第7話 小瓶と薬師・前編
「これを届けてくるのじゃ」
相変わらず埃っぽい研究室で師匠はそう言って、手のひらに収まるサイズの小瓶をポンと渡してきた。緑色の入れ物は首の部分が細長く、胴体は丸っこい。中で水音を鳴らす液体は黒々として見えた。
「なんスか、これ」
色々な薬の調合法を教わったり本で学んだりしてきたが、記憶にあてはまる物は浮かんでこない。まさか、可燃性の液体じゃあるまいな?
「安心せい、爆発なぞせんわ。知りあいに頼まれてのう。ちと難しい病気の治療に必要なものじゃよ」
説明しながらも、少しむくれた表情でじいさんはこちらを睨んだ。その顔が何を意味するものかは、考えるまでもない。
「ツッコミポイントをスルーしたからって拗ねんな。可愛くない」
いつもいつも師匠に思考を読まれるから、いちいち取り合っていたら日が暮れてしまう。だからっていい年をしたじいさんに拗ねられても、鬱陶しいだけだ。
「老い先短いのじゃ。少しくらい相手をしてくれたとてバチはあたるまい?」
「誰が老い先短いだ、誰が! 口が裂けても言えるかいっ。だいたい師匠は幾つなんスか? 今更100や200、いや300くらいじゃ驚きませんから、教えて下さいよ」
優しく聞いてやったら、師匠は「年長者に歳を訊ねるとは失礼なヤツじゃのう」と恥じらいと軽蔑が混ざった眼差しを向けてきた。最凶に気持ちが悪い。
「届け先はこれに書いておいた」
瓶の次に渡されたのは、小さな紙切れと幾ばくかの小銭だった。……小銭? 嫌な予感に駆られ、慌てて紙切れを確かめると、果たしてそれは普段見慣れた住所ではない。
「これ、城の中じゃない。町の中ですらないぞ。どこまで行かそうってんだ!?」
ざっと見積もっても1日で行って帰ってこられるか怪しい距離だ。お使いのレベルをこえた、ちょっとした旅である。
「そうそう、相手に渡すまで、決して開けるでないぞ」
「こんな見るからに怪しい瓶、誰が開けるかっ!」
「あのジジイ、さらっと面倒事押しつけやがって」
晴れた空の下、すれ違う人間に聞こえない程度の声で毒づく。と言っても、周囲に人気はほとんどない。町と町とを結ぶ街道のど真ん中だからだ。
時折追い抜いていくのは商人や貴族の馬車ばかり。歩いて移動しようなんていう物好きはいないようだった。
「あー、マジで面倒くせぇ」
呟きながら手を私服のポケットに突っ込む。例の荷物と紙切れ、お小遣い程度の路銀で買った食べ物の固い感触があった。駄賃にしてもショボ過ぎる。
「たまにはこういうのも良いんじゃない?」
呑気に言ったのは同じく私服姿キーマである。ココは師匠に押し付けられた仕事があるために来られなかったが、たまたま非番だったコイツが付いていくと言い出したのだ。
なお、非番のため帯剣はしておらず、装備は護身用のナイフだけである。え、俺? 魔導書をそこらに置いておけるわけがないので、当然持ち歩いている。ほらそこ、剣より危ないとか言わないように!
「面白そうだし」
「お前はホントにそればっかりだな」
笑って、「人生楽しまなきゃ損でしょー」などとのたまう。その意見は分からなくもないが、人生の重大事である進路まで、その基準で決めるのはどうなんだ?
「ま、お前の人生だから好きにすれば良いけどな」
「えー、何そのひと事感。楽しいかどうかはヤルンにかかってるのに」
「俺は見世物じゃねぇつってんだろ!」
本当にいつまでついてくるつもりだ? 放っておいたら、俺が夢を叶えて騎士になってもまだ近くに居そうな気がする。時々は助けられているから、そんなに文句も言えないが……。
「つーかさ、お前は怖くないわけ?」
「何が?」
「魔術とか魔導士とか。今まで何度も危ない目に遭ってきてるだろ?」
氷漬けになったり、痺れさせられたり、爆発に巻き込まれたり。自分で身を守る方法もないのに、よく近寄ってくるなぁと加害者ながら思う。
「別に? 自分が楽しむためなら、多少はリスクも負わないと」
マジかよ。そこまでいくともう「お楽しみマニア」の域だな。極めてやがる。
「悪かった。俺が間違ってたよ。お前のこと尊敬するわ」
「って言いながらドン引きするのやめてくれる?」
ある程度の距離を歩くと、渡された紙切れを確かめてから道を折れた。空を仰げば、もう日は頂点を過ぎている。
「この辺だっけ?」
草原だったのは少しの間だけで、すぐに野性味溢れる森に伸びた細い道を見つけ、ガサガサと分け入った。
「う……」
草木の青臭さに混じって獣の臭いが鼻をつく。恐ろしいことに届け先はこの奥の地だった。馬車が使えないのもそのせいだ。
「スウェルの端っこに、こんな場所が、あったなんてね。っと」
ざん、ざん、と先を行くキーマがナイフで植物を切り払う。地図にも載らない獣道は段々と上り坂に変わり、息が上がり始めた。
それが肩で息をするようになり、肺が痛み、足も鉛みたいに重くなってきて、一休みしようかと思ったその時、木々の合間に緑以外のものを見つけた。
「おっ?」
林の中にぽっかりと開けた広場には、山の斜面に沿うようにして小さな家々が身を寄せ合い、集落を形作っている。
一つひとつがおとぎ話に出てきそうな木造の家で、数は村とも呼べない規模だ。そりゃあ公式の地図には記されないだろうな。
「ちゃんと着いたみたいだね。遭難せずに済んでよかったよかった」
「ちょ、なんつー恐ろしい想像をしてやがったんだ。そういうのは心の中だけにしまって置くものだろ」
煙突から上る煙が人の気配を教えてくれていて思わず安堵する。ここまで来て「不便だから引っ越しました」では笑い話にもならない。
「えーっと、手前から2番目の……ここか」
「すいませーん。どなたかいらっしゃいますかー?」
どんどん。キーマが声をかけつつ扉を叩く。大して強く叩いたわけでもないのに、それは太鼓のように高らかに音を立てた。家の中に反響しているのだろう。
「出てこないな」
数歩離れて確認すれば、この家の煙突からもか細い煙が出ている。誰かいるのは間違いない。
「お留守かな」
「こんな隙間風が入りそうな家で火を放ったらかしておいたら、火事になれと言ってるようなもんだぜ?」
もしかして、師匠の知り合いだから老人で耳が遠いとか? 大いにあり得る。あの老獪なじいさんに長々と付き合っていたら、誰だってヨボヨボになっちまうだろうよ。
そんな本人には絶対に聞かせられない推理をしていると、ふいに戸の向こうから息遣いを感じた。気配を殺しているつもりなのだろうが、いかにも素人が外の様子を窺っている雰囲気が満載だ。
ちらりとキーマをうかがい、頷きあう。
「あのー、オルティリトって人の使いで来たんですけどー」
駄目だったら別の手を考えよう。そう思って声をかけると、今度は劇的な効果があった。
「ほんとっ!?」
「うわっ」
戸が弾けそうな勢いで開き、女の子が飛び出してきた。反射的に後ろへのけ反った俺の体が、バランスを崩して尻もちをつきそうになる。咄嗟に、ポケットに捻じ込んだ瓶のことが頭に浮かんだ。
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