第6部 魔導師の助手編

第6部・第1話 開かれた扉

 開け放たれた窓際に置かれた植木鉢に咲く、小さな桃色の花が風に揺れている。数日前にココが飾ったその花は、長持ちする魔術でもかけられているのか、今日もしおれる気配がない。


「おかしいなー」


 椅子に腰かけてぼんやりと眺めながら、俺は首を捻った。いつまで咲き続けるんだろう? なんて内容じゃない。もっとずっと深淵なテーマについてだ。

 人生、何が起こるか分からない。どう転ぶかは神のみぞ知る、などとは良く言ったものでる。


「転ばされる側はたまったもんじゃねぇっての。はぁ」



 俺はヤルン。生まれは大陸の西の隅に位置するユニラテラ王国。隣国との国境沿いにあるスウェルという田舎町で育った商家の次男坊で、12歳になったのを契機に兵士となった。

 ガキの頃から描いていた未来図は剣士として名を上げ、ゆくゆくは騎士団の一員になって大活躍。後世に語り継がれるような騎士になること!


 ところが、蓋を開けてみればスタートから盛大につまづく羽目になった。適性検査で魔力があると判明し、「魔導兵士見習い」にされてしまったのだ。

 あとは分厚い魔導書を持たされ、魔術を叩き込まれ。色々あって、隣国ファタリアの王都ではなんと騎士団の副団長に将来有望だと認められるまでになった。……あれ、こう振り返ってみると結構凄いかも?


「なに黄昏たそがれてんの? あ、もしかして青春してるとか?」

「それ以上何か言ったら電撃喰らわすからな」

「酷っ」


 遠慮のない声に、俺は振り返らずに返す。向こうも慣れたもので、笑い混じりに受け流してくる。溜息をついてようやく首を向けると、入り口には予想を裏切らない顔があった。


 ほぼ毎日聞き続けてきたキーマの声は、いつの間にか声変わりを終えていて、痩身なのはそのまま、筋肉の締まりと元から高かった背が更に一回り伸びた気がした。ちっ。


「ちょ、何、今の舌打ちは。不条理を感じたんだけど?」


 いや別にー? この着痩せ筋肉野郎とか思ってないよ。その背丈、魔術で夜中にこっそりゴリゴリ削ってやろうかとか露ほども思ってないよ。


「口からダダ漏れしてる! 全然冗談に聞こえないからっ!」


 おや、どうやら全部喋っていたみたいだ。ほら、俺って純粋な正直者だからさー。


「……」

「そんなジト目で見るんじゃねぇよ」


 うそぶくこっちもそれなりに声が低くなったようには思うが、鏡を見る度に顔付きも背丈も未だに子どもっぽさが抜けていない事実を突きつけられて、凹む毎日を送っている。


「つうかさ、神様って残酷だよなー」

「どの辺が?」

「要らないものは惜しげもなくくれておいて、本人が心の底から望ものはいつも他人にあげちまうところ」

「あー、まぁ、そうかも」


 それも憎めない相手に、なのだから嫌になる。となれば、妬みは気合いへと昇華させるしかない。じゃなきゃ今頃、自棄やけを起こして大暴れしているところだ。


「んで、何か用か?」


 どうせしょーもない内容だろうとタカをくくって問いかけたら、応えはコショウを口にねじ込まれたみたいな一撃だった。


「ん、あぁ。オルティリト師に呼んで来いって頼まれてたんだっけ。忘れてた」

「それを早く言えっ!」


 がたがたっと椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、壁にかけていたローブを引っ掴んで飛び出す。すれ違いざま、キーマにヘッドロックを仕掛けようとしてかわされた――のは陽動で、本命は手のひらに生みだした雷撃だった。


「痛~っ!」


 ばちばちっという爆ぜる音とキーマの叫びが通路に響く。様々な系統の魔術を習得した中で、雷はある意味とても便利だと気付いたのはいつだったか。


「伝言忘れた罰だー!」


 相手に直に触れなくても、空気を伝って飛んで行ってくれる上、見えないように細工するのも簡単で、扱いさえ間違えなければ火や水みたいに場を汚さずに済むのだ。最高だろ?

 まぁ、覚えたての頃は加減を間違えて、集団感電をやらかして師匠にこっぴどく叱られたけどな。そんな些細なことは日常茶飯事なので忘れたことにする。


「ヤルンんー!」


 痺れに全身をやられたキーマの怒りは、数秒の間辺りを満たしていた。


「はいはーい、ちょっと通るぜっ! どいてどいて、緊急事態なんだってば!」


 言いながら、廊下を行き来する人込みの流れを読んですり抜ける。気付いた者は短く悲鳴を上げながら避け、気付かなかった者は過ぎたあとで「風か?」とか間抜け面で言いながらキョロキョロしている。


 緊急事態ってのは嘘じゃない。師匠の「常識人で自由人」としか言いようのない性格は何年経っても変わらず、自分で呼びつけておいて「遅い」と怒るっつー自分勝手さも以下略だ。



 しかもそういう時に限って、怒り方がガキみたいだから手に負えない。この前なんて、頼まれたお使いの品の銘柄をちょっと間違えただけで、開発したばかりだという新薬の実験台にされかけた。


『魔力の有無を図る薬の改良版じゃ。飲め』


 あの時は腹黒い笑みに背筋が凍りついた。その薬は俺が昔、適性試験の時に飲まされたやつの改良版だったのだ。

 小瓶に入った透明な液体は、魔力のない者にはただの水と同じだが、素養のある人間が飲むと体に異常を来し、その強弱で魔力の保有量を知らせる。


 眩暈めまいや軽い痛み、なんて生易しいものじゃない。持って生まれた魔力が強ければ強いほど反応も比例し、水を劇薬と化すのだ。


『っざけんな! 俺はまだ死にたくないっ。そんなに試したけりゃ、自分で飲めばいいじゃねぇか!』


 俺は悲しいことにそれなりの魔力の持ち主だったせいで、あの時は全身焼かれて死ぬかと思うほどの苦痛を味わった。思い出すだけで汗が噴き出しそうになる。

 その改良版なぞ飲んだ日には、今度こそあの世からお迎えが来ちまうだろう。誰が飲むかそんな猛毒!


『馬鹿じゃのう。自分で飲んだら観察出来ぬではないか』

『じゃあ俺がつぶさに観察して報告してやるよっ』

『我が目で見たものにこそ、最も価値があるでな』


 だー! あぁ言えばこう言う、つくづく口の減らないジジイだぜ。


『誰が口が減らないじゃと?』

『だから人のモノローグを読むなっ! じゃなくて、せめて、もっと魔力が低い人間で試してからにしろって言ってんです!』


 どうやらこちらが冷静になってくると、向こうも耳を傾けようという気になってきたらしく、髭を撫でつけながら思案顔になる。


『そうじゃのう。まずは低い者から試して、少しずつ高めの人間に移行していくのも、悪くない考えじゃ』

『でしょう?』


 あの時は「そうじゃな」と納得してくれたおかげで、俺はお花畑に旅立たずに済んだ。ちなみにどこを改良したのか問うたら、師匠はにやりと再び笑った。


『初心者に飲ませる際、無味無臭なのが胡散臭いと前から意見が挙がっておってのう。フルーティにしてみたのじゃ。これで若者にも飲みやすくなったわけじゃな』

『って、味かよ! 真っ先に改良するの、そこじゃねぇだろ!』


 渾身のツッコミが口から迸った。



「いや、そんな回想はどうでも良いんだよ」


 今は別の危機にさらされている真っ最中なのだから。不必要極まる黒歴史を頭から振り払ったところで、俺は目的地に辿り着いた。

 ざわざわとした喧騒から離れた一角、通路の途中の扉には、「教官室」の文字版がやや斜めにかかっている。


「はぁ、着いた。今日はちゃんと間に合っててくれよ?」


 誰かに聞いたわけでもないが、この雑然とした感じは、兵士しか訪れない区域に貴族の屋敷のような整った美しさは要らない、という意思表示なのだろうと思う。


「……よし」


 ぐっと息を詰め、その戸を軽くノックしてから開き、俺は一息に言った。


「失礼します! オルティリト教官第一助手・ヤルン、来ました」


《終》

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