第7話 覗く瞳⑤

「さぁ、お嬢様。午後は絵のお勉強を、夕食後はピアノを見て差し上げましょう。復習は出来ていますか?」


 声の調子を改めての、エドガーの何気ないこの一言が、俺ではなく別の人物のスイッチを入れてしまったのだ。


「……いや」


 がたがたがたがたっ! 何の前触れもなく、地面が揺れ始めた。


「うわっ、地震!?」

「きゃっ」

「なんだ!?」


 口ぐちに叫ぶ。俺とココは咄嗟に近くの柱にしがみ付いたが、エドガーの周辺には何もなく、後ろに大きくよろけてすっ転んだ。ははははっ、間抜けな奴ぅ!


「ヤルンさん、駄目です! 落ち着いて下さい!」

「ちがっ、俺じゃないって! ってか、お嬢様は!?」


 大人でさえ立っていられない揺れだ。ココに無実の訴えを叫んでから、目の前にいたはずの令嬢の姿を探す。


「なっ」


 そこには驚きの光景があった。足元も覚束無いほどの振動の中で、彼女だけは何にも掴まらずに直立していたのだ。ホラー過ぎる!


「いやよいやよいやああぁあっ!」


 彼女が子どもみたいに首を振るたび、呼応するかの如く床がうねる。


「これって、もしかして」


 ピンときたのは、数日前にぶつかってくる彼女を助けた瞬間、感じた違和感。なぜもっと早く思い至らなかったのか、あれは女だと気が付いたせいじゃなかった。

 胸が締め上げられるような自己嫌悪に陥りながら、揺れで舌を噛まないよう注意しつつ呪を編む。


『耳元でささやき交わすもの、深き意識の底へと誘え!』


 揺れがおさまるのと同時に、ふわりと倒れる令嬢の体をココが走りこんで支えた。エドガーはといえば、突然の出来事の連続に呆けてしまい、これ以上ないくらいの間抜け面を晒していた。



「私に、魔術の素養?」


 眠りの術を解いて、ベッドから起き上がったお嬢様の周りには、今回の騒動を聞きつけた屋敷の住人全員が集まっていた。

 事件の真相を告げると、当然みんながビックリしたが、特に夫婦は慌てた様子で「そんな」と呟くばかりだ。


「一連の事件は全て、お嬢様の魔力が起こしたものです」


 本人が望まない、貴族の娘に必要な教養を教え込まれる生活に反発する気持ちが、体内の魔力を刺激して「悪戯」を引き起こしていた。これが俺達の出した結論だ。


「我が一族は魔導師を出したことはない。何かの間違いじゃないのかね」

「それまで魔力がなかった家にいきなり魔力持ちが現れることは、時々あるらしいですよ。実際、自分もそうですし」


 俺がそう言うと、ココも深く頷いて続ける。


「ファタリア王国でも跡取りは兵役を免除されますよね。先入観もあって、魔力の有無を確認される機会があまりなかったのでは?」


 主人と奥さんが目を合わせて、戸惑い気味の娘を見つめる。それぞれがこの問題をどう扱って良いのか、はかりかねているのだろう。


「付け加えておくと、お嬢様の魔力はかなり高いと思いますよ」


 理由は簡単だ。普通、魔力は正しい手続きを経て初めて形になる。俺が受けたみたいな魔力のチェック、魔導書との契約、魔術の知識の習得ってな具合だな。


「何の手続きも踏まずに事を起こしているのだから、かなりのポテンシャルがあると思います。凄い術者になる可能性があるということです」


 ココが言い添えてくれる。うーん、もしかすると俺も兵士になる前に何かやらかしてたりすんのかなぁ? それともお嬢様がそういうタイプの人間だったってだけか?


 とにかく、俺達の仕事は悪戯の原因を探ることで、その依頼は無事達成した。でも、ここで帰ったら解決にならないよなぁ。不安げな顔を浮かべる全員に、ココが示した道は二つだった。


「一つは魔力の才能を伸ばす道です」


 俺達みたいに兵士になるなり、魔導師に教えを乞うなりして、技術と制御法を身に付けるのだ。お嬢様は今の生活が嫌みたいだから、ちょうど良いかもな。


「二つ目は、魔力を完全に封じてしまう方法ですね」


 そう、俺も最近まで知らなかったのだが、実はそんな夢のような術が実在するのだ! 知った時はどんなに憤ったか! 今思い出しても腹が立つ。

 でも、そんな夢も師匠があっさりと打ち砕いてくれた。魔力を封じるには、その本人を上回る魔力が必要らしいのである。はい、玉砕ぃ!


 説明を受けた一家は一日待って欲しいと俺達に願い、翌日には一つ目の道を選ぶと決めた。新たな魔導士誕生の瞬間だ。



「無事、任務完了しました」

「ご苦労じゃったのう」


 待ち合わせの宿に戻って報告すると、師匠はほっほっほといつもの笑いで俺達をねぎらった。この顔、もしかして最初っから全部読んでたんじゃねぇだろうな。

 隣でリーゼイ師範も黙って話に耳を傾けている。佇んでいるだけで漂うこの緊張、居るべき場所へ帰ってきた感がある。


「疲れたじゃろう。今日は休め」

『はい』


 休息を指示され、部屋を出ていこうとしてふと足を止めた。今回の件でひとつ、ずっと気になっていたことがあったのだ。


「それにしても、こんなに長居しても良かったんスか?」


 結局、調査には数日を用してしまった。師匠には予め気にするなと言われていたが、こんなに長期にわたって一つの町に滞在したことはなく、内心不安だった。


「あぁ、それなら問題ない。皆、出払っておるからの」

「へ? 出払ってるって……?」


 そういえば宿もやけに静かだな。何でだ? その理由を教えてくれたのは、珍しく口元に苦笑を浮かべた師範だった。


「旅費が心配でな。少し、稼ぐことにした」

『ええっ!?』


 旅費を稼ぐだぁ!? 俺とココが見事にユニゾンした後ろから、ひょっこりキーマが「失礼しまーす」と入ってきた。

 久しぶりに見ると日焼けしていて、おまけにどこかの作業員みたいな服を着ている。帯剣もしてないし、まるっきり下働きの少年スタイルだ。


「今日の作業、完了しました。あと3日ほどで終わりそうです」

「そうか。ご苦労」

「何だよ、その格好!」


 会話に割って入ると、呑気に「おー。ヤルン、ココ、ひさしぶりー。そっちは終わったんだ?」なんて言う。


「今日は壁塗り。昨日は煉瓦れんがを積んだし、その前は木材を運んだかな」

「はぁ!?」


 ポカンとするこちらを嘲笑うみたいに、ぞろぞろと仲間が戻ってきた。

 キーマと同じような服装もいれば、物売りっぽい格好をしている奴もいて、これじゃあ完全に仮装集団だ。そうして順番に、師範に売り上げらしきお金を渡し、「疲れたー」とか言いながら各々の部屋に帰っていく。


「この調子なら、あと3日ほどで出立できそうじゃな。やはり人海戦術が一番確実に儲かるのう」


 そりゃ、この人数で旅をしていれば出費だって並じゃないはずだ。郷里くにから貰った資金にだってキリがあるし、今は自国内みたいにすぐ送金して貰える環境ではない。

 俺は商人の息子だから、金に関する現実の厳しさも分かっているつもりだ。


「し、心配すぎる……!!」


 でも、チャリチャリとコインを鳴らす大の大人達を前にして、戦慄せんりつにも似た言いようのない不安を覚えずにはいられないのだった。


《終》

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