら、世の中はもっと発展してるだろ」
「確かに」
多分、最初からこれが狙いだったのだ。さすがに師匠でも無詠唱で3人を飛ばすなんて芸当は難しかった。だから、わざと魔力を放つことで俺を挑発し、発動までの時間を稼いでいたのだろう。
「ちっ。また、まんまとひっかけられたのかよ」
「周囲に気を配っておれば分かったはずじゃぞ。未熟者め」
「あんたから目を離す方が危ないっての!」
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