第8話 春の嵐と捕物帳・中編
宵闇の中、作戦は決行された。
「奴が中にいるのは確認済みだ。合図があるまで各自、所定の位置で待機しろ」
「はっ」
軽装の若い兵士長に指示されるまま、俺達は建物の影に身を潜めた。今夜は月も細く、灯り無しでは足元も覚束ないほどだ。
と言っても、ファタリア兵にとっては目を瞑っても歩ける庭みたいなものだろうし、俺やココは感覚を鋭敏にする術で昼と同じように見えている。キーマ? こいつのことだから、自分でなんとかするだろ。
「……」
酒場「飛魚」は静かだった昼間とは打って変わって大いに賑わっているようだった。灯りと共に酔っぱらい達の声や陽気な歌が漏れ聞こえてくる。
ただし、兵の配置後は通りをうろつく民間人を巻き込まないよう、別働隊が密かに追い返していた。新しい客の入りがなければと不審がられるので、兵士の何人かが時間をずらし、客を装って入店する。
もちろん俺達三人は外での待機組だ。夜の酒場にいたら追い出されるか、最悪の場合通報されちまうからな。
「この作戦、うまくいくのかよ」
「いかせるしかないだろうね」
今回の指揮を執る兵士長の立てた作戦は実にシンプルだ。女性兵士が二人で店に入り、犯人の視界に入る席に座ってひとしきり飲んでから出てくる。
犯人のこれまでの行動からして、酔った女は格好の獲物のはずだ。まんまと凶悪犯が後を追って店を出て来れば取り押さえ、もしも引っかからずに店に留まれば一斉に乗り込むのだ。
この時点ですでに囮役は潜入しており、俺達はじりじりと待たされているという状況だった。
「犯人が分かってるのに、なんですぐに捕まえないんだ?」
ルイーズに聞きそびれた疑問を口にすると、ココが「恐らく、証拠が弱いのでしょうね」と予想し、眉をひそめる。
「暗い道で女性を後ろから襲うという手口では、犯人の顔が確認出来ません。荷物だけが目的ならまだしも、暴力を振るうような人間ですから」
被害にあった女性を思ってか、彼女はきゅっと口を引き絞った。そうか、殴られたり蹴られたりしたら顔なんて上げられない、というわけだ。マジで屑野郎だな。
「ああもう、はらわたが煮えくり返るっ!」
「ちょ、ちょっと。落ち着こう? 作戦中だよ。あくまで冷静に」
「分かってる。分かってるけど!」
「私も犯人が許せません!」
「ええっ、ココまで? 二人とも、犯人の前にこっちを吹き飛ばさないでよ!?」
俺とココは怒りで赤い顔をしているが、間に挟まれたキーマの顔は対照的に青かった。冷静でいなきゃいけないのは分かっていても、胸元で固く結ばれたココの両手を見ていると、耐え難い気持ちになる。
一刻も早く事件を解決しなければ……!
「見ろ!」
小一時間ほど経過した頃だろうか。事態は動きを見せた。キィと音を立てて戸が開き、二人の女性が出てきたのだ。
時折ふらりと体が揺れるところは、酔いを醒まそうと夜風に当たりに来た風に見える。彼女こそが囮役の兵士であり、周囲には一瞬にして緊張が走った。
「それじゃあ、ここで」
「ええ、またね」
二人は店の角で別れた。そのまま一人は大通りへ向かい、もう一人は人気のない路地へと歩いていく。一人きりの方が、犯人の食いつく確率が上がると予測されたためだ。
「……っ」
無意識に息を呑む。標的は罠にかかるだろうか? ピリリとした空気の中では、心音はおろか呼吸さえ煩わしく感じられる。そうして二度吸って吐いた時、黒い人影が店からゆらりと現れた。
そいつは30代の半ばくらいに見えた。髪を無造作に伸ばし、くたびれた濃紺のコートを着て、そのポケットに両手を突っ込みながら猫背で歩いている。
「あれが犯人か?」
「どうだろう。……あ、見て、男の後ろ」
コートの男の後で店から出てきたのは二人連れの男達だった。見た瞬間はっとする。彼らが客のふりをして潜入していた兵士だったからだ。
そのうちの片方が、物陰に隠れて様子を窺っていた兵士長に視線を送り、こくりと頷く。
「ビンゴだな」
「はい」
あいつが強盗事件の犯人か。くそっ、卑怯なことしやがって。絶対に捕まえてやるからな! 闘志を燃やすこちらをよそに、コート野郎は囮役の女性を追うように路地へ向かった。
「全員、気付かれないように注意しろ」
「はっ」
兵士長の命令が下り、俺達は息を潜めて物陰から出た。同じく取り押さえ役に選出された兵士が数人、姿を現す。犯人が曲がった角に待機する潜入員の後ろに追い付き、そうっとから奥を覗き見ようとした時だった。
「きゃああっ! 誰かぁっ!」
鋭い女性の悲鳴が響き渡った。囮を務めた女性兵士が上げたものだとすぐに理解し、隠れるのを止めて路地に走り込む。
「離せっ、このっ!」
そこには体を縮めて手荷物を抱え込もうとする女性と、その女性の長い髪を引っ掴んで荷物を奪おうとするコートの男がいた。想像以上に抵抗されて苛立ったのか、片足を振り上げて蹴り飛ばそうとしている。
「やめろっ!」
「大人しく縄につけ!」
兵士の一人が怒声を上げて飛びかかり、別の兵士も男を引き剥がそうとする。コート野郎の力がどれだけ強くても、鍛えられた兵士達に敵うはずがない。
こうなると、俺達の役目はもしもの時に備えて退路を塞ぐことだった。手前をココ達に任せ、俺はもみ合っている彼らの脇を抜けて向こう側へ移動しようとして。
「なっ」
兵士達が吹き飛ばされるという、有り得ない光景を目の当たりにした。
「うッ」
「ぐあっ」
どどっ! 路地の両脇は石積みの壁になっており、二人は思い切り叩き付けられて呻き声を漏らした。今のは普通の飛ばされ方じゃないぞ。まるで突風にでも煽られたみたいだった。まさか。
「魔術……!?」
想定外の事態に体が強張る。それは俺だけじゃなく、悲鳴を聞き付けて集まってきた仲間の全員が硬い表情で足を止めていた。
コートの男は、面倒になったのか女性を放ってこちらを振り返る。その手には確かに魔導書があった。ポケットに忍ばせていたのだろう。
「馬鹿な」
兵士長が苦虫を噛み潰す。やはり誰も、犯人が魔術の使い手だとは考えなかったようだ。彼の反応から、これまでの被害者からは証言も痕跡も発見されなかったことが窺えた。
「……俺だって、使いたくなかったさ。疲れるからな」
犯人が面倒臭そうに言う。その瞳はぎらついていて、言葉とは裏腹に魔術を使う気満々なのが分かる。対して、こちらは俺とココ以外は剣士ばかり。あまり良い状況ではない。
「放っておいてくれりゃあ、こんなもん出さずに済んだのによぅ」
「どうしてこんな真似をする」
「あ? ……金が欲しかったからだよ」
兵士長の問いに男が応えた。その理由が下らなすぎて胃がむかむかする。一度は抑えた怒りが魔力となって溢れてきそうだ。
「魔術が使えるなら、女性を襲わずとも金を稼ぐ方法は幾らでもあるだろう」
そうだ。魔力や魔術を活かせる仕事は色々ある。それに、てっとり早く稼ぎたいなら兵士になれば良いのだ。少なくとも食いっぱぐれる心配はなくなる。
「はっ、嫌だね。誰がンな面倒なことするかよ」
犯人は女性をちらりと見下ろす。彼女も兵士だ。本来は男を十分に引きつけた後で、後から合流した仲間と一緒に反撃に転じる予定だった。
でも今は怪物でも見るような目で男を見上げ、震えている。犯人が魔導師だからだ。暴力には抵抗出来ても、魔術という見えない武器を前には身が竦んでしまったのだろう。……怪物か、苛々する。
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