第8話 春の嵐と捕物帳・後編
「来い」
「や、やめてっ」
男が女性に手を伸ばした。囲まれては分が悪いと、彼女を人質にしようと考えたに違いない。けれど、言うことを聞いて逃がした先で、彼女がどんな酷い目に遭わされるか。
そう思ったら、もう我慢などどうでも良くなってしまった。
『受け止める者、世の全ての受け皿となりし者』
怒りを通り越した頭が冴え冴えとする。なんだろう、この絶妙にキレた感じ。瞬間的な激情とは違う。底冷えがするような怒りだ。
「な、お前っ、魔導士か!」
間近でぶつぶつと呪文を唱え始めた俺に、犯人の男が驚いて動きが一瞬止まる。その一瞬が命取りになるとも知らずに。
「やめろっ、この女が――」
『我が敵をもその
脅し終わる前にあっさりと魔術は完成した。制御? 知らねぇ。今は一切出来そうにない。とにかくコイツを早くシバき回さないと気が済まない。
「あ、ぎゃ、ぎゃあああっ!」
ずどどどっ! 男にだけ凄まじい負荷がかかり、足から地面に崩れ落ちる。それでも重力はそいつを押し潰し続けた。びしり、と地面にヒビが入る。
「う、うぅ。た、助け……っ」
「や、ヤルン、やり過ぎだ! 力を抑えてっ!!」
清々しいまでのキレっぷりに、キーマが俺の腕を掴んでストップをかけてきた。その感触にやっと、「あ、死んでしまうかも」と思った。感情に理性という名のブレーキがかかり、それに合わせて術も消え失せる。
「……さんきゅ。うあ、しんど」
滅茶苦茶に解放したからか、少し頭がくらくらする。
そのまま周りに目を遣ると、潰されて呻く男と、すぐ近くでガタガタ震えながら俺を凝視する女性がいた。そして、彼女と同じような目でこちらを見る兵士達がいて、またやり過ぎたかと溜息が出た。
「大丈夫? 無茶するからだよ。……あっ」
「ん、どうかしたか? ……わっ」
言葉を切ったキーマの目線を追い、俺もようやく「それ」に気付く。
「ヤルンさん。もう終わりですか?」
「ココ……?」
居並ぶ兵士を掻き分け、後ろで待機していたココが近づいてくる。凄まじい魔力を全身に纏った状態で、虚ろな瞳をしながら。
「だ、大丈夫か?」
「何がですか?」
彼女はすっと腕を前に出し、滑らかに呪を紡ぎ始めた。キレている時の自分って、あんな感じなんだな。つうか、犯人は完全に終わりだな。
最終的に凶悪犯は全身打撲と数か所の骨折、という状態で捕まった。それで済んだのは腕輪で魔力が抑えられていたからだ。
我に返った俺とココが治療しようとしたのだが、物凄く痛いだろうに、激しく拒絶したまま担架で運ばれていった。
まぁ、死なれたら罰を受けさせられないし、誰かがなんとかするだろう。腕輪をしていなかったから魔導士登録もしていなかったみたいだし、余罪には事欠くまい。
予想だにしない幕切れだったからか、現実を受け止めきれていない様子の兵士長からは、「色々とあったが、おいおい伝える」という、フワッとしたお言葉を頂戴した。
「……私、あんなに取り乱すなんて、恥ずかしいです」
路地の隅っこで、ココが座り込んで落ち込んでいた。今にも泣いてしまいそうだ。俺はそんな彼女を見下ろし、魔力の明かりで柔らかく照らしながら、キーマと一緒に慰めようと努める。
「何言ってんだよ。あんなの怒って当然だろー。俺だってマジでブチ切れたぜ?」
「ヤルンはキレ過ぎだけどね。今回は特に極まってたし。多分、また始末書直行コースだろうねぇ」
「げっ、嘘だよな!?」
「なんでそこで嘘だって思うのかが謎だよ……」
「でもさ、今回はココも一緒だろ?」
「し、始末書……!」
笑わせようと放った一言が最後の一押しとなってしまい、ココはぽろぽろと泣き始めてしまった。優等生の彼女には辛かったらしい。見事なまでの玉砕である。
結論から言うと、始末書は書かされたが、それ以外のお咎めはなかった。犯人は捕まり、仲間の怪我も大したことがなかったからだ。
『そこまでせんでも、眠らせれば済んだ話じゃろう』
師匠には薄い目を向けられた。それはそうかもしれないけれど、相手が魔導士では術が効かない恐れもあったし、何より俺自身がそんなぬるい手では許せなかった。
『罰するのはお主の役目ではないぞ』
正論を言われると、俯く他ない。隣でココも盛大に凹んでいた。よっぽど己の行動がショックだったのだろう。精神のコントロールについてもっと学ぶのだと、決意を新たにしていた。
そして今、俺達は代休を貰って食堂に来ていた。一応は休ませるつもりがあったみたいだ。ただ、昨日の今日だから、どこかに出かけようという気にはなれない。
「はー、つまんねー」
四人掛けのテーブルに突っ伏し、呟く。休みは有難いけれど、実はここ最近は時間を持て余し気味だったのだ。やりたいことや、やるべきことを一通り終わらせてしまい、今後どうするか悩んでいた。
「ヤルンてば、最近いっつも『面白いものないかなぁ』ってカオしてるよね」
「う……。いや、分かってんだけどよ」
そりゃあ、毎日の訓練の大事さは分かっている。熟練の技は一朝一夕で成るものではなく、そこから新しいものが生まれることもある。なんて、師匠の受け売りだ。
「でも、正直退屈なんだよな」
繰り返しの毎日が、自分の中の何かを殺すような気がする。新しいことや面白いことをもっと知りたい。知って、吸収して、もっと強くなりたい。そう思うことはいけないことか? 悪いことか?
自分の腕を上げてそこに嵌った腕輪に視線を落とすと、赤い宝石が毒々しく輝いた。……前より濃くなっている気がする。
「ヤルンらしいね」
キーマは肯定も否定もせず、淡々と応えた。そのスタンスが時に心地よいと気付いたのは、一体どれくらい前なのだろう。逆にイラつく時も多いけれど。
「
「は? 相談?」
人差し指を立てたココの提案に、俺はぽかんと口を開けた。毎日が退屈→新しいことをしたい→師匠に相談。うーん、どうだろう?
「師匠ならアイデアを出してくれそうではあるけど」
「ご相談の際は、ぜひ私もご一緒に!」
「あぁ、じゃあ便乗するかなぁ」
ちょっと待て。お前らなんでそんなに乗り気なんだよ。俺は師匠に相談なんかしねぇぞ。危険過ぎるだろうが。
『ええー』
「絶対しないからな!」
食堂に俺の叫びが木霊する中、鼻先を音もなく薄桃色の花びらが掠めた。怒りを鎮めようとしてか、はたまた何もかもを承知の上で誘ってでもいるのか。そう思った瞬間、唐突に腑に落ちた。
「……なるほど。これが『酒でも飲まなきゃやってられない』ってやつか」
《終》
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