第5話 命がけの攻防・前編

「おーい、朝だぞー、起きろー」


 俺はドンドンと扉を叩きながら声を張った。誰の部屋かって? キーマのである。

 言いそびれていたが、助手にもなると各々に個室が与えられる。ずーっと相部屋生活だった俺達も、とうとう別室住まいになったわけだ。……隣同士だけど。ちなみにココは真上の階である。


 使えるスペースも当然広くなる。荷物も増えるから単純に倍ってわけにはいかなくても、のびのびした気分にはなれる。ところが、かわりに起きた問題もあった。


「いい加減起きろつってんだろ、この爆睡魔王がっ!」


 それはキーマの朝の弱さだ。体格や剣技などは成長しても、この欠点だけはちっとも直らず、未だに隣部屋の俺が起こしてやらなければならなかった。

 そう、たとえシフトの関係でこちらがゆっくり寝ていられる日であろうともだ。


「こんなことなら相部屋の方が何倍もマシだったぜ」


 その恐ろしい事実に気付いたのは引っ越した翌朝だ。ただでさえ面倒くさい作業に、「扉」という物理的障害が増えてしまい、愕然としたものだった。


「こらー、キーマー! 早く起きないと扉をぶち壊すぞー!」


 耳元で叫んでもピクリともしない馬鹿が、扉を殴りつけて起きるなら苦労はしない。ココは俺の部屋を開けてしまうわけだけれど、あれは夜の訓練の時限定で師匠が許可しているだけで、勝手にやると処罰の対象になる。

 まして、本当に扉を破壊するわけにもいかない。結局、しばらくの間は白旗あげての降参しかなかった。この流れ、超既視感。


「うわ、遅刻っ! どうして起こしてくれなかったのさ」

「だから毎日毎日全力で起こしてるっつーの!」


 給料も増えたのだし、誰か専属の人間でも雇えば良いんじゃないだろうか。数日間そんなやりとりが続いて、起こそうと気張る俺も、その甲斐もなく遅刻ばかりのキーマもストレスをためていった。



「ヤルン……」


 ともかく、互いのイライラが頂点に達したある日の夕暮れ、仕事を終えて自室に帰ろうとしたところで、ふいにキーマに呼び止められた。「お疲れー」なんて空気じゃないのは、纏う雰囲気で解る。


「何だよ」


 多少叱られたってのらりくらりが基本のキーマから、黒いオーラが立ち昇っていた。


「なんで? 怒られてるのがそんなに面白い?」


 うわ、酷い言いがかりだな。おい、お互いのついてる教官やスケジュールが違うから、怒られている瞬間なんて見ようがないだろ? 幻覚でも見たか?

 酔いや疲労、睡眠不足ならともかく、寝すぎて被害妄想を膨らませる人間は初めて見たぞ。


「毎日起こしてるって何度言えば分かるんだよ。いい加減、自分で起きろ」


 正論をぶつけてみると、目が一層剣呑さを増す。


「起きられないから頼んでるんだよ。代わりに剣を使わせてあげるって約束は守ってるつもりだけど。なに? もう飽きた?」


 こいつにしちゃあ、珍し過ぎるくらいにストレートだ。怒りで深く思考するのが面倒になっているようだな。

 確かに約束を果たせていないから、ここのところ剣は借りていなかった。木刀の素振りじゃやる気もイマイチ上がらなくて、ストレスに拍車をかけてくる。そこを貶され、カチンとくるのは仕方ないってもんだろう。


「こっちの苦労も知らないで、よくもそんなことが言えるな」


 こいつの寝坊にまつわる逸話は、兵士の間では今や語り草だ。ジャッジを頼めば誰だって俺の味方をしてくれただろうが、今は逆効果だろうな。

 なら、やるべきことは決まっている。言って通じないヤツは、まずぶん殴って目を覚まさせる!


「おら、来いよ。寝坊助大魔神!」


 キーマが目を剥いた瞬間、俺は通路から外へと駆け出した。背丈が頭一つ分高いキーマは、当然リーチも長く、素早さも同年代の中で群を抜く。狭い場所での接近戦は不利と悟り、表へ誘い出した。


「待ちなよ。まだ話は終わってないよね!?」


 後ろから足音が追いかけてくるのを耳にして、ヤツが本当に正気を失っていることを確信する。

 普段のキーマなら、安っぽい挑発は笑って受け流すだけに留まらず、後々まで笑いのネタにするのが常道だ。まったく、何もかもが「らしく」ない。


「疲れてるのに、何が悲しくて全速力で走らなきゃならないんだよ!」


 瞬き始めた星と、草の匂いを含んだ冷ややかな風が、夜が近いことを知らせている。今日も師匠に散々こき使われまくってこっちは疲労困憊だ。何事もなければ夕食でも取っている時間である。


 他の兵士や使用人達が不審に思って視線を投げてくるも、声をかける者はなく、揃って顔を引き攣らせていく。俺じゃない、キーマを見ての反応だ。お前ら何を見た? 振り返りたくないんだけど!


「うー、けど、止めるしかないかっ」


 呟いて、覚悟を決めなおす。足には多少の自信があるが、追手はバーサーカーだ。迫る気配も、容赦なく距離を詰めてきつつあった。逃げ続けたって掴まるのは時間の問題だろう。

 なら、無駄に体力を消耗する方がアホらしい。ちょっとずつ練り続けてきた術の完成と、ぽっかり開けた訓練広場への到着とは、ほぼ同時だった。


『――這い寄り出でて、自由を奪う鎖となれ!』


 振り返りざまに最後の呪文を口から吐き出すと、それに応えてキーマの足元から草の蔓が無数にわきあがる。


「!?」


 キーマもさすがに足を止め、どんどんと絡み付いてくるそれらを必死に薙ぎ払おうとするも、腕や足を動かすほどに蔓は余計に絡まってしまう。

 数秒間は無駄な抵抗を続けていたキーマも、終いには諦め、動くのをやめた。……ふぅ。


「やっとこれで話が出来る」


 束縛系の術は良く言えば奥深い。基礎系統を幅広く覚えていることが前提で、習得を投げる魔導士もいる分野だ。敵を動けなくするなら、吹っ飛ばした方が手っ取り早いせいもある。


 使えるようになればバリエーションは豊富で面白いのだが、「強度があって、且つ相手を傷つけなくて済む」となると、選択肢が減るのが難点か。きっと、先駆者たるいにしえの魔導師達の趣味の産物に違いない。

 いや、今はそんな解説はどうでも良い。まずは一発殴ろうか。


「……げっ!」


 疲労を訴える体に鞭打つ俺の前に広がっていた光景は、想像の域を超えていた。ざんっという無機質な音。一歩も動かず、蔓を乱雑に切り刻む刃物の饗宴。


「……ふんっ」


 おいおいおいおい。目が赤い! 血走ってる! 帯剣してないと思ったらナイフなんて隠し持ってたのか。蔓じゃなくて本物の鎖にしておけば良かった!


「つ、詰んでない?」


 ものの数振りで戒めを解き放った猛獣は、口角を笑みの形に持ち上げてみせた。はい、捕まえるなんて緩い選択、最初っからありませんでした。


「ヤールーン~?」

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