第4話 裏の世界・前編

 その日は、ぽっかり出来た陽だまりみたいに暖かい日だった。眠っていた木や虫が、勘違いして目を覚ますような、そんな日だ。


「むむむむむ」


 けれど俺は浮かれた連中に混ざって陽気さを楽しむ余裕などなく、町をせかせかと歩き回っていた。理由は師匠に頼まれたお使いだ。と言っても、買い物自体は別に珍しくもない。問題はアホみたいな量だった。


「なんなんだよ、今日の品数。嫌がらせか……!?」


 すでに両手は買い込んだ箱や袋で塞がれ、視界が物で埋められそうな高さに達しつつある。買い物自体も一軒で終わらず、それらを抱えたまま右へ左へとフラフラしなきゃならなかった。

 やむを得ず魔術で重さを操作している程で、いっそ浮かせて運ぼうかとも思う。うーん、でもアレやると時々曲芸師に間違われるんだよな。


「もう研究室まで吹っ飛ばすか? 割れ物以外だけでも」


 と考え、頭を横に振った。実は、城には結界が張り巡らされているのだ。勤めている魔導師達が交代で定期的に張りなおすそれは、大抵のものは弾き返す。そう、魔術で送ろうとする荷物もだ。


「ちぇー、こういう時は不便だよな」


 かく言う俺にも、助手になってからは時々その担当が回ってくるようになったから、結界の特性は把握済みだ。本気で立ち向かえば打ち破れるはず。試したら絶対に査問会行きだろうけどな!


「こんなことなら、師匠に研究室への直通ゲートでも開いて貰うよう交渉しておけばよかったぜ」


 あのじいさんのことだ、抜け道は絶対作ってあるはず。


「おらっ、どうした! もうおしまいか!?」


 雑踏の中、仕方なく次の店へ足を向けた俺の耳に、その怒声は飛び込んできた。見れば、薄汚れた狭い路地の方から聞こえてきているようだ。普通の人間なら覗くのも躊躇う、裏の世界への入り口である。

 その手前はワルガキの巣で、奥は本当にヤバい奴らの棲家だ。


「喧嘩か?」


 路地はまだ「入り口」だから、運悪く迷い込んでもカツアゲ程度で帰して貰える。なんで分かるのかというと、ガキの頃に好奇心で入り込んだことがあるからだ。


 そこにあったのは、日の当たる場所でどれくらいイキがろうとも、所詮は表の世界での話に過ぎないという厳然たる事実だった。あの時はまだチビだったから、「頭を撫でられ」て外へ放り出されただけで済んだ。


 どがっ、という何かを蹴り飛ばす音に、回想から引き戻される。そうっと目を凝らすと、暗がりの中には数人の人影があり、その下で体を丸め、されるがままになっている誰かが見えた。

 表の人間がうっかり引きずり込まれたか、それとも裏の奴等の縄張り争いか?


「どうすっかな」


 後者なら完全に無視だ。生きる世界の違う者が、事情も知らずに首を突っ込む場面じゃない。前者だったら、これもまた悩みどころだ。

 連中も馬鹿じゃない。多分、放っておいても「人生の勉強をした」程度で終わるはずで、下手に引っ掻き回すと迷惑をかける。うーん。……ところが、そんな悩みはあっさりと解消してしまった。


「おい、お前。何見てんだよ」


 あちゃー、暴行を加えていた連中の一人に見つかっちまったか。気付かず体を乗り出し過ぎたらしい。山ほどの荷物を抱えながらガン見してりゃあ、そうなるわなぁ。


「え、いやぁ。声が聞こえたから、何してるのかなーと思って?」


 ついでに付け加えると、俺は私服である。兵士服だと身元が一発でバレて、余計に面倒くさいことになっただろうから、ラッキーかもしれない。


「いぃや? 別に何もしてねぇぜ?」


 声をかけてきた男が、ゆっくりと姿を現す。

 デカい。裏の世界を生き抜いてきたであろう巨体が放つ威圧感だけで、大抵の相手は白旗を上げるに違いない。あの丸太みたいな腕で殴られたら頭が吹き飛びそうだ。


 あとは剃りあがった頭と、山を思わせる体に相応しいギラギラした相貌。そこまで野性味を演出しなくても良いんじゃないか?


「よう、兄ちゃん。その重そうな荷物はなんだ? 軽くするのを手伝ってやろうか」


 直訳すると「寄越せ」だろう。三文字で済むのに、遠回しな言い方が好きな奴だな。


「あはは」


 俺は半笑いで1・2歩、後ずさった。

 他の連中もターゲットをこちらに変えたらしく、一人、また一人と近づいてくる。ひょろっちいのもいれば、俺より年下っぽいのもいる。皆一様に「何をしてでも生き抜いてやる」という欲望が宿った瞳をしていた。


「いえいえ、お手を煩わせるほどのものじゃありません」


 逡巡し、やはり「面倒事に巻き込まれたくない一般人」を演じることに決める。ブッ倒しても問題なさそうな手合いだが、両手は先に述べた通り荷物が満載だ。それに、無暗に町で魔術を使うと叱られかねない。


「そう遠慮するなよ。ここで会ったのも何かの縁だろ?」


 すでに荷物の重さを操作しているじゃないかとツッコまれそうだが、補助と攻撃では扱いはまるで別物になる。

 万が一にも誰かに怪我をさせたりすれば、補助なら1枚で済む始末書が、攻撃だとそれこそ査問会にかけられてしまうことも有り得るってくらい、違うのだ。


「もう帰るところですから。お騒がせして申し訳ありませんね」


 へらへらと言いながら、ちらりと視線を外す。今や元・ターゲットとなった人間はぐったりとしてはいるけれど、呼吸は大丈夫そうだ。この隙にさっさと逃げてくれないだろうか。

 こっちはこうしている間にも、教官連にこぞって叱られるという恐ろしい妄想がずっと纏わりついてるんだぞ。お前、あの怖さ知らないだろ!


「悪いって思うなら、詫びの一つも入れるってのが筋じゃねぇのか?」


 この場合の「詫び」は謝罪の言葉じゃない。巨漢の仲間が提案をすると、取り巻きも「そうだそうだ」と囃し立てた。うん、やっとチンピラらしくなってきたな。


「すみません。お邪魔してしまって」


 頭を下げ、胸の内で自問する。荷物の幾つかをあげて退散、だけは絶対に駄目だ。向こうも納得しないだろうし、中身も魔術関係のヤバいものだらけ。盗られたとあっては、師匠の顔に泥を塗ってしまう。

 あの顔を本気で凹ませたくなる瞬間が、無数に存在するのは置いといて。


「どうした、腹の具合でも悪いのか?」


 俯いたままの俺に連中が訝しがり始めたので、仕方なくもう一度「あはは」と笑って間を稼ぐ。やはり、補助系魔術を使って逃走が現実的か?

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