第7話 小瓶と薬師・中編

「っ!」


 瓶が割れてはまずいと思い、寸でのところで踏みとどまった。けれど、変に力を込めた右足首に鈍い痛みが走る。うーん、こりゃ捻ったか?


「大丈夫?」

「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」


 くりくりの眼を見開きながら謝ってきた女の子は、いかにも山で暮らしてますって宣伝するような地味な服装で、あどけない顔つきは俺達より少し年下っぽい印象だ。

 黒髪を首の後ろで無造作に結んで垂らしているのが、風景のせいもあって動物の尻尾に見えた。今にもパタパタ動き出しそうである。そしてその手には。


「て、鉄鍋っ!?」

「あ、これはっ」


 女の子は手に持った鉄鍋を慌てた様子で後ろに隠した。おいおい、そんなもので殴られたら、あの世逝き間違いなしだぞ!

 まぁ、いい。今はそれより仕事を済ませてしまわないと。俺は「ほら、大丈夫」と言って、苦痛に歪みそうになる顔を無理矢理笑みに変えた。


 ポケットから約束の物を取り出して見せると、一瞬少女は顔を輝かせる。が、すぐにそれを怒りの表情に変え、「そうじゃありません!」と怒鳴ってきた。


「足の方ですっ」


 声は結構かん高い。小動物がきゃんきゃん吠えているみたいで、正直ちょっと苦手なタイプだ。耳栓をしたくなる。


「ほら、掴まって」

「おう、助かる。あー、ちょっと玄関借りてもいいかな」

「はい、どうぞっ」


 キーマの肩を借り、家の中へ入らせて貰うことにした。鉄鍋を構えてまでの警戒心はどこへやら、女の子はすんなり招き入れてくれると、あの勢いでも吹っ飛ばなくて済んだ戸をパタンと閉めた。


「ん? なんだ……?」


 ふわっと、何かが鼻を掠めた気がした。中は外からのイメージ通りだった。手作り感溢れる暖炉と炊事場がある以外は、2~3人がやっと寝られるスペースでおしまいという狭さである。


「よいしょっと」


 奥から簡素な椅子を持ってきてくれたことに礼を言って座れば、今度は布を濡らしてくれようとしたので、「有難いけど要らないよ」と断った。


「でも」

「どう、治せそう?」

「痛みはあるけど、大したことないだろ」


 靴を脱いで足首を晒し、もう一方の足に乗せてみた。まだ赤くなり始めているくらいだが、放っておけば腫れ上がってくるだろう。手を足の上にかざし、精神を集中して静かに唱える。


『……氷の吐息。癒しの女神よ、汝の微笑みを我に』


 すると、熱を持ちかけていた患部がすぅっと冷えるのと同時に、じんじんとした痛みもひいていった。血止めと並んで利用頻度が高い治癒術のひとつだ。軽い捻挫程度なら十分に効いてくれるはずである。

 でも、自己治癒は他人を癒すよりも効果が薄いから、念のために帰ったらココに診て貰うことにしようっと。


「はい、おしまい」

「おー、さすが。大事にならなくてよかったよ」


 顔を上げると、女の子はまだ俺の足を見つめたままだった。数秒後にやっと気が付いたらしく、その頬がみるみる紅潮していった。


「い、今の……魔術、ですよね」

「師匠の知り合いなら見たことあるだろ? あんた……君は魔導士じゃないのか?」


 見た目と挙動から年上っぽく振る舞ってしまったが、彼女は師匠の顔見知りのはずだ。「実は若作りのばあさんでした」なんてパターンもあると思い、口調を少しだけ改める。


「違います。私は薬師です。山で薬草を採って、煎じたお薬を売って暮らしています」

「あぁ、だからこんな山奥に住んでいるのか」

「薬草を採取するなら、そこに住み込むのが一番だもんね」


 入った瞬間に鼻を通り過ぎた不思議な香りも、薬のものだったのだ。ただ、奇妙なことに、この家からは彼女以外の気配が感じられなかった。

 使い古された道具や、家の傷み具合なんかが伝えてくる、生活の息遣いとでも表現するべき類のものだ。


「そういや名前も名乗ってなかったな。俺はヤルンで、こっちはキーマ。君は……メディス、さん?」


 思い出したように師匠のメモを取り出して、名前らしき箇所を読み上げる。彼女はこくんと頷いて「メディスで良いですよ」と微笑んだ。


「この家に一人で住んでるの?」

「両親は私が幼い頃に亡くなりましたから」


 キーマの問いにさらりと返され、胸にちくりと痛みが走る。二人で小さく「ごめん」と謝ると、彼女は笑って許してくれた。


「ちっとも寂しくないんですよ。近くの家はみんな親戚が住んでいて、小さな子もいて、毎日結構楽しいです」


 家々が身を寄せ合って並んでいるように見えたのは錯覚じゃなかったのだ。


「師匠……あのじいさんとは、どういう知り合いなんだ?」


 疑問がどんどん浮かんでくる。こんな山奥にあの人がわざわざ足を運んだりするだろうか。まさか、若い女子狙い!? もしそうだったら速攻で荷物を纏めて城を後にしなければならない。もちろんココも連れて!


「オルティリトさんとは私の両親が昔、町で薬を売っていた時に知り合ったと聞いてます。それが縁で、今でも薬をお譲りしたり、森では手に入らない材料を届けて頂いたりしているんですよ」

「へぇ」


 少女趣味じゃなくて本当に良かった。


「縁は異なものだねぇ」

「それはちょっと違くないか?」


 こんな小さな友人が存在したとは。何年も師匠のそばにいたのに、全然知らなかったぜ。まぁ、実際は知らないことの方がずっと多いのだろうが。


「持ってきて下さったお薬を確認しますね」


 メディスは届け物である小瓶の栓をポンと抜いて、手であおぐ仕草をしながら匂いを確かめる。まだ年端もいかずとも、そこは薬師の卵。薬品を扱う時の基本をしっかり押さえている。

 ちなみに俺は昔、瓶から直接ニオイを嗅いで失神しかけたことがある。良い子も悪い子もマネしちゃいけません。


「はい。確かにお約束のものです」

「それ、薬の材料なんだよな?」


 届けた荷に興味を持ったのは、栓を抜いてからなんとも言い難い何かが部屋に立ち込め始めたからでもあった。甘いような、苦いような。でもこの感覚は、匂いか……?


「ある病の治療に使う薬の材料なんです。この森では採れませんし、町でもなかなか手に入らない貴重なものなんですよ」

「ふぅん。薬なだけあって、変わった匂いがするねぇ」


 メディスはフタを開けたまま、小瓶をそっと差し出してきた。妙な感じがぐっと強くなる。なんだろう。近付いてはいけない気がする。

 でも一瞬だけ、好奇心が警戒心を上回った。抗い難いそれに従い、小瓶を受け取り、手であおいで匂いを確かめる。


「――魔力の香り?」


 自然と口から言葉が零れた。瞬間、ずくん、と体に衝撃を感じた。うっわ、これ、まずい! そう思うが早いか、げほげほと咳き込んだ。


「どうかした?」


 脳裏に光が閃くほどの強烈な気配がした。どくんどくんと心臓が脈打つ音が聞こえる。嗅ぎ続けていたら頭がおかしくなりそうで、すぐに顔から離して瓶を押し付けるようにして返した。


「あの、どうかしたんですか?」


 反応がよほど顕著だったのだろう、メディスは驚いた様子でこちらを覗き込んでくる。遠ざけた匂いが再び近づいてきて怖くなり、顔を背けて「来るな!」と叫んでいた。


「えっ」

「一体どうしたのさ」


 くそっ、二人には分からないのか。こんなに強く深く体を侵してきているというのに!

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