第7話 小瓶と薬師・後編

「それ、ヤバい……! 早くフタ閉めてくれっ」


 俺の声に弾かれたキーマがメディスから引っ手繰るように瓶を奪い取って栓を捻じ込んだ。


「待っててください。窓あけますからっ」


 メディスも家じゅうの窓を開け放ってくれる。しばらく咳き込みながら椅子の背もたれに体を預けていると、匂いは段々と薄まり、なんとか普通に呼吸が出来るようになった。


「はぁはぁ、きつかった……」

「一体どういうことか説明しれくれる?」

「私も知りたいです」


 疲労感が残っていて億劫ではあったが、放置するわけにもいかない。身を起こし、きっちり締められた瓶を指さした。


「それ、もう二度と魔導士には見せない方が良いぞ。魔力がキツ過ぎる」

「魔力?」


 きょとんとするキーマに「物凄い魔力の塊みたいだ」と率直な感想を述べた。

 ついさっきまで、あんなものをポケットに突っ込んでいたのか? 今更になって恐ろしさが込み上げてくる。きっとコルク栓に強い封印がかけられていたのだ。


「師匠は『渡すまで決して開けるな』つってたけど、冗談じゃない。渡したあとも駄目なやつだろ!」


 がーっと怒りがわき上がってくる。……っと、今はまずい。あの薬で刺激されたばかりで、体内の魔力が未だ揺らいでいる。落ち着かなくては。でもやっぱ腹立つ!


「……それは昔、両親からも言われました」


 メディスの言葉にはっとする。そうだよ、こんな特殊な薬、薬師が注意事項について知らないはずがない。


「こうなるって分かってたのか?」

「じゃあどうして」


 済まなさそうに言う彼女に、苛立ちを抑えて問いかける。キーマも不審そうに髪をかき上げている。


「り、理由を知りたかったんです。私は魔術の才には恵まれませんでしたから。あなたはオルティリトさんのお弟子さんでしょう? だったら、大丈夫かと思って……」

「あのなぁ!」


 女の強かさか、それとも、人里離れた場所に住んでいるがゆえの無邪気さか。曲がりなりにもじいさんの知り合いだってことを忘れてたぜ。


「ごめんなさい」


 うっ、怒ろうと思っていた矢先に、その怯えた上目遣いは反則だ。しかも目に涙が滲んできてるし! うううう。


「どうする?」


 どうするって。城の見習いだったら容赦なくどやし付けるところだけど、相手は兵士でもない普通の女の子だ。……いやー、普通かなぁ?

 こう考える合間にも、大きな瞳からは今にも大粒の涙が零れ落ちそうになっていて、真っ赤な顔がぐしょぐしょになるのも時間の問題だった。


「分かった。分かったから泣くな! けど、もう二度と、金輪際、人を実験動物モルモット扱いするような真似はしないこと。いいな!」

「は、はい! もうしません」


 しっかり頷いたのを見て、「じゃあいい」と言うと、ようやくメディスは鼻をすすって涙を引っ込めてくれた。はぁ、こういうとこ、甘いんだろうな。キーマは全然フォロー入れてくれないし。


「使う時以外はしっかり栓を閉めておけよ。その薬は毒だ」

「毒?」


 メディスの手に戻った小瓶に、三人で目を落とす。匂いはだいぶ外に逃げていったが、見ているだけで胸が締め付けられる。あの衝撃を体が覚えてしまったのだろう。


「魔力持ちにはな。さっきも言ったけど、魔力の塊みたいなものだと思う。なりふり構わず欲しがるやつが沢山いそうだな」


 あの香りは易々と魔導士の理性を溶かしてしまうような気がした。もし、もう一度突き付けられたらと思うとぞっとする。


「そんなにこれが欲しくなるんですか?」

「俺は要らない。匂いだけでぶっ倒れるかと思った」


 泣き寝入りも癪だ。困惑気味のメディスを見ていたら、もうひと釘くらい刺してやりたい気分になってきた。


「もうちょっとでこの家が吹き飛ぶかもしれないところだったんだぞ」

「えっ」

「昔さ、怒りでぶち切れて、魔力を暴発させたことがあったんだ。あん時ゃ、ムカツく野郎は綺麗に吹き飛んで医務室送りになったっけ」

「ええっ」

「あったあった、懐かしいねぇ」


 あの出来事を笑って思い出せるのはキーマくらいだろう。さすがはお楽しみマニアである。


「その薬はその引き金になるってこと。……いや、今起きたら、そのくらいじゃ終わらないかもしれないな?」


 あの時より魔力が増えているし、師匠の訓練で流れもずっとスムーズになっている。おまけに今は王都に居た時みたいに腕輪もない。

 一つひとつ説明してやると、メディスは「そんな」と呟き、両手を小瓶ごとぎゅっと握りしめた。


「終わらないって……どうなるんですか?」

「聞いとくか?」


 薬師としてはまだまだ駆け出しの少女は、しばらくの間視線を彷徨わせてから、ゆっくりと頷いた。


「聞きたいです。私、両親みたいな立派な薬師になりたいから」



「やい、クソジジイッ。よくもあんなもの持たせやがったな!」


 城に帰るなり師匠の研究室に直行した。屈強な門番でさえ、俺の剣幕に顔を引き攣らせて「お、おかえり」としか言わなかった。


「や、ヤルンさん?」


 しかし、部屋には書類の整理の真っ最中だったらしいココの姿だけ。あわわ、睨んじまった。


「わっ、悪い! 師匠がまたエグイもの押し付けてくれやがったんで、腹が立っててさ」


 聞けば、つい先ほど出かけたらしく、今日はもう戻らないと言う。大方、俺が戻ってきたと悟って行方をくらましたのだろう。


「くっそ!」


 仕方なく、師匠愛用の椅子にどっかと腰をおろすと、ココが淹れてくれたお茶をぐいっと飲み干し、ことの顛末を愚痴った。


「……それは大変でしたね。そのお薬は、他の薬の効果や治癒力を高めるためのものでしょうか」


 ココの予想に「多分な」と同意する。


「売れば凄い値が付くだろうぜ。病気の治療以外にも色々使えそうだったからな」


 金持ち連中や裏社会の人間が大金をはたく姿が目に浮かぶ。

 友人の忘れ形見を不憫に思って援助しているのだろうが、ガキに金の延べ棒をくれてやるようなものだ。厄介事に巻き込まれろと言っているのと同じにしか見えない。


「だから、ヤルンさんに行かせたんじゃありません?」


 ココはくすっと笑って、「きっと、危険性を教えるためにですよ」と言った。


「メディスさんが薬に疑問を抱き始める時期に差し掛かりつつあるのを見越して」


 誰にでもある、禁忌に触れたい気持ち。駄目と言われるとやってみたくなる好奇心。それがむくむくと湧いているところへ、何も知らない魔導士を差し向けるとどうなるか。


「メディスが俺で試そうとするって、最初から踏んでたってことか?」


 だとすれば、全部じいさんの思惑通りに運んだことになる。……ぐつぐつ煮えたぎっていた腹の底が、急にすぅっと冷えた。


「なぁ、ココ。今度という今度は、あのじいさんに分からせたいんだよ。『親しき仲にも礼儀あり』ってことをな」


 ああ、分かっている。この部屋を吹っ飛ばそうが、あのじいさんに反省を促す効果は薄いだろうことは。


「何か案をお持ちなんですか?」

「ある。多少の犠牲を払おうとも、俺は敢行する!」



 翌朝。研究室に現れた師匠は、いつまでもやって来ない俺にしびれを切らしてココに所在を訊ねたらしい。


「それが……」


 ココが差し出したのは一通の封書。俺が丹精込めてしたためたものだ。その中身を確認した師匠の顔が、見る見る驚きに染まっていく。手がぶるぶると震える。


「け、『剣士として、一から出直したい』? 『止めないで下さい』?」


 これこそ一世一代の秘策。断固として立ち向かう覚悟を示すために、リーゼイ師範に頼み込み、しばらく仮の助手ということで雇ってもらうことしたのだ。


「まま、まさか、それをリーが了承したと言うのか?」

「……はい。人手は多い方が助かるそうです」

「なにーーーっ!?」


 師匠の唖然とした顔を見損ねたのは勿体なかったが、こうして一泡吹かせることには成功した。もちろん、この後に師弟の壮絶な駆け引きが勃発したことは、言うまでもない。


《終》

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