第6話 お片付けと七不思議・後編
「きゃっ」
「ココ、どうした?」
ココの悲鳴に慌てて首を巡らせると、青い顔をしながら古ぼけた本をおそるおそる棚に戻しているところだった。
「……この本、正式な手続きを踏んで開かないと、毒に冒される術がかかっているみたいです」
と思ったら、こっちは不用意に開けたら燃え尽きるやつ! くそじじいめ、なんてものを説明もなしに運ばせるんだ。うっかり開けちまったら大惨事じゃないか!
「こういう事故を防ぐためにも、結界が張ってあるのでしょうね」
「昔はこんな恐ろしい部屋だなんて思いもしなかったぞ」
奥には行くな、としか教わらなかった当時は、興味はあっても「どうせ理解出来るシロモノじゃない」と忍び込むことはなかった。昔の俺だったら絶対チャレンジしていそうなのに、野生のカンでも働いたか。
「んで、知らないからこそ、変な怪談話が出来たりするんだろうぜ」
後ろにずらーっと並んでいた本も、二人でせっせと戻しているうちに終わりが見えてきて、気持ちに余裕ができた。
「あ、知ってます。七不思議ですよね」
「そうそう。あっちこっち旅したけど、そのテの話はどこにでもあるもんなんだな」
別に七と決まっているわけじゃないが、古い建物ほど怪談話は定着しているものらしい。
夜中に誰もいないはずの部屋から楽器の音がするとか、女の幽霊を見たとか、絵からお化けが出てきて襲い掛かってくるだとか。枚挙に暇がない。
「ヤルンさんは、幽霊は本当にいると思います?」
「さぁな。あんなの、ほとんどは空耳や幻を見てホンモノだって思い込んだ奴が言いふらしたホラ話だろ。途中で他の似たような話と混ざったりしてさ」
最初は「何か聞いたような気がする」程度だったものが、人の口を何度も介する間に「音がした」に変化する。で、「何かいる」って騒ぎ出す人間が現れると、怪談になる。大抵はそんな感じじゃないだろうか。
「魔術が一枚噛んでるパターンもあるだろうしな」
実際、魔術の暗部に「呪術」がある。道端の露店で小銭を払って気軽に受けられる占いやまじないから、文字通り人を呪い、死体を操る術も存在する分野だ。
「まっとうな者の進む道ではない」とあの師匠が呟いていたくらいだ。今のところは無理に仕込もうとはして来ない。
でも、あくまで今のところは、だ。爆発系の術みたいに、いつかビシバシ教えられそうな気がする。嫌だなー。なんとか回避……出来ねぇよなぁ。うぐぐ。
「魔力は、持たない人にとっては未知の力ですものね」
「普段は完全に忘れてるけどな」
手にした革表紙の魔術書に目を落とす。古代語で綴られたこれだって、立派に「未知の力」の一端だ。呪術に限らず、魔術そのものが魔導士以外には「怪しげな現象」なのだ。
「治癒術ですら、経験したことのない人には恐ろしいもののようですしね」
旅をしていた時に兵士の治療にあたった時のことを思い出す。
治される側にしてみれば、包帯も布も使わずに、手で触れただけで傷口が消えていくのだ。感謝と畏怖が混ざったあの顔は、永遠に忘れられそうにない。
「昔は、差別や偏見が今よりずっとあったのでしょうね」
沈んだ調子でココが言い、小声で「かもな」と答える。これだから呪術と同じくらい、魔術史も自分から調べたいとは思えないのだ。
「はー、やめようぜ? 考えた分だけ落ち込み損だ」
「あ、でも、少しだけ七不思議の話に戻っても良いですか? その一つ、この書庫ですよね」
「そうだっけ?」
書庫。怪しくて危ない本がひしめく薄暗い密室には、何もなきゃ嘘だろうって雰囲気が充満している。
「噂話はキーマの方がよっぽど詳しいからなぁ」
たまに仕入れたネタを聞かされるのだが、怪しくて胡散臭い話ばかりで、馬鹿らしくて仕方ない。笑い飛ばして終わりにすることが常になっている。
「私が聞いた話だと、昔、ここで亡くなった魔導士がいたそうなんです。私達みたいに、本を戻しにきた時にうっかり事故を起こして」
「げっ。マジだったら洒落にならねぇな」
聞くんじゃなかったと後悔し始めている俺の心中を知ってか知らずか、ココは続きを静かに話し続ける。
「魔術書の事故は一冊でおさまらず、他の本にも飛び火して大きな被害を出しました。事故を起こした方も、それは酷い亡くなり方を……」
つい数分前に仕舞った本は、開けたら燃える仕掛けが施されていた。あれが発動したら、怪談を簡単に再現できてしまうだろう。
「部屋は改築され、事故の痕跡は綺麗になくなったそうですが、亡くなられた方の魂は今もこの書庫を彷徨い、訪れる者に嘆きの声をかけるのだそうですよ」
……助けて。熱い、苦しい。どうして私がこんな目に? もう嫌、誰か解放して……。
「わー、やめろっ! その話はまた今度明るいところで聞くからっ!」
最後の一冊を棚におさめ、この場からとっとと退散しようと提案して、ココの凍りついたような表情に気付いた。
「おい、自分で話してて怖くなったとか言うなよ?」
「ち、違います。今の声……」
ふるふると首を振りながら、何かに怯え、震える声を絞り出す。
「『助けて』って声、わ、私じゃないです」
「へっ?」
何を言ってるのだか分からない。
あちこちで魔術が発動するこの部屋では、簡単に人の出入りを知ることが可能だ。でも今の今まで何も感じなかった。すなわち、室内にいるのは100%俺とココの二人だけ。
なのに、俺でもココでもない誰かが声を発した?
「じゃあ、じゃあ……」
なんだそれ。や、やばくね? ぶわっと肌が粟立つのを感じた。先を口にしたら終わりの気がして、慌てて手で塞ぐ。反対の手でココの手を掴んで、膠着状態から解き放つと、振り向きもせず扉へ走り込んだ。
「ひいっ、師匠の馬鹿野郎っ、悪霊退治の呪文くらい教えておいてくれぇっ!」
《終》
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