第8話 春の嵐と捕物帳・前編
ファタリアの冬将軍は猛威を振るった。雪はどんどん積もり、街を白一色の世界に呑みこんでしまう。その代わり、春の訪れは
支給された制服は袖口が短くなり、筋トレ用具かよとツッコみたくなるくらいに重かった魔導書も、なんだか軽く感じられる。
もちろん魔術も上達したはずだ。ファタリア王国の魔導師達が長年の時をかけて編み出した技や知識は、いちいち感動するほどに奥深いものばかりだった。
それらを片端から見て知って感じ取り、記し実践し吸収する毎日に明け暮れた。
「人間、やれば出来るもんだな」
時間が経つのは本当にあっという間で、最初はどれだけ時間があれば学びきれるのかと途方にくれていたが、気付けば一通りの訓練を終える頃になっていた。
そんなある日。陽気が暖かく、花の香りが眠気を誘う、気怠い午後のことだ。休暇だったために自室でのんびりしていると、急に師匠に呼び出された。
「あのじいさん、心底休ませる気ねぇのな」
「あはは、確かにね」
「何のご用でしょうか?」
そう思いながら屋内訓練場に行った俺とキーマ、ココの三人は、入った瞬間ぴたりと足を止めた。空気が外と明らかに違かったからだ。
見れば、がらんとした板張りの訓練場に、師匠とファタリア王国騎士団副長のルイーズという、違和感満載の二人が待っていた。
「何を突っ立っておる。早く入らんか」
「……失礼します」
おいおい、なんだこの濃いコンビは。俺らヤバくね? もしかして何か叱られる? 待て待て、何かしでかしたか? 最近は自分なりに大人しくしていたつもりなんだけど!?
ここまで来て今更悩んでも仕方ないことを考えつつ、俺達は恐る恐る大人達の前まで歩いて行く。
「あの、何かご用でしょうか」
問いかけてもすぐに返事はなかった。品定めする視線が一人ひとりに突き刺さる。
「やはりこの三人でしょうね」
口火を切ったのはルイーズだった。……なにが? なぁ何なのさ、怖いから早く教えてくれっ!
「凶悪犯の捕縛、ですか」
師匠の言葉をおうむ返ししながら、俺は説明された話を頭の中で整理していた。用件は実に簡潔で、ファタリア軍が追っている事件の犯人逮捕を手伝え、というものだった。
暖かくなると変な気を起こす人間が増えるらしく、犯罪件数が跳ね上がる。そのせいで兵士も騎士も多忙を極めていて人数が足りないというのが理由だ。ついでに俺達の経験にもなるだろう、とも言われた。
叱られなくて良かったー。もう始末書は見たくないぜ。あんなもの、書き慣れたら終わりだからな。
「それで、その犯人は一体どんな悪事を働いたのですか?」
キーマが問うと、返答は「強盗」だった。ルイーズが手元の資料にさっと目を走らせる。どうやらそこには被害者の名前が並んでいるようだった。
「もう何人も襲われています。それも女性ばかり」
ぐっと胸が詰まる。どこの誰だか知らないが、抵抗出来なさそうな相手を選んで襲うなんて、とんでもない奴だ。……いや、抵抗出来そうな相手でも襲ったら駄目だったな、うん。
ちらりとココを見ると、その顔は少し蒼ざめていた。キーマの方は無表情だったが、内心では色々と考えているようだ。
「では捜索を?」
「いえ、これまでの調べで居所は掴めています。逃げられないよう、包囲網に加わって欲しいのです」
成程、そういうことか。確かに、俺達では土地勘も甘くて捜査員には向かない。しかし、単に捕縛時の頭数が必要なだけであれば、お鉢が回ってくるのも頷ける。
「すでに重傷者が出ています。次に犯人が動けば、死者が出る恐れがあります」
ぞっとする話だ。万一犯人を取り逃がせば、街の人達を危険に晒すことになる。死者が出てしまえば軍やひいては国の威信に関わる大問題に発展するだろう。
「残念ながら、団長と私は他にも抱えている案件があるので出られません」
そこで師匠に相談したというわけか。んー、また何やら暗躍してるんだろうな、このじいさん。質問してもはぐらかされるだろうから放置するしかないが。
とにかく、こうして俺達は息詰まる現場へと駆り出されることとなった。
『まずは周囲の状況を確認して置け』
師匠に言われるまま、俺達は私服に着替えて街に繰り出した。はぁ、本当の休暇だったらもっと楽しいのになぁ。
「ココのスカ、むぐむぐ」
「それ以上言ったら殴るぞ」
馬鹿が馬鹿な発言をする前に口を押えて忠告する。
さっきからココが穿いている膝丈のスカートにちらちら目がいってしまっているのはキーマだけじゃないが、だからって本人の前で話題に出すやつがあるか!
「私がどうかしましたか?」
「なんでもない!」
冬に耐えていた分、春を迎えた街は活気づいている。バザーのテントが広がる様は色とりどりに咲く花畑みたいだ。雑多で、騒がしくて、そこがまた人の興味をひくのだった。
「あ、あそこだな」
現場は、薄暗い倉庫や森の奥を想像していたら全く違っていた。凶悪犯は、大胆にも街の大通りにある酒場を活動拠点にしているというのだ。
「豪胆だねぇ」
「自信過剰か馬鹿なんだろ」
「木を隠すなら森の中ですよ。堂々としていると、逆に怪しまれないとも言いますし」
目的の酒場はすぐに見つかった。城の目と鼻の先といって良い距離である。吊られた看板に書かれた名は「飛魚」。多分、酒場の主人が元船乗りだったり、海や魚が大好きだったりするのだろう。
昼間は軽食屋をやっているらしいが、外から中の様子は窺い知ることが出来ない。客足がピークになる昼食時間を過ぎているからか、喧噪も聞こえては来なかった。
「俺には縁のない場所だな」
その薄汚れた佇まいが、中年の男たちが毎夜集まってぶっ倒れるまで飲んで騒ぐ下卑た様を思わせる。
「ヤルンは禁酒禁煙貫くつもり?」
「騎士になろうってのに、酒や煙草にうつつを抜かすわけないだろ?」
大人の楽しみはどれも度が過ぎれば身を滅ぼすものばかりだ。
商人をしている親の教えも同じで、「良い商いをしたいなら飲ませても呑まれるな」だった。聞きようによっては「酒豪になれ」と言われているような気もするけれども。
「商人らしい実践的な教えだなぁ」
「ですが、騎士は主人からワインなどを頂く場面もありますよ。社交のためにも、お酒も嗜む程度には知っておいた方が良いのでは?」
「え、じゃあ少しは飲んだり調べといた方がいいのか……?」
騎士を輩出してきた家の出であるココに言われると、固かったはずの意思がぐらつく。ふむ、今のところ俺が仕える主人候補は傍若無人を地で行くあのお姫様だ。あの人、果実酒とか好きそうだなぁ。
「うっわ、酒癖悪そう」
「何のお話ですか?」
「断ったら『私の酒が飲めないって!?』とか言いそう……!」
「ヤルンー。げんなりしてないで妄想の世界から帰っておいでー」
長時間、店の前に突っ立ってじろじろと眺めまわすわけにはいかない。俺達はそんな他愛ない(?)話を交わしながら、くるりと辺りを一回りして地理を頭に叩き込み、早々に退散した。
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