第8話 熱風と読書

「やっぱ、でっかいなぁ」


 隣国での旅も佳境に入ったことを示すかのように、森を抜けると再び唐突に海が俺達を出迎える。しかも今回は海だけじゃない。眼前に広がるのは砂浜というより砂丘だった。


「水面がきらきら光って、きれいですね」

「魚もいそうだなぁ」


 山に訪れ初めていたはずの秋の気配も、まだ海にまでは届いていないらしい。照りつける太陽と湿った風に、体中が撫でつけられる。ざくりと地面を踏みしめるたび、靴に砂が入り込んでジャリジャリした。


 海岸線に沿って移動を続けていると、視界にあるのはどこまでも続く大海原と、だだっ広い砂の山々だけ。時折生えている妙な形の木や草の横を通り過ぎる以外は、人の気配などない黄色と青と白の世界だった。



「うへぇ、あっつ」


 日光を遮るもののない場所を延々と歩く。体の水分が急速に汗へ変わるのと一緒に、体力まで流れ出てしまうようだ。師匠も師範もそのことを良く心得ているのだろう。


「このあたりで一休みとするかのう」


 だいぶ進んで辿り着いた小さな木立の前で、休息を指示した。

 目印のない景色は雄大だが、気持ちを不安にさせる。背の高い木はそんな旅人をほっとさせ、休める影を提供してくれる。木々の合間には、潮風とは少しばかり違った匂いの空気が通っていた。


「はぁ、生き返る」


 休憩といっても、水分補給と共に足を休ませるだけだ。キーマとココと三人で同じ木の陰に陣取り、荷物袋の中から水筒を取り出してのどを潤した。乾きを覚えていれば、生ぬるくたって旨い。


「出発までの時間、何します?」


 そう聞いてきたココに、前の町で買った片手持ち出来る本を掲げて見せると、キーマが身を乗り出してきた。


「へぇ、何の本?」


 野営の準備時間ならともかく、ちょっとした休憩では体を動かさない方が良い。暇つぶしの道具がないなら、あとは仮眠を取るくらいだが、キーマの場合は仮眠が爆睡になるから全員から禁止を食らっていたりする。


「お前って本当に暇人だよな」

「うわ、ひっど」


 結果、寝てしまわないか見張る俺の方へ首を突っ込んでくるのだ。けれども、読むのは大抵魔術に関する書物。キーマにはほとんど理解出来ず、出来ても役に立たない知識ばかりである。

 無駄なことをわざわざ聞くヤツ、つまり暇人、という図式の完成だ。


「でもまぁ、今日はキーマも入れるだろ」

「ほんと? これ、もしかして物語?」


 厚みはそれほどでもない。開くと挿絵入りで空想の世界が展開する子ども向けの物語だと知って、キーマの目が点になった。

 無理もないか。俺がこういう類の本を読んでいるところを、見たことがなかっただろうから。案の定、平たい調子で「めずらしー」と言ってきた。


「まさか、兵士も騎士も諦めて、作家にでもなろうってんじゃあ」

「んなわけないだろ!」


 ゴッ! 容赦のない「本の角攻撃」がキーマのおでこにクリティカルヒットした。自分でもぞっとするような入り具合だ。


「~~~~! ほ、星が……」

「キーマさん、大丈夫ですか?」


 避けられるくせに避けなかった自分を棚に上げて半泣きするキーマを無視し、謝罪の代わりに「魔導士は訓練の一環で時々読むんだよ」と説明してやった。

 鈍い音にビックリしていたココも、傷は大したことがなさそうなのを見て安堵の表情を浮かべる。


「魔術はイメージが大事ですから。物語を読んで想像するのは良い訓練になるんですよ」

「痛て……。ふぅん、イメージかぁ。剣も次の攻撃を予測するのは大事だし、それと似たようなものかな」

「読む時に、自分が主人公だったらどうするか想像するのも、大事な視点の一つですね」


 ココとは同じ本を読んで議論することがある。全く対処法が異なる場合もあって結構面白い。場の収め方の方針から違うのだ。俺はとにかく吹っ飛ばせばいいと思っている節があると、その過程で気が付いた。


「物語の主人公ってどこか抜けてることが多いから、読んでるこっちはイライラさせられるけどな」


 未熟のくせにおごった考えをして失敗したり、大人の悪い思想にそそのかされたり。まぁ、その結果、事件が発展していくわけだが、どうしてもストレスが溜まる。


「だったら手練れが主役の話を読めば?」

「手練れねぇ」


 青年くらいの年齢の人物の目線で描かれ、注意深く事態を観察し、事件に対して効果的な方法を試行し、解決する類の話だ。ピンチに見舞われても安心して次のページをめくることが出来る。

 ただ、これはこれでイメージトレーニングの観点からすると問題がある。


「自分に置き換えられないだろ」


 俺からすれば明らかに第六感的なものが働いていたり、超推理が展開されたりするので、無理! となる。「なるほどわからん」状態でちっとも参考にならないのだ。

 まだ頭をさすっていたキーマが、わかったのか怪しい顔で「ふうん」と言い、俺の持つ本に目を向ける。


「それで、その本はどんな話なのさ」

「う……」


 俺は躊躇ちゅうちょの呻きを漏らす。正直、あんまり言いたくなかった。「読書の効果について」なんていう堅苦しい話をしたのも時間稼ぎ。そしてそのネタも今や尽きてしまった。

 すると、押し黙る俺にキーマは別の想像を膨らませたらしく、あぁと声をあげる。


「もしかして、言えないような不健全な本だったりするんじゃないのー?」

「え、そ、そうなんですか?」

「違ェよ! 子ども向けだっつってんだろ! ココも赤くなるなっ」


 明後日の方向を向いた指摘に、ツバを飛ばす勢いで反論する。兵士になってから数年、散々色々な噂が立てられては消えていったが、そんな疑惑だけは我慢ならない。

 周りからこれ以上変人扱いされるのも嫌だし、師匠にニヤニヤされそうなのも、想像しただけで怖気が走る。


「じゃあ何なのさ」


 ぐっ、仕方ない。引き下がっては「ピンク野郎」というレッテルを貼られるのがオチだ。いつかスウェルに帰る時にそんな二つ名を付けた凱旋は嫌過ぎる。いや、二度とかの地の土は踏めまい。

 今度こそ観念して、俺はぽつりと呟いた。


「……魔法使いのじいさんと、弟子の話」


 間を置いて、けらけらと楽しげな笑い声と、俺の切迫した怒鳴り声が沸き起こる。それを見ていた師匠が、自分だけ風の魔術で涼みながら口を歪めた。


「今日も平和じゃのう」


《終》

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